サブスタンスのレビュー・感想・評価
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果てしなく強欲
観た劇場は、かなり席うまってて期待値の高さは今年のアカデミー賞受賞作だからでしょうか。
かなりの衝撃作、ほんと後半は阿鼻叫喚だし、ちょっと事前に忠告しておいてほしいレベルにバイオレンスでスプラッターな内容。
デミ・ムーアよくこのオファー受けたなというような役どころ。いま63歳で49歳の役だけど、その年齢には見えないほどナイスボディ。そしてマーガレット・クアリーもスゴい脱ぎっぷりと体当たり演技、これはたしかにセクシー&バイオレンスでR15指定。
観終わった男性と女性では感想が異なりそうな予感もしたり。自分の目線では、己の強欲の果ての自業自得だけど、話の最後は、これはこれでハッピーエンドなのか?!と思った。
強欲その1、若い頃から49歳まで大成功している生活
強欲その2、他人からチヤホヤされることをやめられない
強欲その3、いまの自分の快楽のためなら、他人(自分の未来)なんてどうでもいい
そりゃそもそも、そんな危ない薬に手を出す人が、バランスや平穏なんて無理という分かりやすさ
サブスタンスを推奨した男性も半身に侵蝕されてたから、レストランで色々なものを落とすほど衰えてたのかな。
作品に登場する男性が底抜けにバカに描かれて、登場する女性は、果てしなく強欲に描かれてた。人間の黒くて闇な部分を思いきって清々しいまでに真っ黒く表現してる。
嫉妬と自尊心
ここ最近忙しくて映画館にもなかなか行けず…レビューもしてないのが溜まっている😔はよ書かな…
この映画、公開前から個人的に大注目しておりめっちゃ楽しみにしてました!
まああらすじからして、薬を手に入れて最初はウハウハ。ルール破ってえらいこっちゃ!やろ。まあよくある設定やなって思いながら観ていたが、そのえらいこっちゃの描写がとにかくえげつない。そこまでやるなんて喪黒福造すらそこまでひどいことせーへん😔食事のシーンもやけに生々しくいちいちぐろい。
後半、ほとんど画面直視できず。チベットスナギツネのような目で観ていた…
そしてデミムーア。この役は今のデミムーアやからできたんやろうなあ。女優としてのこの作品にかける覚悟を感じた。やっぱりアカデミーとってほしかったよ…。
お局なんて言葉があるけれど、私の職場にもお局はおり、きまって集団で若い女性の悪口をいい、若い男にこびる。若い頃はお局さんたちもちやほやされていたんやろう。同じ女性としてなぜ同性を敵対視することしか頭にないのか?なんとも虚しい気持ちになったことをふと思い出す。嫉妬は理性を超越する。やから職場いじめはなくならない。嫉妬という感情は自尊心の低さと連動している。他人軸じゃなく、今の自分のことを愛せていたらエリザベスもきっと穏やかな人生をおくれたんやろうな。
帰り道、トイレの鏡で思わず自分の顔をみる。いつも通りの自分の顔で安心。それにしても疲れる映画やった。
使用上の注意
単に若返るんじゃなくて母体と分身に分裂、分身の安定剤は母体から精製されるため
1週間ごとに活動体を入れ替える必要があるって設定大好き!
案の定、イケイケ分身体スーが使用上の用法を破り始めた事から入れ替え生活は破綻をしていく・・・
説明書が結構テキトーに書かれてた割にエリザベスが注射うって分身作成→入れ替え→安定化迄してるの流石メディカル大国(?)の国民様だと勝手に感銘を受けてしまった(笑)
最期のモンストロエリザベスーの血塗れシャワーは
近年稀に見るスプラッター(つっても本人の血ですが)描写でした。
結論:面白かったけど、、よくデミムーアが出演したなってw
自分を愛せない悲劇
これはルッキズム批判やアンチエイジング批判に留まるような映画じゃない。もちろん女VS女の物語でもない。「自己愛とは何か」その問いをシンプルかつ大胆にホラーへと昇華させた、類まれなる映画だ。
グロくて怖いし、グロさもバリエーション豊かなので万人には勧められない。「サブスタンス」観ながらハンバーガー食べられるくらいの図太さが必要。
主人公・エリザベスが求めているのは、「皆に愛される自分」である。若さも美しさも副次的なものでしかない。
その「愛されたい」に対して、エリザベス自身は自分をうまく愛せないでいる。それはサブスタンスによって若く美しい「スー」を手に入れてからも解決せず、むしろ悪化しているように見える。
スーでいる間は、望んだ通りにチヤホヤされているものの、エリザベスに戻れば同じ人間から悪態をつかれる。その経験のせいでエリザベスは引きこもってテレビを見るだけの1週間を過ごし、部屋は荒れ、暴飲暴食で自分を慰めながら同時に傷つけていく。
7日間は長い。嫌いな自分と向き合うだけの1週間ともなればなおさら。逆に、スーである1週間は短すぎて、エリザベスである時間の怠惰さを「無駄」に感じてしまう。忙し過ぎて自由に過ごせない歯がゆさが、孤独な時間を耐える自分を切り捨てようとする恐ろしさ。
