山田五郎 : ウィキペディア(Wikipedia)

山田 五郎(やまだ ごろう、1958年〈昭和33年〉12月5日 - )は、日本の評論家で、編集者、タレント、コラムニスト、YouTuberでもある。

本名は 武田 正彦(たけだ まさひこ)。愛称として「教授」「五郎さん」がある。

東京国立博物館評議員。イギリス古時計協会 (AHS) アカデミー会員。ジュネーブ時計グランプリ財団 (GPHG) 元アカデミー会員。

来歴

静岡市出身の両親のもと、東京都渋谷区で、第1子・長男として生まれた。父親は旭化成株式会社勤務のサラリーマンである。海外勤務もあったという。父親の実家は木材商であった。妹と弟がいる。

小学校は東京都の世田谷区立若林小学校に入学したが、低学年のころ、一家は父親の仕事の都合で兵庫県西宮市へ転居した。しかし西宮市での生活は短期間で終わり、小学校3年の時、一家で大阪府豊中市へ転居し、豊中市立原田小学校に転校した。中学校進学は地元の豊中市立第一中学校へ進学した。高校は大阪府立北野高等学校(第89期生、1977年〈昭和52年〉3月卒業生)へ進学。高校時代は美術の才能が際立っていたと、同窓生仲間が振り返っている。クラブ活動は文芸部や美術部に所属しており、懸賞小説に入選したりもしていた。高額な奨学金を含む手厚い学業支援を受けていたが、これは、彼自身の学業成績が優秀であったのに加えて、当時の彼の一家は、母親がイギリス駐在中の父親の後を追って渡英したために、家には祖父母と子供3人が残され、妹と弟の食事を作るなどしていた。

大学受験では東京大学を目指したが失敗し、上智大学文学部新聞学科に進学。1977年(昭和52年)4月、進学に伴い上京。には何初彦がいた。もともと映画が好きで、映画の授業があったことが新聞学科を選ぶ動機だったが、1年生の時、バロック時代の美術に魅了され、美術史を勉強したいと思うようになる。大学に美術史専門の学科がなく、への西洋美術史専攻での留学を勧められた。このとき相談に乗ってもらった教授の一人に、客員教授として同大学で教鞭を執っていた、ロックバンド「BARBEE BOYS」のメンバーいまみちともたかの父親(今道友信)がいる。留学したのは3年生の9月から4年生の9月までの1年間であった。ただ、蓋を開けてみれば、留学先での授業内容は日本で受けられるものとさほど変わらず、得るものは少なかった。田舎すぎてやることも無く、退屈な日々であったという。

帰国後、大学院へ進んで留学し直すことを検討していたが、相談した先輩たちに強く引き留められて考え直し、就職活動に目標を切り替えた。美術系の就職口を狙っていたが、不景気で軒並み採用が無った。講談社への就職が決まる。卒業論文は「戦後野球漫画の様式的発展」であった。

1981年(昭和56年)4月、同社入社。内田勝が同社での最初の上司であった。講談社ほどの大手であれば素晴らしい美術書を作らせてもらえるのではないかと期待しての入社であったが、配属されたのは美術とは縁もゆかりも無い情報雑誌の編集部であった。ファッションに特別興味が無かったが、最初は若者ファッションの情報雑誌『ホットドッグ・プレス』の編集を担当することになった。そこで、好きでもない者が記事を作ってはいけないと考え、ファッション好きの自分を改めて造っていった。その後、『ソフィア』『チェックメイト』『TOKYO1週間』などといった情報雑誌を担当していった。『ホットドッグ―』では編集長を務めている。いとうせいこうは講談社での後輩であり、数年間は共に『ホットドッグ―』の編集部員であった。

テレビ出演のきっかけは、1991年(平成3年)、『タモリ倶楽部』のコーナー「今週の五つ星り」に出演していた赤井英和が降板することになり、同番組の構成作家で知り合いの高橋洋二から代役としての出演を急遽依頼されたことにある高橋はナンシー関と共に『ホットドッグ・プレス』の読者投稿欄「ぱっくんぷれす」を担当するライターでもあり、山田と親交をもつ人物。。当時の肩書は「お尻評論家」であった。同番組は音楽に合わせて女性が入れ替わり立ち替わり画面の前でお尻を振りまくるのが定番オープニングであり、そのお尻タレントのオーディション審査員としての、お尻評論家というわけである。このゲスト出演を皮切りに、バラエティ番組に多数出演するようになっていった。2004年(平成16年)6月に講談社を退社して独立する。当時歳。その後は、フリーランスの編集者、評論家、タレント、コラムニストとして活動するようになった。

