製作:東宝
脚本:黒澤明、植草圭之助
出演:志村喬、三船敏郎、木暮実千代
1948年/98分 (C)1948 東宝

 初めて名画座で「酔いどれ天使」を見たのは、「仁義なき戦い」シリーズが席巻していた1970年代半ばだった。同じ戦後の闇市を背景に、笠原和夫が創造したずっこけヤクザたちが織り成す<人間喜劇>と、リーゼントとダブルの背広できめた若きヤクザ松永(三船敏郎)の悲愴な末路を描いたクラシックは、意外に近しく思えた。後に笠原の映画的な原点は「酔いどれ天使」だと知った。

 何度見ても、ムショ帰りの中年ヤクザ岡田(山本礼三郎)が「貸してみな」と呟き、ちんぴらが弾くギターを取り上げて、不気味なメロディを爪弾く名場面に痺れる。笠置シヅ子が歌う狂躁的な「ジャングル・ブギ」、どぶからメタンガスが吹き出る闇市を、絶望した肺病やみの松永がさまよう場面に流れる<郭公(かっこう)ワルツ>の明るい旋律。お得意の<対位法>が初々しいまでに躍動している。無名の新人だった三船のみならず、天才作曲家早坂文雄との決定的な出会いの刻印が全篇を貫く、黒澤明のもっとも至福にみちた傑作だ。




製作:新東宝
脚本:黒澤明、菊島隆三
出演:三船敏郎、志村喬、淡路恵子
1949年/122分 (C)1949 東宝

 小生が生まれた1949(昭和24)年の秋に公開されたという事実。この感慨が観るたびにおこる。ひたすら暑い夏、むろん冷房などないむしむしと暑い満員のバスで拳銃をすられた村上刑事(三船敏郎)が、先輩の佐藤刑事(志村喬)の協力をあおぎつつ、拳銃を求めて歩き回る。敗戦から立ち直りかけた街と食い詰めぎらつく人、人、人の汗の活写。暑い、それ以上に映画が熱い。黒澤が熱い。奪われた拳銃による事件が連続し、三船を追いつめていくが、若き日の三船のなんという存在感、かっこよさ。戦後の疲弊をぶちぬく熱さが彼の全身から匂い立つのである。

 奪われた、あるいは失われた拳銃というテーマは、今世紀に入ってはたとえばジョニー・トー「PTU」、ルー・チューアン「ミッシング・ガン」といったアジアン・ノワールに秀作が続いたが、起点はなんといっても「野良犬」だ。舌をだしあえぐ犬の顔のアップに「野良犬」の筆文字がかぶるというタイトル・デザインは昔も今も斬新強烈。




製作:東宝
脚本:黒澤明、橋本忍、小国英雄
出演:三船敏郎、志村喬、津島恵子、藤原釜足
1954年/207分 (C)1954 東宝

 生まれる前の名作に出会えたのは、完全オリジナル・ノーカット版公開と銘打たれた1975年のリバイバル。短縮版を見てきた一世代上では、巨匠を否定することで映画通を標榜する頭でっかちが幅を利かせているという噂は知っていたが、菊千代と同じ“当年とって13歳”の僕は、これぞ純粋な映画的ダイナミズムの極致!と小躍りした。シンプルで強い物語が作動したかと思えば、彫り込まれたキャラが生き生きと動き出し、怒濤のクライマックスが押し寄せる。いわば「アバター」に至る神話的大活劇のルーツといえよう。

 大学で映画を学び始めた頃、新宿ゴールデン街の店で黒澤組トーク付き上映会があった。土砂降りの中の合戦で走る侍たちの、振り上げる手足の速さが異様だと感じており、「あれはコマ落としですか」と斎藤孝雄キャメラマンに訊ねてみた。返ってきたのは、「クロさんは小細工が嫌いだから」という答え。嘘か誠か。腑に落ちず、ならば回転異常で20コマ程度になっていたのでは、と傲慢不遜にも心の中で呟いた。エモーションを技にくるんで如何に魅せるか。映画のテクニカルな側面を、強烈に意識するきっかけになったバイブルでもある。




製作:東宝、黒澤プロ
脚本:黒澤明、菊島隆三
出演:三船敏郎、仲代達矢、司葉子、山田五十鈴
1961年/110分 (C)1961 東宝

 「用心棒」は不朽だ。不朽の名画という意味ではなく、娯楽映画史の転換点となったという意味で不朽なのだ。西部劇発→用心棒経由→マカロニウェスタン。もはや映画史の常識だが、こんな役割を果たした日本映画は、ほかにそうそう見当たらない。

