コラム:芝山幹郎 娯楽映画 ロスト&ファウンド - 第2回
2014年5月20日更新
まだ残っていた大らかさ
この「ぬるい水」が、「インサイド・ルーウィン・デイヴィス」にも引き継がれたのではないだろうか。
私はそう思った。ルーウィンには、ガスリーと共通する体質がある。才能があるのに不遇で、猫に振りまわされたり、知人の家を泊まり歩くカウチ・サーファーの生活を余儀なくされたりしている。にもかかわらず、ルーウィンは破滅型ではない。愚痴や泣き言をこぼさず、半ばきょとんとしながら、なぜ俺はこんなにツイていないのだろうかと首をかしげ、シカゴへのこのこと出かけていったり、船員になって小銭を稼ごうとしたりしている。めげることを知らないその脱力感は、「シリアスマン」のラリー・ゴプニックともつながってくる。
もうひとつ、おまけを付けておこう。ルーウィンの背後にあるグリニッチ・ビレッジの空気がとても柔らかく、まだまだ大らかなのだ。私が反射的に思い出したのは、ポール・マザースキーが撮った自伝的映画「グリニッチ・ビレッジの青春」(76)だが、あちらは1953年のビレッジを舞台にしていた。8年前か。
どちらの時代にもビートニクはいたが、ヒッピーはいなかった。髪はそんなに長くなく、ジャズやブルーズやフォークソングはあってもロックはなかった。もちろん、53年のほうが牧歌的だ。アパートの家賃が月に25ドルという台詞も、映画のなかに出てくる。
それでも、61年という時代は「戦後アメリカの大らかさ」をまだかなり引っ張っていたと思う。公民権問題やキューバ危機などの緊張があったことはたしかだが、レーガノミクスやIT革命が招いた「世知辛いアメリカ」の到来は、まだまだ先の話だ。
だからこそルーウィンは、ふわふわよろよろと生きていける。おけらを嘆いたり、女に責められたり、いきなり殴られたりすることはあるにせよ、間抜けでお気楽で正直な人生には金で買えない価値がある。
コーエン兄弟は、そんな世界をどこかで抱きしめている。無能ではないのに不運なルーウィンのおかしさとメランコリーを等分に描きつつ、そんな男の存在を受け入れていた街の空気を、形に残そうとするのだ。そう、コーエン兄弟は、ついこないだまで確実に存在した「うるわしい大らかさ」を奥歯で噛みしめている。
【これも一緒に見よう】
■「ブルージャスミン」
2013年/アメリカ映画
監督:ウッディ・アレン
⇒作品情報
■「シリアスマン」
2009年/アメリカ映画
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
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■「ボブ・ディラン ノー・ディレクション・ホーム」
2005年/アメリカ映画
監督:マーティン・スコセッシ
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■「グリニッチ・ビレッジの青春」
1976年/アメリカ映画
監督:ポール・マザースキー
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■「ウディ・ガスリー わが心のふるさと」
1976年/アメリカ映画
監督:ハル・アシュビー
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