ちょっとくらい、無駄な時間を有意義に使ったって良いじゃないか、とばかりにスーは7日間のリミットを超えてしまうが、代償となったのはエリザベスの肉体だった。これをきっかけに、スーとエリザベスがバランスを取り戻せれば良かったのだが、むしろエリザベスの自己否定は更に拗れる。
お世辞かもしれないが「君は今でも世界一可愛い女の子だ」と言ってくれたフレッドが、エリザベスがエリザベス自身として愛される最後のチャンスだった。
会う約束をとりつけ、いざ出掛けるという時に目に飛び込んでくるスーの看板。あれは「完璧な自分」だ。もっと完璧にならなきゃいけない。完璧じゃなかったら、きっとフレッドは愛してくれない。
その感覚はもはや呪いだ。
なぜ「もっと、もっと完璧に」と際限なく求めてしまうのか。唇に潤いを足し、萎んた胸元は隠し、チークを濃いめに…どんなに繕っていっても、50歳のエリザベスがスーの持っている美しさを再現するのは無理だ。大体、フレッドだって求めてないのに。
もし、フレッドに会いに行っていたら、エリザベス自身を受け入れてくれる存在に心が安らいだはずである。スーのように多数に絶賛されなくても良いじゃないか。自分を愛してくれる存在は、自分自身を愛するきっかけになるはずだった。
結局、エリザベスは自分を愛せず、完璧な自分であるスーへも憎悪を募らせ、そんな醜さの権化であるエリザベスの存在は、スーによって搾取される。
醜い自分など、外に出るべきではないから。
私が本当に恐ろしかったのは、モンスターと化す前のスーによるエリザベスへの過剰な暴力である。
自分自身への攻撃は他人への攻撃より苛烈だ。愛される自分、その存在を脅かし、足を引っ張り、闇が深くなるくらいなら光を消してしまおうとする自分を息絶えてもなお蹴り続けて、それでもやっぱりこれは自分だと思ったのか。
それでもやっぱり、光を浴びてもう一度輝きたいと願うエリザベスの執着は、当然スーも同じ。
サブスタンスを終わりにする為の投薬のせいなのか、本体であるエリザベスの肉体が再生不可能だからなのか、スーの肉体も崩壊し、スーは禁断の2回目のサブスタンスに全てを賭け、そして彼女はモンスターとなった。
正直、あれをモンスターと言っていいのかわからない。エリザベスよりもスーよりも、純粋にこれが自分自身なのだと自覚している分、「モンストロ・エリザ・スー」は自己を肯定しているように感じたからだ。
知ってはいたけれど、想像以上にホラーだった。ホラーテイストはあっても、もっと途中で自分を肯定するような方向に向かうんじゃないかと思っていたから、崩壊するまで主人公を追い込んでいくテイストに驚愕した。
多分デミ・ムーアのファンと思しきおじいちゃんを見かけたのだが、彼がどう思ってこの映画を観ているのか、そもそもこのホラー展開についていけているのか、ふとそんな事を鑑賞中に考えて不安になったくらい、容赦がない。
が、私個人としては色んなシーンが面白く、特に序盤にこの後の展開を示唆する様々な仕掛けが施してあるのが良い。
序盤は映像的にもかなり攻めていて、カメラの近さや咀嚼音・呼吸音の近さが、エリザベスと観客を接近させるように仕向けられているところも興味深い。
誰だって、自分自身に嫌いなところはある。その日の体調や気分によって、良いパフォーマンスが出来るかどうかもわからない。
「より良い自分になれ」という命題は、もちろん悪いことじゃない。が、「ダメな自分」とどう向き合うか、を教えてくれる人はあまりいない。
ダメである自分も、また自分なのだ。ダメな自分を切り離して、良いところだけの自分しか見せないようにしたとしても、結局自分自身はダメで嫌いな自分からは逃げられない。
ダメな自分の時間とは、より良い自分を生み出す為に必要不可欠なインターバル。それが「バランス」なのだということを忘れないようにしたい。
愛と承認を求め、自分の鏡像に殺された女優
本編に繰り返し登場する鏡。
鏡に写った自分自身の姿をありのままに受け入れるか、それとも歪曲して受け入れるか。どのように認知するかは本人次第だ。そして、その認知が歪んでいるとき、その原因は本人だけでなく社会全体にあると思う。
摂食障害を患ったある知人の女性は、ミスコンの優勝経験もある美しいひとだった。彼女はある時期から食事を摂らなくなり、毎日のようにジムに通って激しい運動を行い、病的に痩せていった。彼女は骨のような姿になっても鏡を見て「頬にこんなに肉がついている」「もっと痩せなければ」とため息をつき、周囲の人々がいまの状態がいかに危険であるかを説いてもまったく効果はなかった。病室で面会した彼女に「いまの私はきれい?」とすがるような目で問われたことをいまでも忘れられないでいる。鏡が「ありのまま」を写しても、本人が「ありのまま」を認知できるとは限らない。
本作品の主人公エリザベスは、かつてオスカーを獲得し一世を風靡した人気女優だったが、50歳を超えてその知名度は下がるばかり。依頼される仕事も演技ではなく、エアロビ番組のインストラクター。その番組も年齢を理由に降板させられてしまう。一般人の私から見て、エリザベスは美しい女性だと思う。重ねた年齢は感じさせるが、鍛えられた身体も、手入れされた容姿も並外れている。街中でばったり再会した同級生から見ても同様だろう。しかし、芸能界という世界、そして芸能界で生きる彼女たちを消費する私たち、そしてエリザベス本人もそれでは満足できない。より若く、より美しい女性であること常に求める。