2011年(平成23年)9月8日、TBSラジオの情報バラエティ番組『荒川強啓 デイ・キャッチ!』の出演を取材名目で休む。翌週15日に復帰し、前週休んだ理由が初期の食道癌の治療(手術)であったことを明かした。当時歳。

2021年(令和3年)1月7日、山田は歳にしてYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』を開設し、明くる1月8日付で、YouTubeチャンネルにて美術を主なテーマとした動画配信を開始する。同年4月30日には早くもYouTubeチャンネルの登録者数10万人突破記念のライブ配信を行っている。詳しくは下記「YouTubeチャンネル」節を参照のこと。

人物

  • 少年時代の愛称は「豆腐」であった。色白でフニャフニャしていたからである。
  • カトリック教徒で、自宅近くの東京カテドラル聖マリア大聖堂に通っている。
  • 定刻に始まる仕事が苦手であり、学生のころはそれが原因でシフト勤務制になっているアルバイトは遅刻してクビになっていた。そこで、通信教育の添削作業や、模擬試験の問題文に使うための例文を探し出す仕事、翻訳の下請けなどといった、締切はあるにしても自分都合で好きな時にできるアルバイトをやっていた。就職してからはさすがにかなり克服したが、それでもしょっちゅう遅刻していてダメ社員のレッテルを張られていたと、山田は振り返る。指向としては今も昔と変わっておらず、時間を決めて待ち合わせをするなどといったことは億劫に感じてしまうという。
  • 自身が認める得意分野は、美術と時計、次が男性ファッションと「街」。特に機械式時計の歴史に詳しく、専門学校で教えていたこともある。西洋美術に造詣が深い。
  • 趣味は、時計、鉱物、髑髏グッズ、鉄瓶などの収集、および、ギターの演奏。
  • ギタリストとしては、漫画家のみうらじゅん喜国雅彦が率いるロックバンドとして1989年(平成元年)6月に結成された「大島渚」が氣志團万博の2019年開催回に参加した際に和嶋慎治とともに参加している。
  • 好物は、スジ肉、焼売、シュークリーム。
  • いわゆる「サブカル系文化人」に属している。
  • みうらじゅんとは雑誌の対談で知り合い、SMやフェチ、ロックなどの共通の趣味を通じ、現在も親友関係にある。
  • そのヘアスタイルから、和製タンタンとも呼ばれたことがある。
  • 東京に生まれるが、9歳(小学校3年生)から高校卒業までの10年間を大阪府(当初は短期間であるが兵庫県西宮市に住む)で過ごしたため、全国ネット(関西ローカル以外のテレビ番組も含む)のテレビ番組では共通語で話すが、関西向けの番組などでは流暢な大阪方言を使う。流暢な英会話もできる。
  • 西宮の小学校に編入した当時は、東京から来た「東京もん」ということで、何をやっても「コイツは東京やから」と否定的に受け止められる。大喧嘩して児童相談所に送られたこともあったが、本人は大阪になじむために、必死に溶け込んだ。高校卒業するころには立派な大阪弁を駆使する「大阪人」となっていた。
  • 灘中学校の受験に失敗して公立中学校(豊中一中)に進んだため「周りがみんなバカに見え」、再度非行に走って警察に補導されたが、両親に泣かれて更生。反動で中学2年の頃は引きこもりとなり、誰とも話さず読書ばかりしていたが、「そういうことは東大に入ってからやれ」と父親に叱責されて反発し、映画・音楽・美術・文学の世界に入り込んだという。
  • 黒澤明監督の映画『影武者』にエキストラ出演している。山田は撮影時にプライベートで陰部を火傷しており撮影は苛烈を極めたが、撮影の合間に黒澤に「(本名が武田であることから)君は武田信玄の末裔かね」と声を掛けられ嬉しかったという(信玄と山田に血縁関係は無い)。また用足しの周期が合うのか、黒澤とはトイレでよく連れションしたというTBSラジオ『みうらじゅんの「サブカルジェッター」〜2番目がいいんじゃない』2007年11月17日の放送より。。

YouTubeチャンネル

2021年(令和3年)1月7日、放送業界も美術業界もコロナ禍による事業縮小に喘ぐ最中、山田五郎(当時歳)は、美術を主なテーマにした番組形式のYouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』と、これに対応したTwitterアカウント『【公式】山田五郎 オトナの教養講座』とともに開設し、明くる1月8日、初めて動画配信を行った。チャンネルは次第に好評を博し、山田はYouTuberとして存在感を高めていった。

