コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第14回

2014年4月9日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第14回:アクト・オブ・キリング

インドネシアで1960年代に起きた共産主義者への大虐殺事件を、手がけた実行犯に「あなたが行った虐殺を、もう一度演じてみませんか?」と提案して虐殺の様子を演じてもらい、それを撮影する。誰も考えもしなかったあっと驚く手法で描かれた作品。

虐殺を実行した殺人部隊でリーダーだったアンワル・コンゴ(右)と仲間のヘルマン・コト(左)
虐殺を実行した殺人部隊でリーダーだったアンワル・コンゴ(右)と仲間のヘルマン・コト(左)

映像も、登場する人物たちも、なんともいえずチープでグロテスクで戯画的で、そして残酷だ。中心人物は、1000人以上を殺したというギャングのアンワル・コンゴと、その仲間のヘルマン・コト。アンワルは殺害のやり方を嬉々として語る。「ほら、こうやって輪にした針金を巻き付けるんだ」と語り、針金のもう片方に結わえ付けてある木片を思いきり引っ張るふりをする。その様子は楽しく自慢げだ。肥満してお腹の出たヘルマンは派手なカクテルドレスのようなものを着てかつらをかぶり、女装して被害者の役を演じるようになる。その姿が醜くすぎて、目を背けたくなる。

なぜこんな奇妙なドキュメンタリが出現してきたのか。監督のジョシュア・オッペンハイマーによると、当初は虐殺の被害者を取材しようとしたが、当時の虐殺を主導した政権がそのまま持続し、共産党が非合法化されたままのインドネシアでは、これはきわめて困難だった。虐殺生存者は軍から脅迫を受けるようにもなり、撮影を続行できなかったのだという。そこで加害者に取材してみようと思いつき、コンタクトを取ってみたら、意外にも多くの者が取材にオープンで、笑顔で当時の殺人の様子を語ったのだという。これをオッペンハイマーはこう表現している。「まるでホロコーストの40年後にドイツに行ったら、まだナチスがいたというような感覚だった」

当時の殺人方法を再現してみせるアンワル
当時の殺人方法を再現してみせるアンワル

ナチスが嬉々として収容所でのできごとを語る映画があったら、たぶんヨーロッパの多くの人たちは正視できないのではないか。しかしインドネシアでは、そういう映画がまさにここにできあがってしまったのだ。

本作の見せ場は、後半部分だ。終始つづくグロテスクで戯画的な表現は、終盤に入って別の色を浮かび上がらせてくる。

アフリカのライオンを描いた名作「野生のエルザ」の美しいテーマ曲「ボーン・フリー」が流れ、大きな滝の絶景の前で、華やかな衣装を身につけた女性ダンサーたちが踊っている。処刑された被害者に扮した人が出てきて、首から針金を外し、かわりにアンワルの首に金メダルをかけてあげる。「わたしを処刑して、天国に連れていってくれてありがとう」

アンワルの願望を表現したシーン
アンワルの願望を表現したシーン

アンワルの内なる願望を表現した、ヘドが出るほど気持ち悪いシーンだ。アンワルは終盤に近づくほどに、前半の嬉々とした表情は身を潜め、だんだんと顔に影が差し、不安定になっていく。今度はみずから被害者を演じ、取調室のようなところで虐殺されるシーンを演じる。その映像を自宅で見ながら、幼い孫たちを呼び寄せて膝に座らせ、「ほら、おじいちゃんが殺されてるんだよ」と語る。

さまざまな虐殺は、歴史上さまざまな場所で起きてきた。それを後世の映画監督や作家や漫画家が表現するとき、つねに被害者の視点に立って描くのが常道であり、王道だった。被害者の視点は強力であり、被害者の立ち位置から照射した加害者は「絶対的な悪」になってしまう。つねにそこには、善悪を単純に二極化してしまい、悪を一方的に断罪して終わりにしてしまうという落とし穴が生まれる。そもそも映画監督はしょせんは部外者であり第三者であり、被害者そのものには決してなれないのだ。それなのに被害者を勝手に代弁するという行為には、つねに欺瞞をはらんでいると言っていい。

その意味で本作は、そういう落とし穴とは無縁だった。映画監督という第三者が被害者を演じるのではなく、加害者という極めつけの当事者が被害者を演じているのだ。そこには強い当事者性がある。

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映画の冒頭では嬉々として虐殺の様子を演じていたアンワルたち加害者は、自分たちを「絶対的な善」だと信じていた。いや、そう信じることで、たくさんの人を殺したという悪夢から逃れようとしていたのかもしれない。しかし虐殺時の様子を演じることで、それが揺らぎはじめる。被害者を演じ、被害者の側から虐殺を見直すことによって、その揺らぎはさらに大きくなり、「実は自分のやったことは悪だったのでは?」という不安へとふらふらと振れ始める。

前半部の「加害者という当事者が加害者を演じる」構図から、後半には「加害者という当事者が被害者を演じる」という新たな構図へと変わっているということなのだ。

第三者が表現する想像の被害者は絶対的善になってしまいがちだが、現実に存在している加害者は絶対的な悪ではない。1000人以上を殺したというアンワルも、絶対的な悪ではない。つねに心の片隅で良心の呵責に苦しみ、自分を正当化したいという願望を持ちながらもそれを果たせないという葛藤の中にいる、「グレー」の中間領域の人である。このアンワルというグレーの悪が、被害者をみずから演じることによって、被害者の視点という新しい視点を獲得し、それによってグレーの悪はさらに徹底的に相対化されていく。

被害者ではなく加害者を描くこと。そして加害者が被害者の視点を獲得すること。本作ではこういう二重の相対化が劇的に描かれ、そしてこのような表現は過去のドキュメンタリにはついぞ見られなかったものだ。その意味でも本作はまさに「傑作」にふさわしいドキュメンタリの名作になることを約束されている。

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■「アクト・オブ・キリング」
2012年/ デンマーク=ノルウェー=イギリス合作
監督:ジョシュア・オッペンハイマー
4月12日より、シアター・イメージフォーラムほかにて全国順次公開
作品情報

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「Web3とメタバースは人間を自由にするか」(KADOKAWA)など。

Twitter:@sasakitoshinao

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