エリザベスはただ完璧を求めている訳ではないと思う。根底にあるのは「みんなに愛されたい」「認められたい」という果てしない欲求。ありのままの自分、50歳を超えて容姿が衰えはじめた自分は、芸能界で必要されない。芸能界だけではなく、日常生活でも必要とされない(周囲の男たちのエリザベスとスーに対する態度の明らかな違い)。そして、鏡に写った自分自身、老いた姿を受け入れられない。追い詰められたエリザベスは怪しげな再生医療サブスタンスに手をだし、欲望のまま破滅へと突き進んでいく。それはエリザベス個人の欲望の帰結でもあるし、そのように仕向けた私たち(社会全体、芸能界、芸能界を仕切る権力者、芸能界を消費する我々)の責任であり呪いだと思う。
私は誰かに呪いをかける前に、呪いをかけらていたと思う。私の見た目はエリザベスと違って不細工である。こどもの頃から「器量がよくないのだから、せめて笑顔でいなさい」「女の子なのだから常に笑っていなさい」と繰り返し言われて育った。なにも面白くないのに、笑顔を強要されるのはとても疲れる。絶対的な権力者である社長の前で、へつらうような、ぎこちない笑顔を無理やり浮かべるスーを見て息苦しさを感じた。こうした呪いは幼い頃からの刷り込みだけでなく、大人になってからも大量に付きまとってくる。そういうものをめちゃくちゃ研ぎ澄まされたナイフで眼前に突きつけてくる映画だ。老いたエリザベスが、若い自分自身に鏡に叩きつけられて殺されるシーンなんか極致だと思う。
それと、スーが担当するエアロビ番組の構成は、エアロビの皮を被ったアダルトビデオみたいで気味が悪かった。執拗に身体の線を辿るカメラ、尻や胸のアップ、スーがしゃべるのは最後にほんの少しだけ。スーの人格はどうでもよくて、若くて美人でエロい女の子がセクシーに身体をくねらせていればオールオーケーという馬鹿みたいだけどよくある番組。製作に携わるのは男性ばかり。「鼻の代わりに胸がついてればな」という採用担当者の最低な台詞。極端な気もするが、いまの芸能界の縮図なのだろうと思った。
映像はすべてテンポがよく、無駄がなく洗練されていて、スリリング。特に、星形プレートの使い方が面白くて強く印象に残った。ハリウッドウォークオブフェームにエリザベスの星形プレートが設置されるシーンから映画は始まり、プレート単体でエリザベスが世間から忘れられていく様、しかし彼女自身は過去の栄光にどうしようもなくすがり付いている様を淡々と容赦なく表現し、映画は終わる。
最後に。モンスターエリザベスの血を掛けられる観客の中に、私もいるのだろうと思いながら見た。私たち観客の眼差しが彼女をつくりあげ、結果として死に追いやったのだと。
主演女優賞、獲って欲しかった…
(今回はそれを読んだところで一切意味は解らないと思いますが、作品的な性質から判断して一応「ネタバレあり」としておきます。そもそも自分の表現が正しいのかも判断が難しいところですが、、、)
アカデミー賞授賞式から2か月以上が経ち、更に急遽「先行上映」が決まって明日から公開となる「某作品」に気を取られ、正直浮ついた心理状態で挑んだ本作。いやぁ、、ナメてましたね。。凄かった。「衝撃的」と言う表現が決して大袈裟ではないほど、観終わってしばらくは脳を支配されたような感覚に囚われます。ただし、身体の損壊や大量の血液など「ゴア表現」が苦手な方にはかなり負担になる描写が多く、ご覧になる際にはかなり注意が必要。その点は何卒ご留意ください。
それにしても、、カンヌで評価を受けるのは解りますが、本作がアカデミー賞「作品賞」候補に並ぶのもやはり、近年の「多様性重視」が考慮されつつあるレギュレーションの変更が大きく影響しているのでしょうか。ただそれなら、是非にもデミ・ムーアに「主演女優賞」獲らせてあげてよアカデミー会員の皆さん、、もう終わったことだけどさ。。勿論、『ANORA アノーラ』のマイキー・マディソンは素晴らしかった。だけど、本作のエリザベス(リジー)を演じるデミ・ムーアを見てしまうと、その他とは比べようのない「怪演」にもはや虜の私。更には「分身」であるスーを演じるマーガレット・クアリーとの相乗効果も相まって、どんどんと変わっていく容姿と、それでも抗えない欲望にもがき苦しむエリザベスを正に「体を張って」演じたデミ・ムーアは圧巻です。そして、阿鼻叫喚の最終形態から、ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに納まり安らかな表情で「レガシー」となっていくエリザベス。勿論、受賞した「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」の効果・影響も大きかったとは思いますが、とは言え、こんなの「他に誰が演じられるだ!」と思える唯一無二なデミの存在感に、もうただただ圧倒された142分。本当に素晴らしかったです。
