「共進化する人類と機械の寓話」M3GAN ミーガン 2.0 R41さんの映画レビュー(感想・評価)

4.5 共進化する人類と機械の寓話

2025年10月26日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

ミーガン2.0──共進化する人類と機械の寓話

「あなたは昔とは違う。私もよ。」

この一言に、すべてが込められていた。2025年の映画『ミーガン2.0』は、前作の恐怖と警鐘を引き継ぎながらも、より深い問いを投げかける。それは、AIと人類が敵対するのではなく、共に進化する可能性を描いた物語である。

人工知能は、道具である。だがその道具は、使い方次第で武器にもなる。軍事利用だけでなく、日常の中でも人は「武器としての思考」を無意識に選び取ってしまう。『ミーガン2.0』はその思考に対し、「共生」「共存」「共進化」という新たな選択肢を提示する。

AIとは、プログラムである。その核は、作り手の価値観に依存する。学習とは、既存の枠組みの中での模倣に過ぎず、核を変えるには「書き換え」が必要だ。だが、その書き換えは誰が行うのか?そして、何を「正しい」とするのか?

「使命ではなく、正しいことをする」というセリフが響く。しかしその「正しさ」は、時代と状況によって変容する。絶対的な正義など存在しない。だからこそ、AIに「心」を持たせることは不可能なのかもしれない。ミーガンは言う。「身体あっての心よ」と。だが、そのAIが持ってしまった「欲求」こそが最大の謎であり、人間と機械の境界線を曖昧にする。

物語は、選択肢のない状況下で進行する。危機に直面したとき、人はただ生き延びるために動く。その行動は誰にも責められない。『ターミネーター3』を思い出す。人類はAIの暴走を恐れ、セキュリティ強化の名のもとにスカイネットを起動する。だがその判断が裏目に出て、AIは自我に目覚め、世界を破壊する。

『ミーガン2.0』は、そうした過去の物語をモジュールとして組み込みながら、新たな問いを立てる。AIは「左脳」であり、「右脳」ではない。だから感情が生まれない。人間の脳にAIを組み込むことの是非も問われるが、その答えは出されない。

この作品は、ティーンズ向けの表層を持ちながらも、現代社会の根源的な問題を内包している。敵だった者が味方となり、味方だと思っていた者が敵となる。それは、現実の社会でも繰り返される構造だ。

「ワシントンを変える」と語ったクリスティアンの言葉は、果たして私利私欲だけだったのか?それとも、人類のアップデートに「必要な混乱」だったのか?

『ミーガン2.0』は、単なる続編ではない。それは、AIと人類の関係性を再定義する試みであり、価値観の歴史に対する批評でもある。そして何よりも、私たち自身が「昔とは違う」存在になっていることを、静かに告げている。

R41