午前十時の映画祭

 私はこれで会社をやめました、というのは亡き市川準監督のCMだが、僕は深夜のTVで「天井桟敷の人々」を見たことで大学に退学届を出したのだった。1970年代前半、若い作家たちの8ミリ、16ミリを上映する一方で、映画会社からフィルムを借りてきてホールで上映していた。ペキンパーの「砂漠の流れ者」も、斉藤耕一の「囁きのジョー」も、グラウベル・ローシャの「アントニオ・ダス・モルテス」も、「シェルブールの雨傘」も小川プロ作品も「昭和残侠伝」も。自称アンリ・ラングロワ主義者、なんでも上映した。そんなときに見た「天井桟敷の人々」のドラマの大きさに完全にノックアウトされてしまった。パリの「犯罪大通り」(実在した)を舞台にした群像劇。ヒロインを演じたアルレッティの笑みと気っ風に陶然となり、白い道化師バチストの悲哀よりは悪漢ラスネールの矜持に惚れて、学生やりながら映画やってる場合じゃないと考え、そして今も映画を上映することを続けているのです。



 

 大学生になりたてのころ、東京には過去の名作を低料金で見せてくれる名画座があちこちにあった。フランス文学を専攻した僕は、勉強の名目でルネ・クレマン監督の「太陽がいっぱい」を自由が丘の武蔵野館で見た。確か武蔵野推理劇場と呼んでいたと思う。貧しい若者アラン・ドロンが金持ち息子を殺して、恋人とお金を横取りする話である。強烈な太陽と地中海の青い海。ヨットが激しく揺れる。サインの偽造。そして映画史に残る衝撃のラストシーン。一世を風靡していたドロンは、若くて野卑でギラギラしていた。僕は手にしたあんぱんを食べるのを忘れてしまうほど夢中になった。翌日、その話を大学の先輩にすると「ジャン・ギャバンのほうが渋くてカッコいいよ」と軽くいなされて悔しかった。映画は1人で見るものだと心に決めた僕は、授業をサボる後ろめたさを感じながら渋谷の全線座、新宿の日活名画座、飯田橋の佳作座などの名画座に通い始めた。



 

 「アラビアのロレンス」は、私が東京で初めて見た映画だ。いわゆるロードショーも70ミリも初めて。今はもうない日比谷の有楽座だった。昔は東京と地方では洋画の公開日に時差があり、半年遅れ、 1年遅れも珍しくなかった。各地を回って我が町青森まで辿り着いたフィルムは痛んで傷があったり、音が飛んだりした。だから有楽座で見た「アラビアのロレンス」の美しさは忘れられない。70ミリの大画面一杯に広がる砂漠、空を赤く染めて上がる太陽、少年とロレンスを乗せて歩く駱駝のシルエット。その後何回もこの映画を見ているが、壁際の一番前の席で首が痛くなるほど見上げて見たこの時の美しさが一番だ。ロードショーでは上映前にまず序曲が流れるということも、この時初めて知った。忘れられないエピソードがもうひとつ。学校をサボって遊んでいる中学生と間違われ、劇場を出た所で補導されかかったのだ。 持っていた受験票を見せて事なきを得たが、この時私は大学受験で上京していたのだった。受験より映画。補導されても仕方ないか。



 

 1968年4月、名古屋の中日シネラマ劇場にて70ミリ方式で鑑賞。当時中学2年生だった筆者は、想像を超えた宇宙の実像を、視界いっぱいに広がる超ワイド映像で体感し、すっかりSF映画の魅力に取りつかれてしまった。冒頭、超人思想を元にした交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が響くなか、月、地球、太陽が一列に並ぶ。この予言的な導入にはじまり、全編で人類の進化と宇宙の神秘を目撃した気分に浸った。知力を覚醒させる猿人のリアルな特殊メイクも驚きだったが、果てしない究極の“死の世界”として正確に描かれた宇宙には言葉を失った。無限に広がる宇宙空間に恐怖すら覚える完全な静寂。漆黒の闇にひたすら冷たく輝く星々。生命あふれる地球では、 絶対味わえない不思議な感覚。そして映画は、コンピューターの反乱とボーマンの時空を超えた飛翔を経て、胎児が地球と向き合うシーンで終わる。言葉では一切説明されないが、胎児は、モノリスの仕掛けで魂を進化させた新しい人類に思え、想像力を駆り立てられたことを今でも覚えている。



 

 これはぼくの永遠のベストワンであり、映画狂人生を決定づけた運命的作品だ。VHSやDVDを含めると200回以上は見ただろうか。セリフも暗誦しているほどだ。主役のドン・ビトー・コルレオーネやマイケルはもちろん、コンシリエーレ(相談役)のトム・ヘイゲン、幹部のクレメンザ、テッシモら愛すべき男たちの全シーンでの身ぶりやセリフに、見るたびに虜になるのである。初めて見たのは、日本公開時でぼくは小学生だった。地元・盛岡の映画館(映画館通りだった)でその日連続して2回見た。ピカレスクなすごみに一発でKOされたのだ。それから、ビデオもなかった中高校生の時は、本作見たさに東京へ、予備校の夏期講習受講を口実にやって来て名画座めぐりをした。出来たばかりの「ぴあ」がバイブルだった。飯田橋佳作座、八重洲スター座などで見た記憶は今でも鮮明だ。映画がはねたあと、マセた高校生だったぼくは東京の夜空の下、パチーノを真似て葉っぱをペッとか出しながら、劇中で彼がくゆらす両切りのキャメルを喫ったものだ。