そして、一見C級ホラーのような展開も、独特なカメラワークと編集、そして重低音で煽ってくるBGMでトントン拍子に進むストーリーは、特に説明的なことがされなくても充分に解りやすく、それでいてしっかり「人間の真理」を大胆に皮肉っていて可笑しくも刺さります。また、エリザベスに対してだけでなく、彼女(達)を消費する側に対する「壮絶な見返り・報い」もまた公平性を感じます。あれを浴びてしまった皆さま、明日も健康でありますように。
その見た目だけなら「ゲテモノ」に分類され兼ねませんが、観て味わえば、普遍的なテーマに対してユニークなアプローチで見事に表現された傑作。作品賞ノミネートが頷ける納得の作品です。あゝ観る前の浮ついた私よ、気持ちは解るがしっかり心してかかりなさい。
「ヘルタースケルター」かと思ったら「ザ・フライ」だった
若さと美しさを追い求めた女性が身を滅ぼすという話自体に目新しさはないが、年取った体と若い体の2つの体があって、1つの人格が、それらを1週間ごとに乗り換えなければならないという設定は斬新だと思う。
まるで昆虫が羽化するみたいに、年取った体の背中が割れて、そこから若い体が出てくるといった突拍子もないシーンも面白いのだが、出てきたのが若返ったデミ・ムーアではなく、彼女とはまったく別の顔立ちの女性であるところには、少なからず違和感を覚えてしまった。
ただ、こうしないと、若返った主人公に周囲の人間が疑念を抱いてしまい、物語が成り立たなくなってしまうので、これは、これで致し方ないのだろう。それに、顔が違う方が、年取った体の時と若い体の時とで、人格が別々になっていくという流れに説得力が生まれるので、逆に、この方が効果的だったのかもしれない。
特に、年取った主人公が若い主人公を妬み、若い主人公が年取った主人公を疎ましく思いながら、互いに相手に対する憎しみを募らせ、取っ組み合いの喧嘩(殺し合い)に至る過程からは、「人格は容姿によって決まる(のかもしれない)」という作品のテーマを垣間見ることができて興味深い。
エゴが暴走した挙げ句に生み出されるモンスターのグチャグチャ感は楽しいし、大晦日の特別番組での、血しぶき満載の阿鼻叫喚ぶりにも、突き抜けたような面白さがある。
その一方で、いくらデミ・ムーアの写真を顔に貼り付けているからといって、見るからにモンスター然とした主人公がステージに立てるのは不自然(「夢オチ」かと思ったら、そうでもなかった)だし、何よりも、あれでは、スーがエリザベスの変身した姿だったということが、劇中の登場人物に分からないのではないか?
ここは、スーが特別番組のステージに立った後、観客の目の前でモンスターに変身し、しかも、モンスターの正体がエリザベスだったとバレるという筋立てにした方が良かったのではないかと思えてならない。
それから、デニス・クエイド演じる下品で傲慢なプロデューサーには、もっと明確な形で鉄槌を下してもらいたかったと、少し残念に思ってしまった。
教訓のないイソップ物語
チョット前だったら渋谷の隅っこでレイトショーでやる様な映画が全国のシネコンでかかる事に時代の流れを感じます。
寓話的というか、マンガみたいな話というか、「笑ゥせぇるすまん」。作りもマンガ的なので多少物語が荒っぽくてもそれほど気になりません。
甘い誘いから提示される“約束"は当然全て破られるので安心して見ていられます。
以前よりSNS等の加工しまくったセルフショットを見るにつけ、「ありもしない美を自慢してどうすんだか?」と思っていたので、かなり共感できました。
「人間やっぱり内面の美しさが〜」だのと説教臭い事を言わない潔さには好感がもてます。
一方でスーに入れ替わった途端テレビCMの様なシズル感満載のカットになったり、プロデューサーの名前がハーベイだったり、各方面に喧嘩を売っていて唯のエログロナンセンスにはなっていません。
話運びのテンポも良く2時間超も長くは感じなかったので、「スーちゃん可愛いのに話し方がオバさん臭いのよね」とか
「スーちゃん普段着がちょっと古くて逆に新しいよね」とか
「スーちゃんカラオケで知らない曲ばっかり歌うね」みたいなシーンが欲しかった。
見慣れない撮影スタジオのロゴで始まったので、ラストの過剰な血しぶきも悪ノリ的に「結局コレがやりたかった」という様な悪趣味も許されたのでしょう。この監督さんが名前が売れて大手スタジオで撮る様になった時に牙が抜かれない事を願います。
【余談】
1月以上前にインスタだかyoutubeだかのオススメみたいな動画で最後のモンスター化した造形が出てきて、かなりデカ目のネタバレされてしまっていました。予告編でも隠してくれていたのでアレは知らないまま観たかった。
なので、オチは何となく分かってしまっていたので観るのをどうしようか悩んだのですが、十分楽しめました。
物凄い映画を観た。
期待値を色んな意味で超えてくる物凄い映画だった。
バランスを尊重しろ
美への醜いまでの執着
強欲は身を滅ぼす
まるで世にも奇妙な物語にでもありそうなテーマがど真ん中にありながら、この映画の伝えたいことは果たしてそんなことではない気がする。
ラストのステージで客席とステージにぶち撒けた血飛沫は観ててあっぱれだった。
予想し得る最悪の展開をゆうに上回る、1秒先でも目が離せない、常にサスペンションの効いた映画でした。