撮影から配信まで山田の文京区音羽に所在する事務所、Cabinotierの一室で行っている視聴時間 21分19秒。※いつも配信している撮影場所が自宅の一室であることについて冒頭で言及している。。山田は事務所内にある書斎にて、仕事に加え後述するこのチャンネルのための下調べをしており、近辺に山田の自宅もある。スタッフは、山田が2010年(平成22年)から出演しているBS日テレの番組『ぶらぶら美術・博物館』を担当する制作プロダクションである株式会社東阪企画の社員であり、当初は常勤2名で制作していた。当チャンネルでは、美術に興味があるもののほとんどあるいは断片的にしか知らない緩い雰囲気の20代前半の女性AD「ワダ」の疑問に山田が応えて解説し始める形を、当初から執っている。実際の制作過程も、ワダの疑問をベースにしてスタッフが山田への質問内容を決め、それを受けた山田が解説に広がりを持たせられるとなれば準備に入る、そうでなければ却下するという形になっている。なお、ワダは当チャンネルのおおもとの企画発案者である。また、チャンネルのロゴタイプである山田の似顔絵や動画内に登場するさまざまな緩い絵はワダの手になるペン画であり、これもまた極めて緩い空気を醸し出しているBGMともども、当チャンネルのイメージを決定づける重要な要素になっている。右のテンプレートで示したとおり、取り扱うジャンルは山田の得意分野である「美術、ファッション、時計、街、グルメなど」ということで始まったチャンネルであったが、はやばやと美術に特化した。また、当初の予定では、動画視聴時間は10分前後から長くて20分程度、配信頻度は1か月に4回といったところであった視聴時間に関しては人気YouTuberの標準的な動画に倣ったものである。。しかし、回を重ねるごとに視聴時間は長くなり、30分超えが珍しくないチャンネルになっていった。また、配信頻度も1か月に6回が普通という、情報の量と質に比してかなりのボリュームになっていった。動画の制作にあたって念入りな下調べを欠かさない山田としては、デジタルデータ化が進捗しない日本社会の前時代性を痛感すると言う。1つの動画を作るのに段ボール箱1個分の書籍を資料として集めるのが普通とのことで、重いし嵩張ってしようがないとぼやき、また、美術書が絶版になるのが早すぎることにも嘆く。

美術をテーマにしている当チャンネルは、美術系の著作権使用料(印税)の支払いが常に課題となっており、ピカソダリ藤田嗣治など、現代に近い時代の著作権者に関する良質な画像資料を配信動画に録り込むのには、視聴者からのカンパに頼って実現するという形を執っている。具体的には、YouTubeのスーパーチャット・システムを利用してネット投銭を貯蓄し、各著作権者から1年ごとに請求される総計十数万円ないし数十万円の使用料(更新料)に充てている(※例えばピカソは10万3,000円)。この方法を採用した結果、資金は潤沢となり、数十万単位の繰越金が生まれてきた(※出典に使った動画の時点で56万3,796円也)のを受け、どのアーティストの画像に資金を使ってほしいかについて視聴者から意見を募るようになった。

同2021年の4月30日には早くもチャンネル登録者数10万人突破記念のライブ配信を行っている。6月22日、チャンネル登録者数10万人達成者に授与される「シルバー クリエイターアワード(通称:銀の盾)」の獲得記念動画が配信される。7月2日、チャンネル登録者数20万人突破記念ライブ配信が行われた。

2022年(令和4年)1月7日、チャンネル開設1周年記念のライブ配信を行う。このライブ配信中に行われた視聴者投票で当チャンネルのファンダムネームが「ゴロワーズ ()」に決定する。4月1日、当チャンネルの「切り抜き動画」(編集した二次制作動画)の制作・配信の承認申請が増えてきたのに伴い、ガイドラインを更新する。5月27日、40万人突破記念のライブ配信を行う。同年、7月9日にチャンネル登録者数が50万人を超える。「ゴロワーズ」初のグッズ展開もこの時のライブ配信の中で発表された。8月31日には、当チャンネルを基にした書籍『「山田五郎 オトナの教養講座」世界一やばい西洋絵画の見方入門』を宝島社から刊行した。