 「用心棒」は名文で描かれた劇画だ。ダシール・ハメットの原案があろうとなかろうと、話はとくに新鮮ではない。小さな町で対立するギャングの二大勢力と、彼らを共倒れさせようとする浪人の跳梁。似たような話など、すぐに思い出せそうではないか。にもかかわらず、全篇を貫く照明術や撮影術や編集術は膝を打ちたくなるほど華麗で的確だ。

 もうひとつ強烈な魅力は、やはり三船敏郎の肉体だろう。砂埃の舞い上がる広場に立つときも、床下や棺桶といった狭い場所に閉じ込められたときも、三船の肉体は速くておかしくて豪気だ。機略に満ちた肉体と空間が競り合うと、娯楽映画には血が通いはじめる。




製作:東宝、黒澤プロ
原作:山本周五郎『日々平安』
脚本:黒澤明、小国英雄、菊島隆三
出演:三船敏郎、仲代達矢、小林桂樹、加山雄三
1962年/96分 (C)1962 東宝

 おっとり、まったり、ホーホケキョな笑いもそろりと盛り込んで前作「用心棒」ばかりか“黒澤映画的なもの”からも果敢にそれていく。まずはこのノンシャランな逸脱ぶりが素敵な快作。だがワイドスクリーンの横長のフレーム、詰まった奥行きを睨んで置かれる1人と9人、一匹狼/三十郎とお坊ちゃま侍の群れの対比の構図でぐいぐいと物語りする黒澤の技も見逃すわけにはいかない。開巻、お社での決起集会の場を手始めに個対組織の図を小気味よくカットバックすることで、映画は活劇要素を封印しつつもお家騒動の退屈寸前の顛末に、動のスリルを付加していく。血飛沫よりはその素早さ、潔さに見惚れたい1対1、“抜き身の刀”同士の愛ある対決から三十郎の退場まで鞘/システムに収まる群れと収まれない独りとをもう一度、見比べて鮮やかに浮上する主題。加速度的に高まる共感。

 そういえば、アルトマンが影響を受けた監督のひとりにクロサワの名をあげていて驚いたのだが、ふたりの間に“抜き身の刀”への思いを置くと案外、すんなり結び目がみつかるかもしれない。



──黒澤映画の魅力はたとえモノクロ映画であっても、独特の色味を白黒画面の中に感じることだと思うのですが……。

野上照代(以下、野上):黒澤さんが色(カラー)を使ったのはずいぶん遅く、「どですかでん」から。その前もカラー映画がイヤだということはなく、「椿三十郎」でパートカラーを使おうとしたのが最初です。あの赤い椿と白い椿の、赤だけをパートカラーにしたかったんです。今だったらコマーシャルでビールの色だけ付けたりしていますが(笑)、当時は大変。椿を赤く塗るのは簡単だけど、まわりに色が移っちゃうから、ずいぶん苦心惨憺したけれどできなかった。モノクロ映画で赤く見えるのは、実際は黒い椿です。そこで、赤い椿に見える本当の黒は何色かっていろんな黒色を試して実験しました。美術学校のアルバイトを雇って、椿の造花にペンキや水彩絵の具を塗って、順番にキャメラテストしたんです。「赤を感じる黒」を探したんですね。そのパートカラーの雪辱戦は、「天国と地獄」の煙突のけむりで成功しました。

──反対にモノクロ映画の白色を出すために、デンマークのカール・T・ドライエル監督が遺作「ガートルード」(1964)の中で白い壁を表現するのに、黄色やピンク色に塗った逸話は有名ですね。

野上:それ、黒澤さんに教えてあげればよかったわね(笑)。黒澤組のキャメラマンの中井朝一さんが、「カラーにどうしても負けるのは赤だ」とおっしゃっているの。カラーだと赤、とくに血の色がどぎつく映るんです。「椿三十郎」では、赤い椿を小川に流すのが重要なシーンだったので、椿の造花に塗ったんです。あの椿の花が1個50円だったかしら(注:当時、タバコのピースが1箱50円)。それで小川に流す花は全部シリコンを塗って水に浮かぶようにしたので、大変でしたね。