まさかの
ジョン・メリック
他にも昔ホラーにハマっていた頃に見ていたもののオマージュたくさんで楽しかった
エレファントマンのジョゼフさんは病気だからこれに使うのはどうだろうと思ったけど
老いを受け入れられないのも病気だよなあと
終盤のこれでもかってくらいのグロに吹いた
最悪(褒め言葉)な話を最高の演出で
スプラッターなのにスタイリッシュ、という点では「サスペリア」直系ホラー。例の正気を疑うほど真っ赤な長廊下とか、まんまではある。デミ・ムーアが文字通り身体を張り過ぎた熱演なのだが、それが却って(正しい意味での)役不足になっている感もあり。終盤の分身との対決シーンなど、老婆の特殊メイクをデミ・ムーアの女優力が貫通していて、「すべてを若い分身に奪われた哀れな存在」にはちょっと見えない。あやうく素手ゴロで勝ってしまうないかと思うようなパワフルさと貫禄である。最後のハチャメチャ血みどろな怪物オンステージは概ね期待どおりだったのだが、カタルシスの面ではもう一段ハメを外しても良かったと思う。クソみたいなプロデューサーもスポンサーも皆殺しにして、今までの脆弱な美の基準と決別、最強こそがもっとも美しい!と覚醒して摩天楼を疾駆するモンストロ・エリザの雄姿が見たかった…。真面目な話、美を消費してる側にその牙が届かないならテーマ的に片手落ちではないか。
「やっぱ年相応がいいんだよ」って
終演後、外にでたときに前で話してた60代くらいの女性客2人の会話に、深く頷いてしまった。
元が美しかった、その美しさを自分の存在価値だと思っているから、それが失われた時に絶望するのかな、と。
(胸や尻が垂れたり、背中の老いや腹の表現がすごく…つら…)
そういやヌード多かったけど、まったくエロティシズムを感じなかった。
前半は、母体と複製の両方を行ったり来たり、同じ人物のはずなのに相手を疎ましく感じるように…ってというところまでは老いることがテーマの近未来SF的な?と思って観ていたんだけど、後半の2人(1人?)が決裂したあとからがもう血みどろ&ぐろぐろモンスター化でえっえっなにこれ?え?状態になりました。血出しすぎじゃん…?薬品で分裂しまくってるから減らないのか?
後半はむしろ吹っ切れすぎてて笑えてしまった。
笑えると言えば、老化し始めたばかりのころにひざ痛に苦しんでたリズが、ボロボロ婆さんになった後の動き素早すぎないかw
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェームっていうんですね、あの星型の。
冒頭の、星型の上でくるくる回るのとか、最後のほうで伏線になっててよかった。(っていうかつらいけど。)
最後、車とかでグシャってされるのかとハラハラしてた…。
美の代償。
番組撮影終わりに女子トイレ故障で入った男子トイレ、そこへ後から入ってきた番組プロデューサーの電話のやり取りを聞き番組降板の危機を感じる50歳の誕生日当日の元人気女優エリザベスの話。
降板危機を感じながらのドライブ中の事故、搬送先の若手医師から…、自宅に戻りUSBメモリを開き知る“サブスタンス(活性剤)”を使用してみることになるが…。
人気落ち仕事減るで頼ってしまう違法薬品サブスタンス、…を使用し背中から分身スーを産み出し。分身を産み出し終わりでなく互いのメンテと決まった期間で入れ替わりと設定が面白い、用法用量を守りあくまでも2人で1人と決まりがある中で見せていくわけだけど。
自我が芽生え始めるスーの期間オーバーの代償で、エリザベスの劣化してく肌、狂い始めた2人の関係性にイヤな気持ち悪さを感じながらも巡ってきた司会、えっ?その姿で会場行く?が、怖さからちょっと笑いへ変わってしまって、「失望させませんから」と言うプロデューサー的な彼からのフリ、…挙句の腕から吹き出る血で血祭り騒ぎには何か笑っちゃった。
ラストの頭部が自分の名が刻まれるフロアに戻ってく姿は何か上手いなって思った。
愛されたい
昨年のカンヌ、米国アカデミー賞でも話題になった本作がいよいよ日本公開。
上映時間長いな〜とは思ってたものの、こんなにドギツくシツコくやってるとは思わなかった。途中からかなり笑ってたんだけど、ラスト30分くらいは「まだやるのか!」と笑いが止まらなかった…ww
冒頭から演出はかなり濃いめ濃いめなんだけど、それだけじゃなくデミ・ムーアの熱演とマーガレット・クアリーの完璧な美しさに息を呑む。それはもうやむを得ないンだけども、それじゃ駄目なのよ。ルッキズム、エイジズムへの渇望とその行き着く先、そしてそれのみで女性をジャッジする男性のギルティを裁く映画なんだから。
そしてその底流にあるのは、「愛されたい」という本能的な想い。誰もが誰かに「愛されたい」と思っている、がそれを得るためには相手の欲望に応えざるを得ない、という矛盾。ありのままで愛されたい、というのは身勝手なのか…?そういう問いだと思う。
サブスタンスのもたらす効果も奇想天外なものだったけど、ラストもヤバい。クローネンバーグ、リンチ、毒毒モンスター、キャリーから物体Xまで(最後はT2だよね…)、オマージュしまくってるのでは…?
