栄光のバックホームのレビュー・感想・評価
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野球はあまり知らない
上地さんや萩原さん やはりお母さん役には負けました 本当に強い 同じ年の息子の親として 泣けました もう治療したくない 本心だったのかな?わたしなら受け入れられない でも旦那も甲子園球児だから わかると 自分の息子が浮かび
自然と泣いてました。横田さんは生きてます お母さん お父さんの心の中で 子を持つ親として 強くならないとて考える映画でした
私はとにかく泣けて泣けて…
序盤、真夏の青い空。
高校球児シーンから涙腺を刺激されました。
横田慎太郎選手の短すぎた人生の軌跡を辿りながらいろんな涙が溢れました。
青春の涙、悔し涙、感動の涙、喜びの涙、悲しみの涙、愛の涙、、、
エンドロールの後、丁寧な演出でまたまた泣けました。
今日できることを精一杯やろう、そう教えてもらえた映画。
阪神ファン以外にも
本2冊読みました。
ずっと泣きっぱなし
朝起きて生きている幸せを
静かに丁寧に紡がれる上質で愛に満ちた作品
まず、主演の松谷さんを含め、野球のシーンが素晴らしくリアル。高校まで野球をがっつりやってきた人間としては特に野球ものはここが肝になりますし、ヘタだと興醒めします。その点、北条役の方以外は完璧でした(失礼!)。もちろんドラマも静かに丁寧に描かれており、カメラワークと相まってまるでドキュメンタリーを見ているような感覚にとらわれました。2時間以上ある作品ですが、まったく間延び感もなく、冒頭から涙が止まりませんでした。ハンカチじゃなくタオル持参は正解でした。
今でもゆずさんの栄光の架橋を聴くと涙が出そうになるくらい、心に沁みる名作だと思います。
私の観た過去の映画の中で一番感動しました
知っていても知らなくても、虎党でもそうじゃなくても。
難しい
横田選手と同じ病気なので観ておこうと思った
私は横田慎太郎選手と同じ脳腫瘍、神経膠腫で、
2021年と2022年に開頭手術をしました。
当時はコロナ禍だったので、家族のお見舞いもなく、一人でぜんぶ抱えて、辛かったこと、しんどかったことを思い出して、めちゃくちゃ泣きました。横田慎太郎選手の目線で見れたので、自分がもし、死んだらこんな感じなんかなあ…と現実的に思えました。
阪神ファンなこともありちらっと映った「岩貞選手役の人が似てる!掛布監督も似てる!さすが古田新太!」など、思えたりもしました。
抗がん剤治療でしんどい時に横田選手が
「もう頑張らなくていい?…身体がかわいそうだよ…」と、母親に言うシーンが、グサグサきました。
2022年の1月ごろに横田選手にメッセージを送ったことがあり、絶対に返ってこないであろうと思い「もう治療がしんどいです。どうしたらいいのかわかりません。」と、激病み長文を送ったのにも関わらず、返事を返してくれました。きっと多くの人からそういうメッセージがきていたのでしょう「何か一つでいいので目標を作ってください」と、映画でもそのようなセリフがありました。その時もまた涙が溢れてきました。
本当にあの時は、ありがとうございました。
横田選手も絶対にしんどかったはずなのに、病んでるやつに励ましのメッセージをくれて本当に本当に嬉しかったです。メッセージは、宝物です。
1日1日を大切に、生きれるところまで、生きようと思います。
川藤と野球談義だと?
24
2013年のドラフト会議で、阪神タイガースから2位指名を受けた横田慎太郎の話。
子どもの頃から一気に駆け足で進み、高校3年夏の地方大会決勝…そしてドラフト2位指名に歓喜して巻き起こって行く。
プロ3年目で勝ち取った開幕スタメン、からの不振と追い打ちをかけるようにみつかった病気と…。
昨今プロ野球にほとんど興味がないので、この方のことは全然知らなかったけれど、闘病と機微や生き様は素晴らしく、とても熱く、格好良く、美しく、哀しい人生をみせてくれたのは良かった。
ただ、感動させたいのはわかるけれど、本当にそんなタイミングでそんな感じの機微や発言したんですか?というありきたりでどこかで聞いたことがあるセリフと言い回しと演出の連発。
正に過ぎたるは及ばざるがという感じだし、この作品は母親を主人公に作りたかったんですか?
☆5点満点の話しだけれど、コテコテクドクドタラタラの作りのせいで☆2.0という感じ。
事実の感動をただなぞった映画か
私は強烈な野球ファンである。
したがって「横田選手の話」はそれだけで泣ける話。映画化と聞いて、この有名過ぎる話をどう扱い、印象をどう超えるのかと期待していた。
結論から言えば本作は「泣ける」ことを約束された題材を扱いながら、そのアドバンテージに寄りかかった瞬間に映画としての勝負を放棄してしまった印象が強い。事実の凄まじさをなぞれば涙は出る。しかし映画とは、本来その涙の質をもう一段深めるための装置であるはずだ。ところが本作は、観客の感情を“取りこぼさない”ことに汲々とした説明過多の演出で物語の自走力を奪い、観客が自分の速度で感情を掘り当てる余白を消し去ってしまう。これはまさにテレビ的な構造で、映画固有の呼吸が理解できていないのではないかと感じてしまう。
最も致命的なのは、野球映画であるにもかかわらず「身体」を撮るという基本の美学が欠落していることだ。横田役の俳優の身体性と技術が圧倒的に強い一方、北条役は身体の厚みも技術的な滑らかさも不足している。二人が並ぶたび、その差はカメラに容赦なく露呈し、映画はそれを埋めるどころか、むしろ強調してしまう撮り方をしている。フォームの美しさや動作の連動性よりも、常に“顔を撮る”ことが優先されるため、身体の真実が画面に宿らない。これは役者の問題というより、映画が野球という競技の身体性に向き合う姿勢を欠いている結果ではないか。
加えて、端役に大物俳優を多用するキャスティングは、映画世界の密度を乱すノイズとして機能してしまっている。“あの人が出ている”というメタ意識に観客が都度引き戻され、実話が持つはずの没入感が削がれる。さらに野球シーンも、競技そのものを撮るのではなく“感動の背景”として並べられるにとどまり、プレーの因果関係も身体の重さも画面に映らない。野球を小道具として扱うこの態度は、作品全体の誠実さを損なっている。
そして最大の欠落は、本作には“祈り”がないという点だ。誰かの犠牲や献身を扱う実話映画には、本来スクリーンの外の世界へと物語が開かれる瞬間、つまり祈りの気配がある。しかし本作の人物たちは説明され、感動は周到に設計されるものの、その先にあるはずの「この人生が世界のどこに接続するのか」という視点が最後まで見えてこない。祈りがないから、事実の感動にすら映画が追いつけない。涙は出るが、その涙の奥にあるべき深みへ到達しない。結果、一番感動するのが祈りの気配を最も感じるエンドロールのリアル映像になってしまうという現象を起こしている。
「栄光のバックホーム」は、本来なら題材の力を越え、映画として独自の感動を創造できたはずなのに、土壇場でその可能性に手を伸ばすことをやめてしまった作品に見える。
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