「前評判どおり、よかった」国宝 さささんの映画レビュー(感想・評価)
前評判どおり、よかった
すごいらしいと聞き、ロングランになってなお大きな劇場で上映しているのを観に行った。席は平日昼に関わらずかなり埋まっていた。
3時間近い大作、どう終わるのか?どこで終わるかと思ったら、まさにタイトル通り国宝になって、見たかった景色を見たところで終わった。
「ああ、綺麗やな」
こちらから見るとそんなに綺麗な景色に見えなかったがそんなものということだろうか。
終わり方も、ここから老いていくようす、後継者、死後などは蛇足であり、この映画としてはこれでいいのだろう。
1人の人間の生涯を追う、兄弟のような相棒と切磋琢磨する、順風満帆でなく芸から離れる時期、彼女を寝取られる、芸の世界とヤクザのつながり、時代背景全体に昭和元禄落語心中を思わせる作品だった。
芸事の道には、何やら狂気が潜んでいるようである。
それに歌舞伎界の血筋というテーマを足した感じか。
生まれというのは自分ではどうしようもないもの、なのに残酷に、大事な舞台に立つ前に、血のつながりを意識させられる。
逃げた坊の分まで、芸を磨き襲名も勤めたというのに、お師匠は今際の際に坊の名を呼ぶ。
襲名しても冷遇されたのは、血筋でないからか、週刊誌のすっぱ抜きの影響だったのか。そもそも、週刊誌がすっぱ抜くのも、後ろ盾がなくて握り潰せないというのもあったのかもしれない。
映画では何か端折られたのかもしれないが、人間国宝から声がかかって歌舞伎の世界に戻れたのはどういうわけだったんだろう。
世間を騒がせて数年経ってほとぼりが覚めたから?
そして血のつながりがあるからこそ、坊も糖尿病になる。足壊疽で入院してるのにバナナをたべているところ、まさに糖尿病患者だった…。
春江はどうして喜久雄でなく俊を選んだんだろう。喜久雄が見ているのは芸事を極めることで、自分は必要とされてないと感じたのかな。求婚されたのに、「1番の客になる」って答えるってそういうこと?しかし長い付き合いで、よりによって兄弟分の俊の妻になったのに、俊も死んでしまって、その後も長い時間一緒に過ごすというのが数奇な運命、というか、単純に気まずくないのかなぁ。さすが、こういう世界、狭くていろいろありそうではあるよね。
悪魔との契約の末路なのか、喜久雄の子は歌舞伎役者になれない娘だが、俊の子は息子。その息子に稽古をつける。どういう思いなのか。そこは掘り下げられなかったけど、ほんとドロドロだよね。
結局、人生幸せかどうかなんて、自分が決めることだ。周りは勝手に評価してやいのやいの言うのだ。
喜久雄は、血筋がないために苦労した。それも俊と兄弟のように育てられているからこそ、時折見せつけられる差が苦しい。芸をどんなに磨いても襲名しても、世間から「取り入って盗んだ」と見られる。仕事もない。
そして悪魔との契約のせいなのか、結婚したかった彼女は兄弟ともいえる親友に取られるし、子どもとも一緒には過ごせない。まあこれは、本人も家庭を大切にする気はなさそうだったけど。
さらには親友も亡くし、あるのは芸だけ。
それを、終幕のインタビューでは「これまでまさに順風満帆でしたが」などと言われる。全く、世間というのは勝手なものだ。
また、突然娘が現れて、「あなたのことを父親だなんて思ったことはない」だの「いろんな人の人生を犠牲にして」だのと恨み節を言われる。神の視点で物語を見ている私たちからすれば、芸妓との付き合いは互いに同意のようで喜久雄はそんなにひどいことをしているようには見えなかったが、娘の立場からしたらそれは大変だっただろう。まあ2号の立場は本来充分な経済的支援があってこそなのに、それがなかったのは大きいか。その上で放浪されてしまって会えなくもなったら娘が恨むのは仕方ない。
しかし血筋でないからこそ、糖尿病は患わずに長生きできて、国宝になれたのだ。まあ、血筋でないものが国宝になれるというのが、そこはお話だからで現実ではないのかもしれないが。
でもそうだなぁ、歌舞伎なら定年もなく最期までできるし、ましてや人間国宝になったらもう仕事がなくなることはないし、生涯現役で歌舞伎ができるというのは、この手の人にとっては最高の人生かもしれない。最高、は言いすぎか。プライベートで手に入らなかったものは大きかったけど、一番ほしかったものは手に入れた。あれもこれもで頂点に立つのは無理だということよね。中途半端では極められない。