エピソード

  • 「山田五郎」という芸名は、山田が在籍していた雑誌編集部の落とし物コーナーに置かれていたモンブランの「PIX #75」という名の当時20万から30万円もした高級シャープペンシルに由来する。
このシャープペンシルを万年筆と間違って記憶している人が多く、これまでに「万年筆」を前提にした質問を何度もされている。万年筆メーカーからの取材まで来てしまうに到り、山田は間違いを正す必要を強く感じていた。ウィキペディアの記事(つまり本項)も「万年筆」としていたため、他者を通じて改訂してもらったというのも、本人の言である。
当時、その高級シャープペンシルをずっと狙っていた山田は、年末の大掃除で落とし物が処分されることになった際に晴れてもらえることになったが、よく見るとそのシャープペンシルに「M. Yamada」と名前が彫られていることに気付いた。編集部内の全員に確認しても持ち主は見つからず、どうしようかと考えた結果、「俺が山田になればいいんだ」と思いついた。ちょうどその頃、知人のライターは、初めての単行本を刊行するにあたり、その出版社の社長が名付けてくれたタイトルが内心では気に入らず、さりとて断っては角が立つということで、穏便に断る方法はないものかと考えあぐねており、山田に相談を持ちかけた。そこで、「同じタイトルの出版物を出している人がいるということにすればいいんじゃないか」と山田は思い付き、そのタイトルで連載を始めることにした。連載には筆者が必要ということで、「大阪で名の知れた中華料理店店主・山田五郎」という架空のキャラクターを設定する。相談の場にナンシー関も居合わしていたことから、「山田五郎」の実在感を出すべくナンシー関のラジオ番組に架空の「山田五郎」名義でゲスト出演したという。
  • 業界でも本名があまり知られていないのか、出版社やテレビ局の人が地方への仕事の際、飛行機のチケットを芸名の「山田五郎」名義の方で取ることからマイレージが全然貯まらないらしい。
  • 『タモリ倶楽部』のコーナー「今週の五つ星り」では、タモリに「ヒュフテヴィッセンシャフトラー・山田五郎教授」と紹介された。また、『タモリのボキャブラ天国』では「美術評論家・山田五郎教授」という架空の肩書で出演していた。そのため、番組外でも「美術評論家」などの肩書で記事になったこともあった。なお、"(ヒュフテヴィッセンシャフトラー)" とは、ドイツ語で「尻」を意味する "" と「学者」を意味する "" を組み合わせて「尻学者」の意味を持たせた造語である。
  • テレビ朝日系列の深夜番組『虎の門』の人気コーナー「うんちく王決定戦」では、上田晋也伊集院光松尾貴史なぎら健壱とともに「うんちく5強」と称された。山田は初代王者である。このことは、この後に出版された『うんちくブック』(テレビ朝日『虎ノ門』うんちく王選定委員会 編、双葉社刊)でも紹介された。
  • J-WAVEのラジオ番組『東京REMIX族』では、共演する中川翔子(しょこたん)の持ち歌をアコースティックに編曲し、ギター伴奏することもある。その勢いで「スカシカシパンすこし変?」という曲を作詞・作曲し、中川翔子のファーストアルバム『Big☆Bang!!!』にも収録された。
  • 大阪へ帰ると『探偵!ナイトスクープ』は必ず見ているとのこと。のちに同番組の顧問(ゲスト)として出演している。
  • 宝島社の書籍『VOW9』(1997年刊)の表紙カバー裏には、山田の若かりし頃のピンナップが掲載されている。
  • ネプリーグのテレビ番組『芸能界超常識王決定戦SP』では、レギュラーのネプチューンを除き、雨上がり決死隊、FUJIWARA、西川史子と並んで、現在最多2回優勝(及び、500万円獲得)をしている。

出演

テレビ

レギュラー出演

  • 出没!アド街ック天国(テレビ東京、1998年4月 - )
  • 山田五郎アワー『新マニア解体新書』(MONDO21)
  • ぶらぶら美術・博物館(BS日テレ、2010年4月6日 - )
  • 東京暇人 TOKYO hi-IMAGINE(日本テレビ、2012年10月5日 - )
    • 暇人ラヂオ〜hi-IMAGINE RADIO〜(日本テレビ、2017年4月 - )
  • ブルーピリオド『明日誰かに話したくなる!ブルピリ美術豆知識』(毎日放送、2021年10月2日 - )

不定期出演

  • タモリ倶楽部(テレビ朝日) - 初出演は1991年で、テレビ番組初出演であった。
  • ぶらり途中下車の旅(日本テレビ)
  • 探偵!ナイトスクープ(朝日放送)