──そんな高価な椿の花を、三船敏郎さん演じる椿三十郎は悪い家老一味を騙(だま)してドカッと川に流させますよね(笑)。黒澤監督はセリフよりも画で見せきる監督で、シーンひとつひとつにアイデアが詰まっています。「用心棒」の上州の宿場町ですが、荒んでいる様子を死体の手首をくわえた野良犬のワンカットで見せるのはすごい芸当です。

野上:あの手首は、黒澤さんのアイデア。助監督さんたちに「主人公が宿場町に来て、一発で町の荒み具合がわかるいい方法はないか」と相談したんですって。助監督(監督助手)だった出目昌伸さんに聞いた話だけど、黒澤さんに「黒い固まりがあって、それが実は黒いカラスで、飛び立ったあとに死体があるというのは?」と意見したところ、黒澤さんはしばらく考えて「ちょっと文学的すぎる」と却下したそうなのよ。あの手首は、撮影を終えて帰ろうとした黒澤さんが、馬込の宿のセットの地面に落ちていた照明部のゴム手袋を偶然見つけてギョッとしたことで、アイデアとして取り入れたんです。出目さんは、「やっぱり黒澤さんに負けた」と悔しがっていました(笑)。

──撮影現場でそばにいらっしゃると、「さすが!」と思わされることもさぞかし多いんでしょうね。

野上:ええ。監督は画のことを常に考えていて、適確に表現しますからね。画の力がすごい。黒澤さんは、「最初のワンシーンで映画の人物がいるシチュエーションを説明的ではなく見せたい」と言っていました。「悪い奴ほどよく眠る」の冒頭の結婚式の場面は、コッポラ監督の大のお気に入りのシーンで、新聞記者たちの会話で、登場人物の説明をする。観客にわかりやすいのが黒澤映画の長所ですから。

──今回の「黒澤明/生誕100周年」は、全30作品が一挙上映されるのが画期的なことですよね。どの作品もセリフなしであっても、完璧にストーリーテリングされているから「世界の共通言語」になっている。無声映画のように画の力があって。

野上:初めて黒澤組に入ったのは「羅生門」ですが、アベル・ガンス監督の「鉄路の白薔薇」(1926)とかを見て、無声映画を研究していました。「いっぺん無声映画に戻るんだ」って。(キャメラマンの)宮川一夫さんが雨に墨汁を入れた逸話も有名ですけど、俳優がいる雨のシーンでは使わず、キャメラを空に向けたカットだけ使っています。白黒映画では雨粒が見えなくなるから、宮川さんが「墨汁を入れてみたらどうや?」と提案して何カットか撮っていますね。そういうアイデアでいえば、カラー映画の「どですかでん」で、天気の悪いとき、地面に墨を吹きつけて家の影をつくっています。あれは「トラ・トラ・トラ!」(70)の後で、病気降板じゃなかったと説明したかったために、スケジュールも早く、予算も少なく作った“優等生”の映画でしたね。だから予算もめずらしく余りましたよ。

──黒澤監督の絵コンテってアートでもありますね。

野上:あのカラフルな絵コンテは「デルス・ウザーラ」から。だって、ロシア人スタッフに言葉が通じないじゃない。それで絵コンテを使って詳細に説明する必要があったんですよ。本格的な絵コンテは「影武者」からで、あの絵コンテは、映画がもし実現できなかったとしても、こんな映画が撮りたかったのだ、と後世に残したかったからなの。

──モノクロ時代はどんな絵コンテを描いていたんですか?

野上:ああいう(カラフルな)絵コンテは描いていませんね。黒澤さんが撮影所に来たら、その日撮影するシーンの撮影の仕方、つまりコンテを、スタジオの机の上にあるわら半紙や折り込み広告の裏なんかに走り書きしていたんです。「用心棒」では、ヤクザ者の顔なんかを克明に描いていましたね。絵を描くのが好きな人でしたから。ヒマさえあれば、ずっと絵を描いていました。

──黒澤監督がいちばん撮影に苦慮したシーンで思い出されるのは?

