「昔からずっと知っているスーパーマンだった」スーパーマン sow_miyaさんの映画レビュー(感想・評価)
昔からずっと知っているスーパーマンだった
観ていて本当に清々しかった。
今一つパッとしない新聞記者クラーク・ケントが、ひとたびスーパーマンに変身すると、どんな小動物の命一つも、全力を尽くして守りきる。
電話ボックスでこそ着替えないが、鍵カッコ付きではない正義を貫く、昔からずっと知っていたスーパーマンだった。
<以下、少し内容に触れます>
・変わらないスーパーマンに対して、時代に合わせた描き方をされていたのは、周囲の人々の方。
野次馬は何にでもスマホを向け、外でスーパーマンが戦っていても、無関心な者すらいる。その振る舞いは、絶対人々に危害を加えるような倒し方をしないというスーパーマンへの信頼ゆえなのかもしれないし、日常的にエイリアンなどの来襲があって人々が慣れてしまった世の中という設定なのかもしれないけれど…。
いずれにしろ、自分に利害がないと思った途端に無関心になる人々や、有名人や差別感情を抱いている相手には、SNS等を通して、正義感やその人が正論と思っていることを使って執拗に攻撃し始める人々が、都市生活者の当たり前として描かれる時代になったんだなと思った。
・悪役については、今一つピンとこない部分もある。多くの人が頭に思い描く「あの人」のような超富裕層という設定や、「かの国」がやり続けているような民族浄化とも言える軍事侵攻の設定はわかるし、スーパーマンの行動がそれの邪魔になるからというロジックで、敵認定して陥れようというのもわかる。けれど、ルーサーの一番心の奥底にあるものは何なのかがよくわからなかった。(敗れた後の涙には「何の涙だよ」と心の中で突っ込んでしまった)
それ以上に、彼に同調しているスタッフや、そのために人間をやめた「エンジニア」も、何を求めてその行動をとったのかが、自分には理解できなかった。
・ルーサーが「異星人」と繰り返すのに対して、「そもそも、それが間違っている。私は人間だ」とキッパリ言い返すスーパーマンがよかった。
ここら辺りは、アメリカなどで言えば移民問題、日本で言えば外国人排斥問題のメタファーだろう。スーパーマンへのヘイトが、ジャーナリズムの力で無くなる解決は、現在世界ではファンタジーに近いと思うが、観ている方としてはとてもスッキリした。ただ、最後の方の政府の要人の表情が気になるところ。
・刺さるセリフがいくつもあったが、吹き替えではどうなっているか確認したくなったので、後日吹き替え版も鑑賞したい。
