コラム:佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代 - 第13回

2014年3月5日更新

佐々木俊尚 ドキュメンタリーの時代

第13回:北朝鮮強制収容所に生まれて

何もかもが衝撃的で恐ろしい映画だ。北朝鮮には政治犯が送られ、一生外には出られない「完全統制区域」と呼ばれる強制収容所がある。ここでは男女の模範囚を選んで子どもを産ませる「表彰結婚」という制度があって、本作の主人公であるシン・ドンヒョクさんはこの制度で収容所内で誕生し、生まれながらの政治犯として24年間を暮らし、そして脱北に成功した人物。すべてのシーンが恐怖と絶望に充ちていて、正視しづらい。

北朝鮮の収容所内で生まれ育った脱北者が語る、同国の実状
北朝鮮の収容所内で生まれ育った脱北者が語る、同国の実状

だからこの映画で描かれる北朝鮮強制収容所の実状については、「酷い」という感想以上のものは何も出てこない。だが私はそうした実状への絶望とは別に、ある点に強い興味を抱いた。それは、シン・ドンヒョクさんが脱北後にみずからのアイデンティティをどう回復したのだろうかということだ。

収容所で生まれ育った彼は、一般社会の倫理やルールを知らない。家族愛もない。それは母と兄が脱走しようとして処刑されるシーンで、明確に描かれる。兄は工場から逃げ出し自宅に戻ってきてしまい、ばれれば処刑される可能性がある。母と兄はそのまま脱走を図るのだが、14歳だったシン・ドンヒョクさんはそれを教師に密告してしまう。

しかし彼も密告の翌朝に監獄に連れ込まれ、拷問を受けることになる。天井からつり下げられ、腕は今も曲がったままだ。そして釈放の日、やはり収監されていた父と再会する。トラックに乗せられた2人が向かった先は、公開処刑場。そこでは母と兄が今まさに処刑されようとしていた。

収容所の様子はアニメーションで再現されている
収容所の様子はアニメーションで再現されている

シン・ドンヒョクさんは述懐する。「何も感じませんでした。家族の愛を知らなかったので、目の前で処刑されても悲しくなかった。罪を犯せば死ぬのは当たり前だと思った。むしろ母のせいで投獄されてひどいめにあったので、憎くてしかたなかった」

涙は出ませんでしたか?とドイツ人のマルク・ビーゼ映画監督に聞かれて、彼は答える。「母親を密告することは教えられたが、親が処刑されたら泣けと教育されたことはない。だから泣く必要はなかった」

生まれながらにしてこのような状況に置かれていた彼は、脱北して韓国にわたってから自分をどのようにして構築していったのだろうか?

彼のインタビューを撮影し、話を引き出すのは容易ではなかったようだ。ビーゼ監督はこう語っている。「シンに出会った人は、最初は彼を『ごく普通じゃないか』と思う。表面的には彼はまわりに非常によく溶け込める人だ、僕よりもね。でもそれはシンが意識して身につけたもので、そうするために自分を抑えている。状況に溶け込まないと死ぬ、と思っているのだ」

それでもフィルムの中の彼は、とても穏やかで淡々とし、知的な雰囲気をまとった人物に見える。深刻なトラウマを抱えているにしても、「心に闇を抱えた非人間的な存在」にはとうてい見えない。

一見すればごくふつうの人と変わらない、シン・ドンヒョクさん
一見すればごくふつうの人と変わらない、シン・ドンヒョクさん

この映画にはシン・ドンヒョクさん以外にも2人の脱北者が登場する。秘密警察の元高官と、強制収容所の元幹部だ。恐るべき非人間的な仕事をしてきた2人の中年男性は、しかしまったく極悪非道な人物には見えない。元高官は紳士的だし、収容所幹部は実直で素朴なおじさんだ。

元高官は自虐的に言う。「こう見えても、当時は帽子を被ってゲシュタポより怖かった」「(仕事は)指示通りにしただけだ」

このことばはまさに、ナチスドイツでユダヤ人のホロコーストを指揮したアドルフ・アイヒマンそのものである。昨年『ハンナ・アーレント』という映画が公開されて話題になったけれども、ユダヤ人哲学者のアーレントはアイヒマンを「つまらない小役人として仕事を遂行しただけだった」と評し、これを「悪の凡庸さ」と名づけたのだった。

アイヒマンは極悪人だったわけではなく、単なる小役人だった。それと同じように秘密警察の元高官も収容所の元幹部も、極悪人ではなく平凡な人物たちで、家に帰れば優しいお父さんだったりもした。実際、脱北した元幹部が妻子とひっそりと暮らしている様子が本作では何度となく描かれている。

私たちは自分に理解できないものを「敵」「害悪」と単純に認定したり、理解できない事件を「心の闇」などといった言葉でかんたんに説明してしまおうとする。しかしそうした存在は、自分とは無縁でどこか遠くにある異物なのではなく、自分のいまいる場所からの延長線上にいる者たちだ。

家族を裏切ったシン・ドンヒョクさんはトラウマを抱えながらもアイデンティティを再構築し、知的な人物として生き続けている。それは極悪非道な北朝鮮強制収容所の元幹部が、実直で木訥としていて優しいお父さんとして今も生きているということの、同工異曲でもある。

私たちは気がつけば、極悪非道な仕事に足を踏みいれているかもしれない。それは恐ろしい想像だ。しかしいっぽうで、どんなに友愛や心を否定された生まれ育ちであっても、自分自身を取り戻すことも可能なのだ。シン・ドンヒョクさんが人生をやり直していることには、大いなる救いがある。

つねに私たちの人生は入れ替わり可能性を秘めている。そういうことなのだ。

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■「北朝鮮強制収容所に生まれて」
2012年/ドイツ映画
監督:マルク・ビーゼ
ユーロスペースにて公開中、全国順次公開
作品情報

筆者紹介

佐々木俊尚のコラム

佐々木俊尚(ささき・としなお)。1961年兵庫県生まれ。早稲田大学政経学部政治学科中退。毎日新聞社社会部、月刊アスキー編集部を経て、2003年に独立。以降フリージャーナリストとして活動。2011年、著書「電子書籍の衝撃」で大川出版賞を受賞。近著に「レイヤー化する世界―テクノロジーとの共犯関係が始まる」(NHK出版新書)など。

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