コラム:佐藤久理子 Paris, je t'aime - 第158回
2026年8月28日更新

イザベル・ユペールがパリ・シネマテークのプレジデントに キャンセルカルチャーについても言及

8月28日より、「ヴィオレット・ノジエール」(1978)と「沈黙の女」(1995)が日本でリバイバル上映されるイザベル・ユペール。そんな彼女が、パリ・シネマテークのプレジデントを19年務めたコスタ・ガブラス監督の後を継ぎ、7月からプレジデントに就任した。女性としては初、さらに俳優がこのポストを務めるのも初めてのことである。
バカンス時期の休館と改装を挟み、9月から本格的に始動するシネマテークの仕事を前に、彼女がマスコミの取材に応え、キャンセルカルチャーについて言及したことが話題になっているのでご紹介したい。
そもそも近年シネマテークは、#MeTooがらみで注目を浴びていた。フランスが世界に誇るこの映画の殿堂は、博物館や図書館を擁し、映画の保存や修復をすると同時に、多彩なプログラムを組んで作品を上映する教育的な側面もある。およそ5万本の映画を収容し、無声映画から現代まで、フランス映画のみならず世界の映画を上映しているため、若いときにここに通って映画を貪り観たという監督は少なくない。
だが、#MeTooが世界的に問題になった後も、ロマン・ポランスキー、ウッディ・アレン、ベルナルド・ベルトルッチといった監督の作品を以前と同じように紹介してきたため、フェミニスト団体の反発を招いていたのである。とくに2024年にマーロン・ブランド特集を組んだ際、「ラストタンゴ・イン・パリ」をなんの配慮もなく上映したため、論争を巻き起こした。
ベルトルッチ監督による本作は、映画の中で当時19歳のマリア・シュナイダーが、本人の同意なく(というか何も知らされぬまま)、撮影現場でベルトルッチに唆されたブランドから、過激な性的行為を受けたことで知られる。フェミニスト団体は、こうした背景のある作品をたんに「傑作」として、説明を加えることもなく上映したシネマテークの姿勢を、激しく糾弾。これを機に、国の諮問機関がガブラスと責任者を呼び出す事態にまで発展した。

© Stéphane Dabrowski - La Cinémathèque française
こうした経緯があったゆえに、ユペールの就任は新風をもたらすものとして注目されていた。「今後、性的虐待行為で訴えられた監督たちの作品を上映するか否か」という具体的な質問に、彼女は率直に、次のように語った。
「シネマテークの目的は、文化的所産である作品を保存し、一般に向けて公開することにあります。場合によっては、作品を取り巻く文脈から、映画の評価が損なわれることもあるかもしれません。でもだからといって、作品を隠すべきだとは思いません。映画は集団的な創作物です。隠すことは、いわば連帯責任を問うようなものでしょう。観るか観ないかはあくまで個人の自由です。重要なのは事実を想起し、それを無視しないということです。わたしたちがルイ=フェルディナン・セリーヌ(反ユダヤ主義者として有名)や、ジャック・シャルドンヌ(極右主義者として知られた)の本を読む、読まないという選択があるように」
つまりこれからも問題の監督やその作品を上映する機会はないとは言えない。しかしその場合は、たとえば討論の場をもうけたり、事情を知らない人々に何があったかを伝えていくことが不可欠だということだろう。彼女はこうも語っている。
「シネマテークの使命は、映画という遺産に新たな息吹を吹き込みつつ、現代の感性と共鳴し続けることであり、つねにもっとも若い観客たちの興味を惹きつけるべく務めていかなければなりません」
映画の未来、映画界の未来、そしてこれから業界に携わるかもしれない若者のためにも、つねに風通しを良くして事実に向き合い、真摯に議論を続けていくこと。それこそが変化をもたらすために必要なことなのだろう。
今後のシネマテークのイベントにも、ますます期待がかかる。(佐藤久理子)
筆者紹介
佐藤久理子(さとう・くりこ)。パリ在住。編集者を経て、現在フリージャーナリスト。映画だけでなく、ファッション、アート等の分野でも筆を振るう。「CUT」「キネマ旬報」「ふらんす」などでその活躍を披露している。著書に「映画で歩くパリ」(スペースシャワーネットワーク)。
Twitter:@KurikoSato