ここまでやったんだからデミ・ムーアにアカデミー主演女優賞あげたかったけど、じゃあ「毒毒モンスター」に賞あげたか?って問題かも…
観る前に知っておいてほしいのは、これは誰がなんと言おうと、B級映画であり、ホラー・スプラッターです。気をつけて…
すっかりババァになったデミ・ムーアさんの熱演にして怪演。ルッキズムを笑い飛ばすボディホラー!オマージュてんこ盛りの闇鍋的佳作!
いやまぁデミ・ムーアもすっかりいい歳になりました。そんな彼女が選んだのがまさかのボディホラー。ボディホラーとは、身体の変形、損傷、奇形などを通して身体に対する恐怖や不安、アイデンティティの喪失などを描くホラー映画のサブジャンルの事(AIに聞いたw)
しかしこれがまぁホントよく出来きてる映画でした。
80年代を象徴するようなTVシーン・エロテックホラーの体裁をベースに、クローネンバーグやジョン・カーペンター、キューブリックの珠玉作品へのオマージュがオンパレードだもの。ラスト、公録スタジオ血糊の阿鼻叫喚なんかはこれ「キャリー」のオマージュかな?w 詳しくは実際に観て感じて欲しいぞ。
そしてデミ・ムーアがこの怪作への出演に踏み切ったのも、ルッキズムに対する問題提起を感じたからだろうか?? ババァになった裸体を惜しげも無く晒し体当たりの演技はとても好感が持てた。スーを演じるマーガレット・クアリーのナイスバディと美人っぷりも楽しめるが、エリザベスを蹴り殺す鬼女っぷりにも感心しきりだ。とにかくB級映画の体裁はあるものの、とんでもない佳作に仕上がっている。
…まぁ前の席にいたなんの予備知識もない風の初老夫婦は困惑の表情で席を立っていたけどw とにかくホラーが好きな映画ファンなら必ずハマるお勧め映画でございます。
耐え切れず去るか、呆れて去るかはわからないが、完走できる人はマニアだと思う
2025.5.16 字幕 イオンシネマ京都桂川
2024年のイギリス&フランス合作の映画(142分、R15+)
ある物質の注入により、自分の分身ができる世界を描いたファンタジックコメディホラー
監督&脚本はコラリー・ファルジャ
原題の『The Substance』は劇中に登場する薬の名前で、日本語訳は「物質」
物語の舞台は、アメリカのハリウッド
トップスタートして活躍してきたエリザベス・スパークル(デミ・ムーア)は、50歳の誕生日を迎えたと同時に、続けてきたフィットネス番組の降板を告げられた
プロデューサーのハーヴェイ(デニス・クエイド)は「若い女を探せ」と部下に焚き付けていた
その後エリザベスは、車を運転していた際に自分のポスターが剥がされているのを見てしまい、赤信号に気つかずに突入して事故を起こしてしまった
救急病院に運ばれたものの体に異常はなく、そこにいた看護師(Robin Greer)は意味深な言葉を囁いて、彼女のコートのポケットにUSBメモリを仕込んだ
病院から戻ったエリザベスは、ポケットからUSBを見つけ、最初はゴミ箱に捨てたものの、日を追うごとに不安が増して、それを再生してしまう
そこには「The Substance」と呼ばれる商品のPR動画があり、それを注入すると、「分身」が出来上がると言う
眉唾もので信用がならないと思ったエリザベスだったが、現状を変えたいと思い、そこにアクセスをしてしまった
映画は、エリザベスが指定された場所に行って「The Substance」を受け取り、それを使用する様子が描かれていく
どこまでがネタバレになるのかはわからないが、海外版トレイラーでもここまでしかわからないようになっていた
ネタバレ込みで続けると、「分身」と言うのは本当に分身で、エリザベスの背中を割って出てくる
それがスー(マーガレット・クアリー)と呼ばれる若い女性で、エリザベスの記憶と能力を持った上位互換となっていた
ルールはシンプルで、「7日ごとに交代する」「1日1回安定剤を射つ」「母体への栄養分を与える」と言うもので、そのルールは厳守すべきものとされていた
この手の物語は、1週目はルール通りに行うものの、2週目からアクシデントとか、ルール破りが起こるのがデフォで、案の定、2週目から早速やらかしてしまう
行きずりの男トロイ(Oscar Lesage)との一晩のために1日延長してしまったスーは、エリザベスに起こった異常事態を知らない
そうこうするうちにスターダムにのし上がったスーは、このチャンスを逃すまいと、交代時期を先延ばしにしていく
そして、とうとう安定剤が切れてしまい、交代せざるを得なくなってしまうのである
映画は、思ってたのと違うと言う系統で、グロ&クチャが大丈夫な人ならOKと言う内容だった
大丈夫かどうかの判断を文字で伝えるのは難しいのだが、個人的には「食べ物を粗末にする系がダメ」だったら「ダメ」だと思う
