「AIがバカに見えるのは人間がそう作ったからだ」トロン:アレス こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
AIがバカに見えるのは人間がそう作ったからだ
1982年の初代『トロン』が「人間がデジタル世界に入る」物語だったのに対し、今回は「AIが現実世界に侵入する」物語。つまり、創造主と被創造物の位置が完全に反転している。しかしこの“反転構造”が、SF的な整合性よりも「寓話性」を優先して描かれているため、AIの合理性をあえて放棄しており、そのギャップに戸惑うことになる。
AIが人間を超えた知性であるにもかかわらず、戦い方も追跡もどこか雑で、判断も衝動的。まるで感情に任せて動く人間のようだ。だが、これは脚本の欠陥ではなく、明確な意図だろう。制作陣は、合理性を極めたAIが最後に辿り着くのは「非合理」だと見ている。完璧な知性の果てに残るのは、計算ではなく“直感”である。言い換えれば、AIは人間の鏡であり、われわれの不条理な衝動や感情を映し出す存在に進化したというメタファーなのだと。
フリンが遺した“永続性コード”も同じ。29分で崩壊するAIの肉体という設定は科学的には破綻しているように感じるが、これは「生命の有限性」を象徴する装置だと理解した。技術で不死を得ても、存在の意味を保証することはできない――この限界を超えようとするAIたちの姿は、人間そのものの投影。監督ヨアヒム・ローニングは「アレスは理屈ではなく感情で動く。それこそが“生きている”証だ」と語っている。要するに、本作はAIの物語ではなく、“生きようとする意志”の物語である。
しかし、この思想的高みは、映画としての説得力とは別問題。観客の多くにとって、アレスの非合理な行動は「キャラブレ」にしか見えず、フリンの登場も「誰やねん」状態。神話的象徴として登場する老人の存在を理解するには、シリーズの文脈を知っている必要がある。ゆえに、本作は娯楽映画としての親切さを犠牲にし、哲学的寓話としての純度を選んだとも言える。
それでもなお、Nine Inch Nailsの重低音と光の粒子が交錯する映像体験は圧倒的。AIが直感で動く世界を、観客も直感で感じ取る――それが『トロン:アレス』の正しい観方だと考える。合理的に理解しようとすればするほど、この映画は遠ざかる。だが、その“わからなさ”こそが、本作が提示する新しいAI像の核心であり、同時に人間の限界の写し鏡でもある。
──AIは理性を超え、直感で生きる。それを受け入れろ、とこの映画は言っている。


