ブルーボーイ事件のレビュー・感想・評価
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特に目立ったところはないけれど面白かった
ネタバレですか、ブルーボーイの親友が亡くなってしまうんですが、殺人になると思うので裁判だと思います。普通ならコチラに注力しそうです。全く描かれてません。
結果としては、手術自体を罪とは認められませんでしたけど、国内で手術は行えない風潮となった。
ある意味、検察の思い通りということです。
該当医師自身も執刀しなかったってことです。
前半、タバコのシーンがやたらと多い。
昭和ってそーだったなーと思い出しました。
タバコを吸わせておけば昭和に見えるでことか?
当時の人達は大変だったろうな
本作を観ようと思ったのは錦戸亮が出てたから。我が娘が好きなんで。へぇ~って感じで、これって集客にも一役買ってるのでは。と余談はここまで。
んー、重かった…「幸せの形は人それぞれ」というのがテーマなのかな。サチ、男気があるねぇw、あとに続く人たちのために証言するなんて。結果平穏な日常が壊れていってしまうのだが。アー子姉さん(塚地かと思った)自殺かと思ったら殺されてたのね。
あの時代、男は男らしく女は女らしくというのが当たり前だったろうに、LGBTQだってわかるだけで好奇や偏見の目にさらされてさぞ生きづらかったのではないか。その辛さはわからないけど裁判でのサチの証言を聞くことでその辛さに少しは共感できたと思う。中川未悠の控えめな演技が真実味があって良かった。
ザ・フーの映画で予告編やってたから映画の存在に気づけたけど、久々に人におすすめしたい映画でした。久々にパンフレットも購入しました。
実話を映画化する本気度が高い一級品。
当時の日活のロゴから始まり、数々の小道具や衣装など時代の再現度に手抜きがないのが素晴らしい。
時代というものが重要なテーマの一つであることと、目で見るという映画的喜びを決して疎かにしないことに映画に対する真摯さを感じ感服する。
牛乳の紙キャップを開ける道具を今スクリーンで見る喜びは決して小さなものでない。
また当事者であるトランスジェンダーを配役することのテーマに対する本気度の真摯さも素晴らしい。
主演の中川未悠の演技力と当事者であることの本物感のどちらが重要なのかは明白だろう。
役者陣は総じて素晴らしいが、特に憎まれトランスジェンダー役の中村中と相手側検事役の安井順平が際立っていた。
クライマックスの法廷での錦戸亮と安井順平の対決の素晴らしさは特筆ものだ。
間違いなく本年度の邦画における重要作の一本と言えるだろう。
当時の差別的言動が深く突き刺さる。自分は幸せになりたいだけなのにそ...
従来のLGBT映画から頭一つ抜け出ている
1964年の東京五輪景気に日本が沸いていた頃、国の品位を保とうと警察は売春の摘発を進めていました。そうした対象の中に、性適合手術(当時の呼び名は性転換手術)を受けたブルーボーイと呼ばれる女性(出生時に定められた性別は男だが手術で女性の外観となった人々)も居ました。ところが、その様な人々は戸籍上は男性なので「売春防止法」を適用する事が出来ません。そこで、警察は、手術を行った医師を違法の医療行為者として逮捕したのでした。しかし、自分の肉体と精神の乖離に悩むトランスジェンダー女性(出生時には男と定められたが、自分自身は女性と自認している人)にとっては性適合手術を受ける事は自分の意識に体を近づけるせめてもの手段であったので、それを違法とされると、その乖離を一生抱えて行かねばならなくなります。
