「動物たちは人知れず去り、人類はやがて不毛の大地に根を生やす」私がビーバーになる時 Dr.Hawkさんの映画レビュー(感想・評価)
動物たちは人知れず去り、人類はやがて不毛の大地に根を生やす
2026.3.18 字幕 MOVIX京都
2026年のアメリカのフルCGアニメーション映画(104分、G)
思い出の自然を守りたい女子大生が禁断の発明を利用して動物界に紛れ込む様子を描いたファンタジーコメディ映画
監督はダニエル・チョン
脚本はジェシー・アンドリューズ
原題は『Hoppers』で「劇中に登場する意識転送装置の名前」
物語の舞台は、アメリカ・オレゴン州にあるビーバートン
そこで幼少期を暮らしたメイベル(パイパー・カーダ、幼少期:リラ・リウ)は、祖母(カレン・ヒューイ)との約束を胸に、池を取り壊して道路建設を行おうとしている市長ジェリー(ジョン・ハム)と対立していた
事あるごとに中止と撤回を求めるメイベルだったが、ジェリーは「法的には問題なく、建設推進で市長に選ばれた民意」というものを全面に押し出して建設を進めていた
ある日のこと、思い出の池から動物の姿が消えたことに気づいたメイベルは、なんとかして動物を元の場所に戻そうと考える
罠を作って、ビーバーを捕獲すれば願いは叶うと信じて、ビーバーがくるのをひたすら待ち続けた
そんな折、彼女の思惑通りに一匹のビーバーが罠に向かってやってきた
だがビーバーは餌に食いつくこともなく、どこかへと行ってしまう
メイベルはそれを追っていくと、不審な車がビーバーを拉致して逃走するのを目撃した
慌てて車を追っていくと、そこは彼女が通うビーバートン大学の研究施設で、サム博士(キャシー・ナジミ)の研究室へと向かって行った
そこでは、サム博士とともに助手のニーシャ(アパルナ・ナンチェーラ)と大学院生のコナー(サム・リチャードソン)が秘密裏の計画を進めていたのである
物語は、サム博士の発明「ホッパー」の秘密を知ったメイベルが、自身の目的を叶えるためにそれを悪用する様子が描かれていく
ホッパーはロボットの動物に意識を転送させることができ、サム博士は動物の生態系調査のためにそれを行っていた
だがメイベルはビーバーを見つけ出して、元の池にダムを作らせ、そこに動物たちも戻したいと考えていた
そうすることによって「動物のいない地域」という法的根拠を覆そうと考えていたのである
映画は、孤独な環境活動家が無茶をしていく様子を描いていて、市長側も法的根拠を作るために悪事を働いていたことが判明する
目には目をと言った感じになっていて、双方が通したい主張のために何でもする、という感じにも見える
どちらかが正しいかとかよりも、人類も生態系の中に組み込まれた存在であり、それは他の生物の生態系に大きな影響を与えているのだが、そう言ったことはやがて自然の力による報復を受けることになる
映画はそこまで小難しいことは描かないが、人間側がやりたい放題してきた所に、動物側が力(道具)を得たことによって、人間界が危機に直面する、という事態を引き起こしていた
動物は賢く、人間が作り出してきた道具などを利用して自身の環境を整備して行くものだが、彼らはその土地を守るということにこだわりは見せておらず、自分たちが住みやすい場所を見つけていく姿勢を持っていた
人間側にはそう言った考えがなく、自分たちの生きやすいように環境を整え、そのために多大な犠牲を無視するという側面があるのだが、メイベル自身も「環境悪化によって別の居場所を見つけた動物たち」を自らのエゴで元に戻そうとしている
この行動が正しいかどうかはなんとも言えないところがあり、それは彼女の語られない本音とリンクしていた
メイベルの欲求は祖母との思い出の場所を取り戻したいというもので、その為に修正を繰り返していく生態系を制御しようと考えている
あの池を埋め立て、そこの生態系が破壊されたとしても、動物たちは新しい場所に居場所を見つけるだけだったりする
その環境に特化した生物というものは淘汰される可能性はあるものの、それも含めての生態系であると言える
それゆえに、保護という名の環境保全というものが動物のためになっているのか、というのは正直なところわからないだろう
人間側が考える「動物が生きやすい場所」というものは所詮エゴの延長線上であり、今回の一連の騒動も人間のエゴ同士が衝突した結果に過ぎないように思えた
いずれにせよ、社会問題的な部分があるように見えるものの、実際には本音を隠して他者の行動をコントロールしようとするメイベルに対して、欲望そのままでエゴを撒き散らしている市長との対立構造になっていた
どちらが正しいということよりも、彼らが衝突することで自然界に多大な迷惑をかけているわけであり、ぶっちゃけると「自然界のために消えるべきは人間」みたいな感じになってしまう
人間を取り巻く動物界というのものは耐えず強風に晒され、大自然の前では無力な存在であると言える
映画では、そこまで辛辣なことは描かれないのだが、これを観て自然を大切にしなければと思う人もいないように思う
そう言った意味において、本作は格好だけつけている人々に対するアンチテーゼになっていたのかな、と感じた