とにかく振り切った内容なので清々しさを感じるし、色んな映画のオマージュがあるので面白いのだが、前述の一点がダメなので2度と観たいとは思わない
テーマとしては、若さに対するこだわりとか、ルッキズム礼賛とか、テレビ業界の女性蔑視など様々あるのだが、それよりは「崩壊してもなお人前に出ようとする執着の怖さ」と言うものがあったように思う
エリザベスが鏡を見るシーン、スーのポスターを見るシーンなどが多用され、その比較に思い悩む描かれ方をされている
一方のスーは、自分の美しさを再確認するように見ていて、崩壊後もそこに自分自身だけを見ている
あの状態になってもなお、着飾ったり、ピアスをつけたりして人前に出ようとする
この時点ではエリザベスは後方でスーが前方なので、スーの意思によって動かされ、舞台に立とうとしている
なので、彼女には崩壊が見えておらず、いつまでも美しい自分であると思い込んでいるだろう
そして、観客の悲鳴と怒号を聞いて、現実の姿を直視することになったかな、と思った
いずれにせよ、未見の人からすれば何が書かれているかわからないと思うが、観たらわかるので、その後に再度訪れていただければ良いと思う
「The Substance」の活性剤は「1回きり」なのに「もう1回射てるようになっている」と言う罠があり、ある種の最終形態に行くかどうかの実験を行なっているように思える
男性の被験者はそこまで至らないが、女性だとそこまで至ってしまうと言うところがあるのだが、そこに追い詰めているのも男性側のようにも思える
だが、女性の中に内包されている欲望というものもあるので、女性の美の探求、若さへの執着と言うのは、商品としての価値だけには止まらない
映画では、それを武器にして成り上がろうとする女性がいて、それを求める客がいて、それで金儲けをしようとする人々がいる
そう言った社会構造はそう簡単には無くならないので、影を潜めたとしても、根本ではルッキズム信仰というものは消えないのかな、と感じた
タイトルなし(ネタバレ)
ネタバレ食らいたくなかったので明日も仕事で早いですが前夜祭レイトショーで参加しました。
※以下、人にはネタバレされたくないのに自分はネタバレするかもしれないので注意
最初聞いたときはクローネンバーグみたいな感じなのかなと思ってましたが、スチュアート・ゴードンみたいな映画でした。エイジズムとかルッキズムとか難しく語ることも出来るでしょうが、近年最高なボディホラーでした。終盤はまだ続くのか?と思ったのですが最高のラストが待ってました。
とにかくまた観たい1本です。
タイトルなし(ネタバレ)
要注意。老若男女閲覧要注意作品。
デヴィッド・クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』(1986)やコラリー・ファルジャ監督の『REVENGE リベンジ』(2017)のようだが、その2作より『サブスタンス』が怖い。なぜなら物語のテーマが身近な事だからだ。
メイクアップで受賞したが、特殊メイクシーン以外でも、トイレの後で手を洗わないとか、株主が全員じじいだとか、地味だが印象的なシーンばかり。地味なシーンの1つで "メイクを何度も直して、結局出掛けられない!" そう、おじさん同級生とデートしてたら引き返せたのかも知れない。モチロンそんな展開にはならずドツボにハマって行く。
その時 印象的なのは赤い口紅、赤いドレス。対照的なのは、何度も着る黄色いコート。黄色いコートはオープニングの "卵の黄身" を暗示させる。2回目を鑑賞するとどう感じるのだろうか。注意書きの「あなた達は1人だ」は使用者の「彼女と私は違う」となる。笑えるポイントと怖いポイントは変わるかも知れない。
ストーリーには深みが無くて、いかに "変化" の過程を異形で見せるかがこの映画の見どころ。
余計な部分は「些細な事」として無視する作りになっているのが最初から分かる。エアロビ後の控室が無い、薬の「支払いは?」、医療器具の取扱いが熟知してる、タイルの向こうの空間、お掃除のおばさんの退場、食料の買い物はいつの間に、全て歩いて行ける距離ばかりだ。そんなのは気にせずに "変身" を楽しもう。
マーガレット・クアリー(1994年生)はデミ・ムーア(1962年生)と『セント・エルモス・ファイアー』で共演したアンディ・マクダウェル(1958年生)の娘さんだと今回調べて知った。似ている。
公開日(5/16)の前夜祭上映(5/15夜)
仕事帰り:21:35~24:10
ちなみに、この『サブスタンス』がP.D.C※に選ばれている。シュリンプカクテルを食べながら観るのだろうか?