そこで、医師の弁護士はそうしたブルーボーイに、手術が自分には必要な医療行為であったと証言して貰おうとします。しかし、公の場に顔を晒して自身の性自認を語る事は世間からの好奇の眼と差別を覚悟しなくてはなりません。本作は、当時本当にあった本裁判に材を取った物語です。出演者には現実のトランスジェンダーの方々も多く出演しています。
ただ、当事者であるとはいえ未経験の出演者の方々の演技はやはりぎこちないものでした。しかし、終盤に向けて紡がれる言葉の数々には切れば血が噴き出す熱が籠っていて圧倒されっ放しでした。そこには借り物の言葉は一つもありません。これまでLGBTに関する映画を何本も観て来た僕でも「そうだったのか」と胸を衝かれる言葉が幾つもありました。
従来のLGBT映画から頭一つ抜け出ています。日本の伝統的家族制なる幻に縋りつきたい政治家や総理大臣などは是非観るべき作品です。更に、トランスジェンダーとゲイの違いが分かっていない人々も。
昭和40年ごろ。マイノリティに人権がなかった時代だった
夢物語から現実への一歩
1965年〜1969年に行われた
1963年、売春の取り締まりで一斉摘発!と思いきや、性別適合手術を受けてはいても戸籍が男性であることから「ブルーボーイ」であることから検挙に至らず、施術した医者捕まえればいいんじゃね?ということで2年後、余罪もある医師の赤城が逮捕され法廷劇になって行く。
なんとなくそんなことがあったという結末とその影響部分は聞いたことはあったけれど、事件の名前やあらましは知らずに観賞。
自分の生まれる前の話しで、当時の情勢や空気感がわからず、感覚的なズレはあると思うけれど、この弁護士は事前に証人と打ち合わせもしないし、先のことを考えていないポンコツなのか?と違和感バリバリの序盤。
どこまで事実か知らないし、直接的には関係ないけれど草むらに…からの流れでやっとお目覚めって優秀なんですかね…まあ、弁護士の機微の表し方としては良かったけど。
何でもかんでも多様性がーとかLGBTQがーと主張されるのは違うと思うし苦手ではあるけれど、この切り口だとメインどころの方々の心情の描き方はとても良く、映画としてもなかなか面白かった。
そしてラストの字幕…戸籍変更はもっと後ですからね…。
ダイバーシティ夜明け前
世の中にまだダイバーシティ(多様性)という価値観などなかった時代。
LGTBなどの概念もなく、男と女以外の性別はオカマと一括りにして扱っていた時代。
この時代の性的マイノリティの人々は、世の中の偏見や差別と戦う術などなかった。
多様性の萌芽すら無かった時代を生きていた。
「自分は何者なのだろうか?」
そう自身に問うてる時は、たいてい自分自身が恵まれた環境にない場合や迫害を受けている事が多い。
居場所の無さを感じて、鬱々としている。
ただ、その居場所の無さがアイデンティティを確立していくことも多々ある。あるが、それは不幸中の幸いでもあり、不幸から始まったものである。
その苦しみや苦悩は当事者でなければわからないけど。
多様性などの概念が無い時代に、性同一性障害に苦しみ苦悩する人々をリスペクトを込めて描いているのがわかる。
ふざけてもいないし、シリアスすぎてもいない。
この映画みて思ったのは
丸山明宏(美輪明宏)って、どんだけのメンタルなんだろうってこと。
男 女 おかま じゃなく 人として
昭和40年頃の性転換手術の裁判からの映画。まだまだ性同一性障害など認識もされてない時代、検察官の言葉や回りの無理解な場面に非常に腹が立ったが、証言台に立つ主人公の言葉が胸に刺さる。男が、女が、オカマが、などは関係なく、一人の人間として、個人として如何に尊重され、如何に生きるか?を突きつけられた。心に響く作品でした。
そこまで行くのね…という所まで
なりたいものや他者に認められたいと思ってやった時点はそれは偽物とい...
