「新解釈「嵐が丘 Part1」という目線なら耐えられるのかもしれません」嵐が丘 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
新解釈「嵐が丘 Part1」という目線なら耐えられるのかもしれません
2026.3.4 字幕 TOHOシネマズくずはモール
2026年のアメリカ映画(137分、G)
原作はエミリー・ブロンテの小説『Wuthering Heights(1847年)』
父が引き取った孤児と恋仲になるお嬢様を描いた恋愛映画
監督&脚本はエメラルド・フェネル
原題の『Wuthering Heights』は直訳すると「風の吹き荒ぶ高台」という意味
物語の舞台は、1771年のイギリス北部にあるヨークシャー地方
そこの名家として名を馳せるアーンショー氏(マーティン・クルーンズ)は、絞首刑で盛り上がる群衆の傍らで、ある男(Paul Phys)から少年(Owen Cooper)を引き取ることになった
気まぐれで孤児を拾ってきたことに使用人一同は呆れるものの、一人娘のキャシー(Chalotte Mellington)は彼を気に入って「ヒースクリフ」と名付けた
それから友達のように成長していった彼らは、いつしか大人になっていく
キャシー(マーゴット・ロビー)はいつものように怠惰なヒースクリフ(ジェイコブ・エロルディ)を揶揄い、付人のネリー(ホン・チャウ、幼少期:Vy Nguyen)はそんな2人を微笑ましく眺めていた
だが、アーンショー氏の散財によって家計は立ち行かなくなり、没落寸前まで追い込まれていた
そんな折、彼らの邸宅から少し離れたところに、織物職人として財を成したエドガー・リントン(ジャザト・ラティフ)が引っ越してきた
彼には被後見人の妹的存在のイザベラ(アリソン・オリバー)がいて、彼女はシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に傾倒していた
そして、そんな彼らの元に、居ても立ってもいられずに、キャシーが足を忍ばせてしまう
イザベラに見つかりかけて壁から落ちたキャシーは、エドガーに助けられ、6週間もの間、治療と称して彼の邸宅に泊まることになった
だが、その行動をヒースクリフは良くは思わなかったのである
映画は、幼少期に絞首刑に興奮するキャシーとネリーが描かれ、そこにヒースクリフが割って入るという構図になっている
この時以来、ネリーはヒースクリフに対して邪魔者という認識が働き、キャシーがエドガーと結婚に至る段階において、彼を排除する姿勢を見せていた
彼女自身は領主の私生児であり、アーンショー家の正式な家族ではなく、孤児のヒースクリフは自分よりも下の存在だと感じていた
だが、彼が来て以来、ネリーは一層世話人というポジションに追い込まれ、友人的なポジションを奪われるに至っている
それでも、キャシーとヒースクリフの恋愛を邪魔する理由には乏しく、おそらくは設定的な部分(映画では明確に描かれないもの)として、ネリーに同性愛的な素養があるのかなと感じた
ネリーはキャシーが亡くなる直前に何かを彼女に囁いているのだが、それは2人だけの秘密として墓場まで持っていくものとなっていた
彼女は最後までキャシーの側にいるためにあらゆることをしていて、ヒースクリフとキャシーの密会すらエドガーに密告して自分の立場を守ろうとしていた
それを自分勝手な行動と取るかは別問題のように感じていて、そこには語られぬ愛というものがあったのではないだろうか
映画は、いわゆるポリコレ的な配慮というものが感じる配役になっていて、1700年代のイギリス北部の田舎町にどうやってアジア系の人種が存在するのかは意味不明に思える
原作のネリーがそういう設定なら理解はできるのだが、これまでのネリー役がそうではなかったように、俳優の力量とは関係なく、何らかの意図で配していると感じてもおかしくない
冒頭のキャシーとネリーが遊んでいるシーンですら違和感があったので、こういう配役をするのなら「1771年」とか年代や土地柄を意識させず、その時代に沿った美術なども無くした方が良いと思う
そう言った方面ではきちんと絵作りするから違和感があるのであって、キャシーとネリーがスマホで遊んでいたら、今っぽくてOKだよね、となるかもしれない
とは言え、それはもう「嵐が丘」でもなんでもないので、オリジナル脚本で「お嬢様役をやるマーゴット・ロビー」で企画した方が良かったのではないだろうか
いずれにせよ、そう言った側面もさる事ながら、劇中では大の大人が感情と欲望をむき出しに自分勝手をやっているだけなので、何を見せられているんだろう、という感覚が強かった
原作の設定が20歳前後で、当時の教育水準とか価値観を照らし合われば、今よりももっと幼い感じで自制が効かないのはわかるのだが、マーゴット・ロビーとジェイコブ・エロルディでこの恋愛劇をやると「脳内妄想のハーレクインロマンス」にしか見えない
そう言った層向けの二次創作だと割り切れば済むのだが、これでは原作者も原作ファンも浮かばれないのではないだろうか