東宝東和 取締役外国部長 山崎敏さん
――そもそも「午前十時の映画祭」の企画に携わることになった経緯を教えてください。
「この映画祭に集まるであろうと想定されていたヨーロッパ映画には、日本公開当時、東宝東和が配給したものが数多くありましたし、何より洋画の配給会社にいる者としては、企画の趣旨そのものに賛同しないわけがない。それにユニバーサル(アメリカの大手スタジオ)の作品は、現在東宝東和が配給しているので、自然な流れで協力しようとなりました」
 
――古い映画を、劇場でリバイバル公開するためには、実際どんな作業が必要なんでしょうか?
「まずは、劇場上映の権利(以下劇場権)を誰が持っているのか調べなくてはなりません。劇場権の所在が分かったら、次に条件交渉。交渉が成立したら契約をし、その後プリントの手配という流れになります。今回は、手始めにユニバーサルの知人に旧作の権利関係について問い合わせてみたところ、旧作映画の権利を専門に扱うハリウッド・クラシックス(以下HC)という会社を紹介されました。この会社はロンドンにあって、ユニバーサルはじめほとんどの大手スタジオが劇場権のハンドリングを委託しているんです。ですから、このHCを通じて、結構プリントは揃うなという感触がありました。 ソニーとパラマウントは日本のオフィスを窓口にして調達しましたが、それ以外のほとんどはHCで調達することができました。ちなみに『チャップリンの独裁者』や『ライムライト』は角川映画から、『天井桟敷の人々』はザジフィルムズなど、国内資本の各社から協力をいただいたものもあります」
 
――プリントを調達する上で、もっとも苦労したことは?
「今回一番ハラハラしたのは、納品のオシリ(締切)が決まっていたことですね。契約書ができないとプリントのオーダーができないし、オーダーからデリバリーまで2、3週間はかかるんです。ニュープリントから字幕版をつくるまでの工程を逆算して、すごく焦りましたね。今回はニュープリントで上映ということが重要でしたが、マスターポジからニュープリントを焼くのは1本30~50万円、上映時間が長いものでも80万円くらいですが、マスターポジがない場合、ネガからおこすとなると、どうしても今回の予算からはみ出てしまうんです。『小さな恋のメロディ』(70)は、日本ヘラルド(現角川映画)が少し前にDVDを発売されていたので、基になったネガを見せていただきましたが、状態が悪く、フィルムがひどく劣化していました。DVDを制作する際には、パラ消し(デジタルリストア)などの補正がきくけど、フィルムだとそうはいかない。この作品の場合は、角川映画さんは劇場権をお持ちではなかったので、権利そのものの交渉も残されていますが、ネガしかないものや劣化が激しいものなど、今年は諦めざるをえない作品もいくつかありました」
 
――では、思いがけず入手に苦労した作品は何かありますか?

ユーザー投票数一位「ショーシャンクの空に
「『ショーシャンクの空に』は割合新しい作品なのに、製作に色々なプロダクションが絡んでいたため、劇場権を突き止めるのが予想以上に難航しました。やっとの思いで見つけた直後、ファン投票で1位になったと聞いて本当にホッとしましたね。それから、キューブリックやスピルバーグの作品は、なかなか上映の許可が出ないことで有名です。最新技術でリマスターできないものは出したくないという作家の意向なのか、あるいは他の理由かも知れませんが、今回はキューブリックが『2001年宇宙の旅』、スピルバーグは『激突!』のみ実現しました。今後『E.T.』なんかを上映しようとしても、結構難しいと思いますよ」
 
――せっかく集めたニュープリントですが、映画祭閉幕後はどうなるのでしょう?
「実はHCで入手したものに関しては、1年間限定のライセンス。なので、それ以降の使用にはまた条件等の交渉が必要になります。しかし期間を長めに取っている作品もあるし、最近のニュープリントはクオリティーがとても高いので、これをほかで活用しない手はないですよね」
 
――そんな労を費やして調達した名作たちですが、なかでも山崎さんオススメの1本とは?
「どれもいいんですけどねぇ(笑)。個人的に好きなのは、TVでしか見たことのなかった『ブリット』ですね。サンフランシスコの急な坂道を舞台に物凄いカーアクションがあるんですけど、SFXが全然使われていなくて。案外そういう作品が今は新鮮だと思います」
 
――今回、無事に50本調達できた秘訣とか、前もって心がけたようなことはありますか?
「余談ですが、夏休みに休暇でイギリスに旅行に行ったついでに、『とらや』の羊羹を持ってロンドンのハリウッド・クラシックスに『よろしくね』と挨拶に行きました。羊羹食べたかは分からないですけど(笑)、直接出向いたことが功を奏したかも知れませんね。やはり、担当者の顔が分かっているかそうでないのは、その後のやりとりに色々違いが出るような気がします」
 
 若者の洋画離れが顕著になったといわれる現代、これほどの数の名画を映画館で見られるチャンスは、そうそう巡ってくるものではありません。
「午前十時の映画祭」で名画を再発見する人も、新発見する人も、優雅で贅沢な午前10時を、1年間たっぷりと堪能してください。