劇場公開日 2001年3月17日

「時々、滑稽」ブラックボード 背負う人 ku-chanさんの映画レビュー(感想・評価)

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5.0時々、滑稽

2020年4月6日
PCから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル

サイード(Said Mohamadi )とレーボアル(Bahman Ghobadi )が算数やペルシャ語を教えに黒板を背負って各地(ここでDezleという場所に行ったらしい)に行く。でも、教える生徒は見つからないようで、イランの北東の山間部に入っていく。そこで二手に分かれて、それぞれ別の危険な道を進む。まず、イラクイラン戦争のなか、自分の危険を承知で教えにいく先生に感謝したい。私だったら一抜けたというかもしれないから。

サイードが最初会った人から頼まれて手紙を読んであげるが、その手紙がペルシャかアラブかクルド語かわからないというけど、言葉の通じない国と戦争をしてるというジャックソンブラウンの歌の一節を思い出した。クルドの難民の団体がイラクに戻りたいけど帰り方を知らない国境を教えてくれとサイードに聞く。化学兵器を怖がるクルド民族。(以前、サダン フセインがこれをつかってクルド人を殺したからだ。)今、難民がしたいことは自分たちの土地に戻ること。その名前は、忘れたが、イラクに近いイラン側にあるクルド人の居住地だ。この大人が読み書きの喜びを知らないし読み書きがなんなのかも知らない。必要性を全く感じていないし交渉言語だけよく、自分の土地に逃げて無事に帰ることしか考えていない。現実的に不便さを感じていないから教養を身につけるなんて考えもしない。

リーボアが会った少年たちは密輸の商売品を運んでイラク側にいく仕事をしているが、読み書きは役に立たないという。
読み書きを知らないから役に立たないと思う。知った時の喜びを味合わないから役に立たないというと思う。子供はロバのような役割をして輸出入で盗んだ重い荷物を背負ってイランとイラクを行ったり来たりして運ぶ。算数を教えようとするが、数を数えるのはボスに必要だが、ロバの代わりの少年たちは運んでいるだけだから必要ないと。少年にとっては先を見られない。生活、戦争で今を生きるので精一杯。

黒板の役割が形骸化して、担ぎものになったし足をくじいた時のサポーターになったのがいい証拠。
難民や未成年労働者であり底辺の世界で生きている人々と、教養を積んで教えることだけにしか目がいかない先生の二つの異なった世界。

ロバのように働く子供が話をしても先生は自分の話を聞かせようとする。伝統的なイランの教育らしい光景。
先生中心すぎると生徒の学習動機が上がらない。教えることに熱心なのはいいんだけど独り相撲なんだよね。相手は学ぶことに意味を見つけ出せないんだよ。このギャップをどう埋めるかが先生の器量の見せ所なんで、この映画は時々滑稽なんだよね。

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