2人して人間国宝になりたかったのかはわからないが、俊はといえば、あれもこれも欲しがりだ。少し売れれば派手に遊び、もちろん大きなことではあったけど、父の代役を一度取られただけで、そこから奮起するのではなく、親友の女を奪って逃げる。父が死ぬまで顔を出さなかったくせに、死んだ途端に陽キャなままで帰ってきて、喜久雄のこれからというところの仕事を奪っていく。この、どのツラ下げて?っていうところのハートの強さは、ボンボン育ちって感じだよね。その仕事が入ってくるのも血筋もあるのかな。それは、俊は意識できてないだろうけど。それとも、パッとやってきて自分より芸に通じ、父から認められた喜久雄に対する仕返しなのだろうか。父の借金は一体どうしたのか。
喜久雄はそういう恨み言は言わないけれど、どっちかっていうと俊の方が酷いことしてるように見える。才は天賦が与えるもの、喜久雄は真面目に芸を磨いただけなのに、嫉妬しただけじゃねぇか。
帰ってきたところで、2人で力を合わせてってわけには行かなかったんだろうか。それだと俊が見劣りしちゃうから、あのおかみさんあたりが認めなかったのかな。おかみさんは息子可愛さはあるにしても、旦那の作った借金を返してくれていた喜久雄に対してあまりにも冷たいんだよなぁ。取り立ててやったんだからそのくらい当たり前だとか都合のいい解釈をしているんだろうか。怖いなぁ、一緒に育てていても情はうつらなかったんだなぁ。それか喜久雄が仕事ほしさに下手こいたのがそんなに良くないことだったのか。もしかしてそういうことなのか、あのお嬢さんと別れて、お父さんが許したことも歌舞伎界に戻れた一因だったのか。
話はそれたが、俊は妻も得て息子も生まれたが、病に倒れる。でも義足で舞台に立つ、前向きな人間だ。それこそ血に守られているのかも。血に守られていると意識しなくても、深層心理で思っているような、ボンボンならではの自己肯定感の強さがある。息子にも怪我したらどうするといいながらバスケットボールをやらせてあげているし、ほんとに悪いやつじゃないんだ。
それに、放浪から帰ってきてからは俊は自分の才を受け入れたように思う。「それがあって今がある」と言っていたし。最期は国宝にこそなれなかったが自分の納得する曽根崎心中を演じられた。ただ命は長くなかった。もしかしたら、国宝になれなかったことより、舞台に立つ時間が短かったことの方が悔やまれたのではないだろうか。子どもの行く末を見守れないことも。いや、そんな感想は凡庸がすぎるかもしれない。子どもの行く末を気にする人間か?でも家族というものに対しては喜久雄とは対比的に描かれているし、その辺りは俊はそう言った愛情を持ち合わせていそうではある。
そんな俊との別れの時間。
お初役の俊の足を手に取り頬ずりするシーン。
本当にいろいろあったけど、この2人は他の人にはわからない強い絆で結ばれている。
彼女を寝取られても、仕事をとられてもなお、喜久雄はこの性根の明るいボンボンを嫌いになれなかったし、どこか憧れもあったんだろうし、一緒に過ごした時間は宝物だったことが伝わってきた。
喜久雄と俊は対照的だ。そういう意味でも、やはり人間国宝になるような、何か1つ突き出た才能というのは、多くの一般人とは違うし、孤独なんだなと思う。
でもそれが良いとか悪いとか、幸せか不幸かなんて、外からみてる人間は何も言える筋合いはないのである。
喜久雄が歌舞伎界に呼び戻されたとき、質素な古アパートで当時の人間国宝が1人寝ている。
坊が親から受け継いだ立派な家で、素敵な調度品に囲まれて暮らすのと対照的である。
そういうことなんだな。
あくまで舞台上で綺麗な景色を見るために。
それだけが目標で生きていく。
それ以外は望まない。
そういうものなんだろう。
そこまで突き詰めるからこそ国宝なんだろう。
いい映画だった。
評判の高かった吉沢亮のみならず、横浜流星も良かったよ。
印象を選ぶにしても、当てはまる言葉がなくて。
なかなかにドロドロな、人間の業の詰まった展開ではあるんだけど、全部昇華されて、言うなれば「美しいものをみた」という感じ。
見るのに3時間かかるけど、全然無駄じゃなかったよ。
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