野上:「赤ひげ」ですかね。ライティングが大変でした。黒澤さんは光と影の天才ですけど、舞台が小石川療養所の室内のセットだったから、床掃除をして下を向いている二木てるみの目にピンライトを当てるため床に銀紙を貼ったり、山崎努が最後のシーンで手を伸ばすときに手の影をつくったり、照明は大変でした。黒澤さんはライティングが好きなんですよ。「影武者」では照明の佐野武治さんがたくさんの照明機材を使って、フィルターワークもふんだんにかけたりして、黒澤さんも一緒になってあっちこっちやっていました(笑)。

──照明の光量も多いのは望遠レンズを使って“パンフォーカス”したからですね。そういう意味で、東京電力は黒澤監督に感謝状を贈らないといけませんね(笑)。

野上:確かに、すごい電気消費量でした(爆笑)。キャメラの露出を絞って、パンフォーカスして2~3台のマルチカムで追いますからね。だからスタジオ内がものすごい熱さでね。「悪い奴ほどよく眠る」の笠智衆さんだったかな、ズラ(かつら)を被っているところに強いライトを当てるから、金具部分が熱くなってヤケドしそうになっていました(笑)。

──全作品の全シーンが「映画の教科書」です。

野上:そうですね。ですが、「酔いどれ天使」のころはキャメラ1台だけだったのに、望遠レンズでのパンフォーカスを覚えて好きになっちゃったから、「用心棒」では500ミリと270ミリの望遠レンズばかりでしたね。黒澤さんはキャメラも詳しくて、ファインダーをのぞきっぱなしでした(笑)。

──撮影現場の雰囲気はどんな感じだったんですか?

野上:集中力はものすごい人でしたね。東宝撮影所のセットに入ると、監督の組ごとに違いがあるんですよ。溝口健二監督の「お遊さま」(51)のセットを見に行ったことがあるんですよ。ドアを開けると恐ろしいほどシーンと静まりかえっていて、スタッフはヒソヒソと話している。溝口さん、しびんを持ってセットに入って一歩も外に出ないことで有名でしょ。ところが、黒澤組はドアを開けると「このばか野郎!」とか阿鼻叫喚や怒号の嵐ですから(爆笑)。

──黒澤組というと脚本家が共同作業で仕上げましたよね。

野上:脚本家がこもって書いているところに行ったことはないです。橋本忍さん、小国英雄さんら多いときで4~5人がヨーイドンで同じシーンを書き始める。それで黒澤さんがいい箇所を選ぶんだそうですが、よくできるよね。私だったら手紙を書くのでも隣に人がいたら書けないもの。

──橋本さんの著書「複眼の映像 私と黒澤明」にもありますが、あの共同作業は“複眼の目”でいいシーンを書くことができた好例だと思うんです。野上さんが脚本の準備稿を渡されたときに「これは面白くなりそう」って個人的にワクワクした脚本ってありますか?

野上:シナリオを読むと面白いんだけど、「こりゃ大変だな」と考えてしまってね(笑)。……(しばし熟考して)……でも、「七人の侍」は面白かった。昔の脚本はガリ版刷り。「七人の侍」なんて長いから普通の脚本の倍はあって上下2段、「世界文学全集」みたいだった(笑)。370数シーンもあって。

──撮影日数が何日になりそう……と想像したりして(笑)。

野上:シナリオを読んだときは、あれだけ日数がかかるとは思いませんでしたよ。あの映画は、天気がいいときと悪いときの天秤をかけられなかったんです。つまり、雨を降らせると村が田んぼのように泥んこでグニャグニャになるでしょ。天気が良くなっても地面が乾くのを待ったから、撮影日数が大幅にかかったんですよ。

──「七人の侍」では志村喬さん演じる勘兵衛が「こっちは田んぼで、こっちは森で」と説明して、たったワンカット出る地図で村の配置がスーッと頭の中に入ってきますよね。「用心棒」の東野英次郎さん扮するめし屋の権じいが宿場町の現状を説明するシーンもそうですが、うまい導入部です。

野上:ああいう説明は、黒澤さん、几帳面なぐらい必ずやりました。黒澤さんは「(観客が)わからない映画はダメだ」っていう人でした。黒澤映画って本当にわかりいいでしょ?



野上照代

 1927年、東京都生まれ。49年に大映京都撮影所でスクリプター(記録係)見習いに。黒澤組には、1950年の「羅生門」以降、「白痴」を除くすべての作品にスタッフとして参加。「影武者」でアシスタントプロデューサー、「乱」でプロダクションマネージャーを務めた。吉永小百合主演の「母べえ」の原作者でもある。著書に黒澤組でのエピソードを綴った「天気待ち」などがある。