「“危ういけど本気”の人が、人生を動かす。」かくかくしかじか こひくきさんの映画レビュー(感想・評価)
“危ういけど本気”の人が、人生を動かす。
大泉洋が演じる日高先生を観ながら、久々に「指導とは何か」を考えた。厳しさと優しさ、狂気と信念。現代の空気の中ではあまりに危うく、しかし誰もがどこかで憧れた“本気の大人”がそこにいた。教室で竹刀を振り回すような人物を、どうして涙と笑いのうちに受け入れられるのか――その答えは、この映画が描く「赦し」と「継承」にある。
東村アキコの自伝的原作をもとにしたこの作品は、青春の記憶をただ懐かしむ物語ではない。恩師との関係を通して、人が創作する意味、生きる意味を問い直す。大泉洋は日高という人物を単なる暴君にも聖人にもせず、どこか間の抜けた、だが一貫して“本気”の男として立たせた。彼のコミカルな間合いが、厳しさの中に人間味を通わせる。笑わせながらも、いつのまにか観る者の胸を掴んで離さない。
人生には、「本当に大切な人」が何度か戻ってくる瞬間がある。十年経っても、二十年経っても、ふとした瞬間にその人の声が聞こえる。明子にとっての日高先生は、まさにその存在だった。彼の「描け」という言葉が、時を超えて彼女を呼び戻す。人は、過去の師や友を通して自分の未熟さを知り、再び立ち上がる。映画はその瞬間を丁寧に掬い上げる。
そして、お葬式の場面。誰かの死を前にして初めて気づく、「あの人の存在が自分をつくっていた」という実感。涙は悲しみではなく、恩義の記憶に対する敬意だ。本気で生きた人にしか流せない涙がある。この映画は、それを真正面から描き切った。
『かくかくしかじか』は、創作映画でありながら人生そのものを描いている。夢を追い、挫折し、それでも描き続ける人々への賛歌だ。軽やかで笑えて、しかし終盤には深い静寂が訪れる。誰にでも、忘れられない“先生”がいる。その人の不器用な愛が、今の自分を形づくっている。そんな当たり前のことを、大泉洋の危うい熱量が再び思い出させてくれる。
大泉洋さんでなければ成立しない作品だと思いました。
こひくきさんのお名前は、「犬神家の一族」の”ヨキケス”から思いつかれたのかな、と勝手に考えています。あの映画で1番インパクトがあったシーンなので。違ったらすみません。
共感ありがとうございます!
自分はデザイン学校卒なんですが、授業の内容は映画とほとんど一緒でした。高校の時まであれほど好きだった絵を描くことが好きだったのに、進級も卒業も絵を描くことが前提になると苦しくなることも理解しているので、絵を描くのをサボる永野芽衣も中退してしまう三上愛も、身近に感じて作品の世界に深く没入出来ました。