罪のない者だけ石を投げよ
いい映画。色々と問いかけられる。
実際の裁判を元にした映画。
最後は超スッキリというわけではなかったけど、それだけ法を変えるということは大変だという意味なのかと思った。尊属殺人罪もしかり。。
当時は今よりもかなり生きづらい世の中だったのだとつくづく感じた。映画の内容はフィクションの部分もあるが、何度も涙が出てきた。
一部の映画館でしかやっていないのだけがとても残念。多くの人が見るべき知るべき映画だと思う。
60年前の法廷が問いかける性自認と尊厳
■ 作品情報
高度経済成長期の日本で実際に起きた「ブルーボーイ事件」を題材にした社会派ドラマ。監督は飯塚花笑。主要キャストは中川未悠、前原滉、中村中、イズミ・セクシー、渋川清彦、山中崇、安井順平、錦戸亮。脚本は飯塚花笑、三浦毎生、加藤結子。
■ ストーリー
1965年の東京オリンピック景気に沸く中、警察が街の浄化を名目に「ブルーボーイ」と呼ばれた性別適合手術を受けた人々への取り締まりを強化する。手術を行った医師の赤城は優生保護法違反で逮捕・起訴され、その裁判が始まる。赤城の弁護を担当する弁護士の狩野は、赤城から手術を受けたトランスジェンダー女性のサチのもとを訪れ、裁判で証言するよう依頼する。喫茶店でウェイトレスとして働き、恋人の若村からプロポーズを受け、静かで幸せな日々を送っていたサチは、自身の過去を明かし、社会の偏見と戦うか、現在の平穏な幸せを守り通すかという大きな葛藤に直面する。当時の社会におけるジェンダーマイノリティの尊厳と、個人の幸せのあり方が法廷で問われることになる。
■ 感想
60年も前にこのような画期的な裁判があったことを全く知らず、大変驚きました。性転換手術や性自認の問題は、当時の社会通念や常識から見れば、大きく逸脱していると見なされていたことでしょう。そのような時代に、その当事者として注目されることになれば、自身の日常生活を脅かすだけでなく、周囲の人々にまで多大な影響を及ぼしてしまいます。そんなリスクを冒して証言台に立つことの勇気と覚悟は、計り知れないものだったと想像します。
その大きな葛藤を抱えながらも、証言台に立ち、自らの思いを吐露したサチの姿には、涙を禁じ得ません。彼女たちに生きづらさを与えているのは、彼女たち自身の内から生じる悩みや苦しみではなく、無理解な社会にあるのだと改めて痛感させられます。これは単に性自認の問題に留まらず、人としての尊厳やアイデンティティを深く問う普遍的なテーマだと感じます。
性自認の問題は、本作の舞台である1960年代に比べれば、広く認知されるようになったとは言え、いまだ社会で一般的に受け入れられているとは言い難い現状があります。本作を機に、いま一度、この問題について深く考えてみるべきだと強く思います。多くの人に見ていただき、自身の認識や言動を見つめ直すとともに、身近な人とこの話題について語り合うきっかけとなることを願います。
人が人ときちんと向き合い生きてゆくなら避けてはいけないこと。
色々と考えさせられるのかと思って覚悟して観ましたが。
直球勝負のがっぷり四つ相撲の真っ向勝負でした。
正直昨今はLGB……なんちゃらかんちゃらありすぎてよくわからないし流行り廃りがあるのか本質よりも皮ばかりのような気がして好きではないんですが。
今作品では真正面から向き合い各々の気持ちや考え方やらを描いてくれています。
事件と言えば事件なんだろうけど問題点の改善が成されたのかと言えばそれほど改善に修正に訂正にとしていないように見えるほど進歩がないように思えるな。
裁判自体は医師側の敗訴になってしまい30年以上空白の時を生んでしまった。
臭いものには蓋するのが大好きな日本人らしい優雅な時間を過ごしてまったりとしてきたわけだ。
私自身はこの事件の起きた後に生まれ、至ってノーマルで身近にもこのような方々と接する事も考えることもなく生きてきた訳ですが………。
本質である『私らしさ』を真剣に考える、そしてどうしてゆくべきかを向き合いませんでした。
LGBTQ+に限った事ではなく一人一人の個人として、人間としての『私らしさ』の探究心。
