「羨望と絶望」国宝 Dr. Yuさんの映画レビュー(感想・評価)
羨望と絶望
多くの方が、ストーリーの細かな部分が抜けていて、なぜそういう展開になったのか、後から思い返しても納得できない、という評判を寄せているように見受けられますが、個人的には全く異なる見解を持ちました(原作を読んだ方からすれば、そのように説明的な描写が少なかったのは気になったのかもしれませんが)。
一度世話になった丹波屋から抜けて、その後に半半コンビとして歌舞伎の日の元に返り咲けた理由やエピソード、またアキコはその後どうなったのか、俊介とハルエがどのような生活をして、なぜ丹波屋に戻ってこれたのかなどは、あくまで蛇足でしかないと思いました。かえって、それらの描写がないからこそ、喜久雄やそれを取り巻く周囲の人間の深淵を際立たせていたものと思います。
国宝の中でも、個人的に取り分け素晴らしいと思ったのは、衣装・メイク・キャスティング・演技はもちろんですが、映画のや構成やシーンごとの表現方法でした。
人間というよりも、歌舞伎役者としての本質が強く、真の役者に近い喜久雄に対して劣等感を抱き、支えながらも喜久雄のようになれない俊介は、より人間らしさを醸し出す人物として描かれていました。インタビューに対する受け答えが国宝になってからもぎこちなかった喜久雄の描写からも読み取れるように、この2人は最後まで非常に対称的に描かれていたように思います。
喜久雄のようになれないとわかって、それでもなお芸の道を投げ出せずにハルエと歌舞伎を続けていた俊介は、最後の舞台において、周りの人間が、「あんな風に生きれない」、そう思うような、人間離れした演じ方をします。演技もそうでしょうが、足を切断し、もう片方の足も壊死しかかっている、演技中に症状がおそらく増悪し、限界を迎えているだろうにもかかわらず、人間を超え、役者として死ぬ、そういう生き様が現れていました。最後の舞台で、自分が憧れた真の役者になれたのだと思います。そんな俊介の思いに気づいていたからこそ、限界を迎え芸の途中で倒れた俊介を喜久雄は鼓舞していたのでしょう。そして、これが俊介が舞台で演じる最後の役だと分かっていたからこそ、俊介を殺すことに悩み苦しんでいたような、そんな喜久雄の心情がひしひしと伝わってくるような演出でした。家庭環境に恵まれず、空っぽに近かった喜久雄と、厳しい指導を受けながらも家族に愛されていた俊介の生活環境が2人をそうさせていたのかもしれません。
「国宝」に認定され、自身の追い求める景色に近づきつつある喜久雄は、幼いころに見た万菊を彷彿とさせるような「恐ろしさ」を体現します。恐ろしさの中にも美しさを感じるような超越的な表現は、喜久雄と俊介が万菊の演技から感じ取ったものでした。映画の最後で喜久雄が演じた「鷺娘」は、舞台袖からその演技が完結するまで、その恐ろしさをひしひしと感じるような、ともすればそこに寒気を覚えるようなBGMや演出で仕立てられていました。これは、喜久雄が万菊のような領域に近づいた、あるいは到達した、ということを示唆しているのだと感じました。俊介と二人で最後に演じた「曾根崎心中」では、人間的な葛藤や情動などが演技の中で感じ取られ、喜久雄の中にも、真なる役者としてだけでなく、人間的な部分が感じ取られましたが、まさにあの表現とは真逆です。また、娘の綾乃や藤駒のことを忘れていなかった、ということも喜久雄の中の人間的な部分を叙述しているように思えましたが、最後の鷺娘では、孤高の役者としての芝居、その世界観が堪能できるような演出でした。
私がとりわけ感動したのは、喜久雄が追い求めた美しい景色、それを目にすることができたその最後のシーンの描写です。私たち観衆は、その抽象的な景色を見ている喜久雄を背後から見ていることしかできず、また、その喜久雄の表情や目を介してしか、喜久雄の求めた景色を感じることができませんでした。どれだけ孤独に苛まれても、血に恵まれなくても、人に蔑まれても、否定されても、どうして自分が歌舞伎を続けてしまうのか分からなくても、それでもその景色を追い求め、人間性を超越し、真の役者であろうとし続けた、そして成し遂げた者にしか到達できない景色なのだと、痛感させられるような描写だったのです。とてつもない淋しさが、私の中にはありました。
1人の人間として、家族や環境にも恵まれて生きている私は、一体どれだけのことを犠牲にして、どれほど努力をしたら、こんなに夢中になれるものに出会えるのだろう、そんな絶望と喜久雄への羨望で胸がいっぱいになりました。
それすらも忘れさせるような圧倒的な鷺娘での吉沢亮の演技、恐ろしい中にも幻想的な美しさを感じられる喜久雄の演技は、だからこそ人を魅了し、実の娘の悔恨すらも、感動で上書きしてしまうのでしょう。
この映画を通して、俊介が感じたような憧憬と絶望が、私自身の中にもあることに気づき、どんでもない名作かつ怪作に出会えたのだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
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