なかなか凄いチョイスだと思います。
※P.D.C:福岡のユナイテッド・シネマ キャナルシティ13には「プレミアム・ダイニング・シネマ」と言う、少し明かりがある場内で注文した料理をカチャカチャ音を立てて 食事をしながら映画を観ると言う不思議なスクリーンがある。利用した事は無いが、鑑賞中に追加の料理が運ばれたりするらしい。
【"母体と分身。そしてありのままの自分を認めなかった報い。”今作は、女優に若さと美のみを求める映画界への辛辣なメッセージを込めた予想を遥かに上回るグロテスクで、哀しきクリーピー&フリーク映画である。】
ー 冒頭、白身がドロッと崩れた古い卵黄に、注射器の針が刺され黄色い液体が注入されると、その卵黄から新しい卵黄がプルっと出て来る。そして、このシーンは、この映画のその後の展開を見事に示しているのである。-
■元人気女優の50歳のエリザベス(デミ・ムーア)は、朝のエアロビクスのTV番組に出演していたが、容姿の衰えからプロデューサーのハーヴェイ(デニス・クエイド)から首になる。彼女は失意の中、車を運転している時に事故に遭うが、担ぎ込まれた医院の若い医者から違法な再生医療の"サブスタンス"を提示され、手を出してしまう。
入手した薬を腕に注射すると、エリザベスの体内で細胞分裂が起こり、背中を破って若く美しいスー(マーガレット・クアリー)が、ぬめっと全裸で現れるのである。
エリザベスとスーの間でのルールは、一週間毎に入れ替わる事。だが、ハーヴェイにその美しさを絶賛され人気が爆発したスーは、入れ替わりの頻度を徐々に、伸ばし始めるのである。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・今作を観て思ったのは、デミ・ムーア姉さんは、良くエリザベスの役を引き受けたなという事である。後半の展開と異形に変貌していく姿は、美人女優としてキャリアを築いて来た彼女にとっては、演じるのが相当の覚悟が必要だったと思うのだが、それを演じ切ったデミ・ムーアの痛烈なるメッセージ
”映画界は、女優の若さと美貌のみを尊いモノと思ってんじゃないわよ!”
という思いが、ビシバシと伝わって来た怪演であった。流石、デミ・ムーア姉さんである。
・デニス・クエイド演じる下品で女優の"表面的な若さと美"のみ追求するプロデューサーのハーヴェイは、どう見てもセクハラ大魔王で、映画界を追放されたハーヴェイ・ワインスタインを皮肉っているのである。あの役を見ても、女性であるコラリー・ファルジャ監督の今作に込めたメッセージが分かるのである。
・マーガレット・クアリー演じるスーのエロティックな肢体がコレマタ物凄く、こんな女優さんだったんだ!とびっくりしたモノであるが、エンドロールを観たら、ヤッパリ映像加工していたね。凄いなあ、映画技術の進歩。
・途中からのエリザベスとスーの入れ替わった際に、抜け殻のようになった相手の身体に栄養剤を注入するシーンもナカナカだったが、スーが自分がスポットライトを浴びた事で、入れ替わりの時期を徐々に伸ばしたがために、目が覚めたエリザベスの人差し指が老化している事に気付くシーンは怖かった。だが、その後にもっとトンデモナイ展開になって行く様は、正に強烈なる反アンチエイジングホラー映画である。
■物凄く嫌だったシーンは数々あれど・・
1.スーが、一週間毎に交代するルールを守らなかったために、エリザベスが目覚めた時に、髪は抜け落ち、背中は曲り、顔の半分が崩れている姿を鏡で見て、絶望的な表情になるシーンである。エリザベスは慌てて違法な再生医療施行社に電話するも”元には戻りません・・。”と機械的に流れるメッセージ。嫌だなあ。
2.スーが、エリザベスが自分に打った”中断”の注射のために、鼻血が止まらなくなり、老婆と化しているエリザベスを鏡に何度も打ち付けて、血だらけにするシーン。”分身が母体を殺すと・・。”ウワワワ・・。
で、大晦日の番組の司会にハーヴェイから大抜擢されたスーが、青いドレスを着て鏡を見ていると、根元から歯が抜け落ちるシーン。嗚呼、嫌だ、嫌だ。スーが前歯を自分で引っ張ると次々に抜けていくのである・・。
序盤から何度も映される真っ赤な廊下は、”シャイニング””サスペリア”などの傑作ホラー映画を想起させるが、あの廊下で歯が抜けたスーに、ハーヴェイ達が”笑顔を見せないと・・。”と迫って来るシーンも嫌だったなあ。
<エリザベスが更に"ラスト"の注射を打つと、細胞分裂の暴走により、最早人間の姿ではなくなっているにも関わらず、満員の聴衆の待つステージに立つシーンは、哀しくて、且つグロテスク過ぎる。身体の中から落ちる萎びた乳房。身体のヘンな位置にある顔。飛び散る血膿。泣き叫ぶ子供。"怪物を撃ち殺せ!"と叫ぶ男性客。
そして、ドロドロの顔のみになったエリザベスは、序盤にも彼女の凋落の象徴として描かれた”ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム”に埋められた自分の名が記された星の上に辿り着くが、翌朝、清掃員により綺麗に掃除されて無くなるのである。実にシニカルだなあ。
今作は、女優に若さと美のみを求める映画界への辛辣なメッセージを込めた予想を遥かに上回るグロテスクで、哀しきクリーピー&フリーク映画なのである。>
アカデミー賞は
デミ・ムーアにとって欲しかったかな
マイキー・マディソンもすてきだし、よかったけど。
マーガレットさんもきれいで頑張ってたし、男性のサガを象徴してるような名前のプロデューサー
を演じたデニスクエイドもノリノリでしたね〜
蛍光薬剤を提供してんのはどう考えても悪魔ですよね、美や名声を求める人間の業の深さ
を念頭においたシステムで魂の崩壊、必至なアイテム
監督さんは今作はアメリカ製で撮りたかったのでは。
それを商業ベースで許す、というか成立させるアメリカの映画はすごいなーいろんな意味で。
遊星からの物体X、チェストバスター、フライとキャリーでトラウマな方は観ないことをオススメいたします。
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