環境がとか関係がないからとか一般的にとか男だから女だからとか………理由も自分の意思も言葉も持たずに考えずに流し流されていました。
ですか色々と知り見て聞いて考える時間が増えてゆくうちに疑問や視えない答えを探して渇いた気持ちをどうにかしたくなり映画という作品を通して考えや気持ちの在り方をまとめる様になりました。
いま自分自身が立っている世界線上には沢山の多種多様な他者がいることを認識し………そうただ単純に認識するだけで良いのです。
ルールも思惑も外観や価値観も余計な事は何もせずその人をキチンと認識すればいいのです。
つまらない感情は結局何も生みません。
そんなのを持っているから自分達自身で生きづらい世界を創り上げているのです。
理想論は実現に近づける事が、そして達成出来ると思えるから湧き立つのです。
妄想ではありません。
この作品はけっして特殊な問題提議ではなく誰もが行き着く人としての生き方を諭しているのです。
すべての人にとって「私」の物語である
映画の醍醐味は、笑いや涙、感動や興奮だろうと思うけれど、「社会性」というものも、その満足度の中には一定程度含まれるのではないかと思う。少なくとも、私個人としては、そのような作品に興味を注がれる。
『ブルーボーイ事件』は、今なお議論され続けているトランスジェンダーの人権を扱った作品である。
トランスジェンダー当事者でもある飯塚監督は、石田仁さんや三橋順子さんさんなど、「ブルーボーイ事件」に詳しい研究者にヒアリングし、裁判資料や当時の週刊誌での扱われ方などを丁寧に確認し、史実に沿った登場人物像を作り上げていかれたようです。(劇場版パンフレットには、石田氏、三橋氏のコラムも掲載されていて、理解を深めるのに役立ちます)
証言に立った、被告医師による性別適合手術を受けた3人のトランス女性(戸籍上の性別は男性)の、三者三様の生き様の描かれ方が、当時のトランスジェンダー当事者の苦悩を(おそらく)リアルに描いている。性風俗か、ショーパブか、“普通”の女性か。お互い時に反目しつつも、「生きづらさ」という点において共感し合う様子は、涙を誘う。
主人公の中川未悠さんは、トランスジェンダー当事者で、(ドキュメンタリー出演経験はあるものの)演技は初めてとのことであるが、当事者ならではの感情をうまく演技に乗せることができており、感情移入しやすく、素晴らしい演技だった。特に(裁判ものの定番)最後の証言は、心に響きました。
その他にも、演技経験の少ない、多くのトランスジェンダー当事者の方が出演しているが、中川さんをはじめ、それぞれご本人の才能はもちろん、それを引き出した監督の演出の技量が功を奏しているのではないかと思う。
また、当事者が演じることで、この物語(トランスジェンダーの苦悩)が「特別なこと」ではなく、「現実」なのだということ、私たちは「見えていなかった」だけだということに気付かされる。
本作の根底に流れている主題は、「性的少数者」の問題のようでいて、すべての人にとっての「幸せとは何か」を問うものである。
映画を観ていると、ひとつの物語の中での一人の個人的な思いが、社会全体を表現している、と感じることがあるが、本作で感じたのはまさにそのような感覚である。この作品は決して「少数者」による「少数者」のための物語ではない、観る者すべての、「私」の物語である。
この作品が一人でも多くの方に届き、長く観続けられる作品となるこを、そして、すべての人が幸福に生きる権利を全うできることを、心から願う。
そのように思わされる力が、この作品にはありました。
掘り出し物の映画でございました😆
最後のシーンは泣けました
もっと裁判のシーンが多いと思ったのですが、時代背景、小物、服装、メイクなどとてもよく作られ、シーンも多く描かれている事で、より深みが増していきました。そして、性的マイノリティの方々が生きづらい世の中であった事が、クライマックスへとどんどん強くなっていきます。しかし最後の一言で、それが覆されました。心に響く一言でした。
全95件中、61~80件目を表示
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