「地球温暖化、移民問題に言及した社会派アニメ」Flow かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)
地球温暖化、移民問題に言及した社会派アニメ
、などと本作を定義づけているのは多分私だけであろう。動物の鳴き声だけで台詞のまったくないこのアニメーション、小国ラトビア出身のアニメーターさんによる2作目にあたるのだそう。実は1作目の『Away』も鑑賞済みなのだが、動物たちの造形はともかく、水や木々、岩などの自然物に関しての描写はかなりの進化をみせていて、世界最高峰に位置付けられているジャパニメーションに慣れ親しんでいる方でも納得の仕上がりになっている。
おそらく本アニメーションをご覧になった人の9割が、異種動物との友情や助け合い精神を育みながら成長をとげる黒子猫の物語として理解したであろう。そこにいちゃもんをつける気などさらさらないのだが、もしそうだとしたらディズニーやピクサーに任せておけばいいのであって、ラトビアという長らくソビエト連邦の支配下にあった小国出身の若者がわざわざデジタルペンを握ることもなかった気がするのである。
ネコの巨大な彫像がたたずむ森に突如として大洪水が押し寄せる。主人公の黒子猫は水に流されながらオンボロヨットに命からがらよじ登り、ワンコやキツネザル、カピバラにヘビクイワシと共に洋上の冒険を繰り広げる。何せ台詞という台詞がまったくないため、動物のちょっとした仕草から気持ちを読み取る以外なく、ここで語られるナラティブが如何なるものなのか、コミュ障の方が観られてもいまいちピンと来ないのではないだろうか。
孤独を好むネコや海の主的なクジラ?を除いて、みな同種属の群れを形成して生活している。しかし、地球温暖化の影響だろう、水が押し寄せてきて海上部分が限られたスペースだけになってくると、そんな贅沢も言っていられなくなってしまう。アメリカの白人を彷彿とさせるヘビクイワシの群れに遭遇し、その中のあるリベラル?な一匹に魚をめぐんでもらった黒子猫。しかし、ヘビクイワシの群れのボス(トランプ‼️)から種族の違う動物になんぞにエサなんかやらんでエエとばかり、翼を折られた挙げ句群れからハブにされてしまうのだ。
まさに、右傾化し移民排斥に走り出したアメリカやEUの動きそのまんまという描写なのである。背に腹はかえられぬ黒子猫、苦手の水を克服し潜水漁を独学でマスターするのだが、肝心の獲物をワンコたちに奪われてしまうのである。激安労働力として普段ひどいピンはねを受けながら生活している移民の皆さんのやらずぼったくられ生活と酷似しているのだ。そしてこのアニメーションには、黒子猫とは対照的な一匹のキツネザルが登場する。
(かつては他人の物だった)水に浮かんでいる空きビンやらなにやらのガラクタを集めて(盗んで)きては悦に入り、同乗者にはさわらせようとしない。なかでも、飾りのついた手鏡が大のお気に入りで、ただひたすら(自己陶酔気味に)自分の顔をじっと見つめるために決して手放そうとはしない。鋭い方ならもうお気づきであろう。他国の情報を盗むことに何ら良心の呵責を覚えず、自己中心的な中華思想から抜け出せないC国人のメタファーと見て間違いないだろう(本当に?)
じゃあ同族でありながら種類も様々な群れで生活しているワンコは?何を考えているのかよくわからないマイペースのカピバラは?おそらく前者は多様性を重んじながら弱きを搾取するEUを、後者はヨットの舵をとるヘビクイワシに必ずしも従わない(C国を除く)BRICSあたりをイメージしているのではないだろうか。監督さん曰く、地球上のどこにも存在しない場所を想像しながら作画したとか語っていたが、明らかに水の都ベネチアやC国の同化政策下にあるチベットをイメージしている場所が本アニメには登場している。
チベットもどきのその場所で、いままでグループのリーダーを勤めていたヘビクイワシが、死期をさとり天に召されていくシーンが非常に印象的なのである。世界を牽引してきた(特にリベラル側の)アメリカないし白人社会が、近い将来消滅に向かっていくことを暗示している、とは言えないだろうか。この後、奇跡的に一命をとりとめた黒子猫は、水が引いた後木の上に中吊りになっていた仲間の命をも救うのである。
そして水が引いた後、黒子猫は森の中で息も絶え絶え状態のクジラ(神)を発見する。映画冒頭シーンとリンクしたラストシーンが実に意味深だ。黒子猫たち生き残った仲間たちは、森の窪みにできた水溜に自分たちの姿を映しながら肩を寄せ合うのである。アメリカという絶対的リーダーが抜けた後の世界で、EUやBRICSといった新しい仲間を得た黒子猫は、予想されるまた再びの大洪水に立ち向かうべく決意を新たにした、のかもしれない?!