番組終了

  • タモリのボキャブラ天国(フジテレビ)
  • タモリの新・哲学大王!(フジテレビ)
  • 輝け!噂のテンベストSHOW(読売テレビ、日本テレビ)
  • 新テンベストSHOW(読売テレビ、日本テレビ)
  • どっちの料理ショー(読売テレビ、日本テレビ)
  • (特)情報とってもインサイト(TBS)
  • きょう発プラス!(TBS)
  • たほいや(フジテレビ)
  • 週刊地球テレビ(テレビ朝日)
  • CX NUDE DV(フジテレビ)「ザ・会議室」
  • 地球テレビ エル・ムンド(NHK BS1 ※2012年度までは帯番組で木曜担当)
  • 推理バラエティー 誰もいない部屋(NHK総合)
  • ベリグ!(朝日放送)
  • 万国三面大王(中部日本放送)
  • 禁断の落し穴(東海テレビ)
  • 2時っチャオ!(TBS)
  • 知っとこ!(毎日放送、TBS)
  • おもいッきりPON!(日本テレビ、2009年10月6日 - 2010年3月23日)※火曜日レギュラー
  • おもいッきりDON!(日本テレビ系、2009年10月5日)リニューアル、記念すべき一回目のスペシャルゲスト
  • PON!(日本テレビ)※2010年3月30日から2014年3月25日まで火曜日レギュラー。2014年4月25日から2015年9月18日まで月1回金曜日レギュラーとして出演。
  • NIKKEI×BS LIVE 7PM(BSジャパン、2012年4月 - 2013年3月)
  • BSマンガ夜話(NHK BS2)
  • BSアニメ夜話(NHK BS2)
  • みうらじゅん&山田五郎の男同志シリーズ(MONDO21)
  • 小林麻耶の本に会いたい(BSジャパン、2010年1月13日、2012年6月8日)
  • 山田五郎のだべり喫茶(ファミリー劇場、2011年6月20日 - 2014年7月)
  • 『ザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜』「#435 山田五郎(評論家)×吉永みち子(作家)」(BS朝日、2019年6月22日)

ドラマ

  • 天国に一番近い男 第9話(TBS系、1999年)- 小津健二 役

ドキュメンタリー

  • ハイビジョン特集「北の海にホッケが舞う 群れ、その神秘の物語」』(NHK BS2、2009年10月4日)
  • ドキュメント72時間(NHK総合) - 毎年末の年末スペシャルに出演。

アニメ

  • ガッチャマン クラウズ インサイト(日本テレビ、2015年)- 三栖立耕造 役

CM

  • YKK AP(ナレーション)
  • ENEOS(ウサゴローの中の人)
  • ANALIVE/中国/ANA
  • 芝浦アイランド(Web)
  • FLET'S光
  • サントリーBOSSコーヒー「プレミアム鉄道(仲間)篇」(2015年3月)- 豪華列車内でタモリが「産まれたての仔馬」の物まねをしているところを、笑って見ている一緒に旅する仲間としてみうらじゅんと共に出演。

ラジオ

レギュラー出演

  • 山田五郎と中川翔子の『リミックスZ』(JFN)

番組終了

  • 荒川強啓 デイ・キャッチ!(TBSラジオ、木曜)
  • 山田五郎のStudio'58(USEN440)
  • 山田五郎と早見優のWeekend Living(JFN)
  • みうらじゅんの仮性フォーク(BARKSインターネットラジオ)
  • みうらじゅんの「サブカルジェッター」〜2番目がいいんじゃない(ゲスト出演 TBSラジオ)
  • Kakiiin(TBSラジオ)
  • 東京REMIX族(J-WAVE)

不定期出演

  • 今日は一日プログレ三昧(NHK-FM)

映画

  • 影武者(エキストラ、黒澤明監督)
  • 怪奇!!幽霊スナック殴り込み!(静止画像、杉作J太郎監督)

その他

  • 溜池Now(GyaO)

動画配信

  • YouTubeチャンネル『山田五郎 オトナの教養講座』

主な著書

    • 文庫版:。
  • {{Cite book |和書 |author1= |author2= |translator=細谷由依子 |others=キム・ハストライター 編集、デイビッド・ハーシュコヴィッツ 編集、山田五郎 日本語版監修 |date=2000-07 |title=ポップカルチャーA to Z |publisher=グラフィック社 |ref= }}。
    • 出版社情報:
    • 補足情報:

光ディスク

  • 山田五郎アワー『新マニア解体新書』

参考文献

事辞典
書籍、ムック
雑誌

注釈

出典

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/27 15:37 UTC (変更履歴
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