山崎ハコ : ウィキペディア(Wikipedia)

山崎 ハコ (やまさき ハコ、本名:山崎 初子(やまさき はつこ)、1957年〈昭和32年〉5月18日 - ) は、日本の女性シンガーソングライター、フォークシンガー、女優。大分県・日田市出身。血液型はAB型。

名字の読みは「やまき」である。芸名の「ハコ」は、本名の「初子」を短縮した子供時代からの愛称に由来する。

経歴

デビューまで

大分県日田市の兼業農家に生まれる。生家は田んぼを持ち、父親は郵便局員であった。家族は祖父母と両親、兄が一人いた。音楽好きな兄の影響で、山崎もレコードを聴いたりギターを弾くようになったという。両親が先に神奈川県横浜市へ転居し山崎は中学校卒業まで祖母と日田市で暮らす。両親が横浜へ転居した理由について、山崎はインタビューで「母が経営していた小料理屋がうまく行かなくなったため、横浜で地下鉄工事のアルバイトをしていた兄を頼って行った」と述べている。

中学卒業後の1973年4月、山崎も両親の住む横浜市へ転居し、横浜学園高等学校に入学した出身者 横浜学園高等学校。同高校在学中に音楽コンテストに出場するようになり、1974年11月に高校2年生で「ジョイナス・フォーク・コンペティション」に出場して優勝。このコンテストに関わっていた横浜出身の音楽プロデューサー・星野東三男(ほしの とみお星野東三男 Tomio Hoshino Discogs)に見い出され、星野が地元の横浜で立ち上げた音楽事務所「ニューサウンド」に1975年4月から所属することとなる。山崎は当時まだ高校在学中であった。

なお「ニューサウンド」はのちに「サウンドポート」「サウンドシップ」を経て、1989年に事務所名を「IMADOKI」と改称。同年に開催された横浜博覧会 (YES'89) での音楽イベント等を手掛けた。同事務所には、山崎と同じく「ジョイナス・フォーク・コンペティション」からデビューした石黒ケイ、横浜市出身の裕木奈江が所属した。また「ジョイナス・フォーク・コンペティション」には、デビュー前の渡辺真知子も出場している星野東三男氏インタビュー - 映像団体「moment」公式サイト。

同1975年5月にフォーク系レーベルのエレックレコードと契約。すでに50曲近く書きためていた中から選曲してレコーディングを開始した。同年10月1日、ファーストアルバム『飛・び・ま・す』をリリース。18歳でメジャー・デビューを果たす。また同年9月26日にはデビュー・コンサートを横浜市教育文化センターで開催した。

1975年末には林美雄がDJを務めるTBSラジオの音楽番組『パックインミュージック』に出演。同年12月にTBSホールで開催された「第1回パック祭り」では荒井由実石川セリと共演した。なお同番組は、荒井のデビュー曲「返事はいらない」を紹介し、1stアルバム『ひこうき雲』がブレイクするきっかけを作ったことでも知られる。

山崎はデビュー前から病弱で、かねてより慢性膵炎の持病を抱えており、膵臓に負担がかかるため成人後も「酒・タバコどころかコーヒーなども口にできない」という体質である。そのため、デビュー時から所属していた音楽事務所「IMADOKI」社長の星野は、病弱な山崎の負担を避けようと、シングルを次々に出してヒット曲を狙うという手法を取らなかったと語っている。

フォークブームの中で

翌1976年に2ndアルバム『綱渡り』発売後、同年7月16日にエレックレコードが倒産。キャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)に移籍、3rdアルバム『藍色の詩』発表。以降、1984年のアルバム『てっせんの花』まではキャニオンからのリリースとなる。

フォークギターの弾き語りで、女の情念や怨念といった心情を土俗的なイメージとともに哀しく切々と歌い上げ、熱狂的なファンを獲得した。九州弁を活かした歌詞や、日本各地に古くから伝わる伝承歌を題材とした作品もあり、地元の九州や大分、神奈川や横浜のご当地ソングも多数ある。150cm前後の小柄で痩せた体躯から発せられる低音で表現力を誇る歌唱と、暗く鋭く愛をもって社会を抉る歌詞で、デビュー当時は「中島みゆきのライバル」と称された。

1979年4月から1980年3月にかけてはニッポン放送の『オールナイトニッポン』火曜日2部のDJを担当。「深夜放送のマドンナ」と称された。

また映画音楽の制作も手がけ、初の映画音楽として1979年のホラー映画『地獄』の主題歌「心だけ愛して」、挿入歌「きょうだい心中」を担当。この主題歌と挿入歌はシングルとして発売されたが、兄妹の近親姦と心中を扱った「きょうだい心中」は放送禁止歌とされた(ただしこの歌詞は山崎のオリジナルではなく、西日本の各地に伝わる伝承歌を元にしたものである)。

1981年には、九州の炭鉱地帯を舞台とした五木寛之原作の映画『青春の門』の音楽を担当、五木作詞の主題歌「織江の唄」がヒットした。1984年にはベトナム戦争で国を追われたボートピープルを題材としたアン・ホイ監督の香港映画『望郷』()の主題歌を担当映画 望郷 (1982) 投奔怒海 BOAT PEOPLE allcinema(制作は1982年、1984年日本公開)。1990年には同じ音楽事務所「IMADOKI」に所属する裕木奈江の主演映画 『曖・昧・Me』の音楽制作を担当した。

アルバム『幻想旅行II』の発表時点(1982年)で、発売したLPはそれぞれ5万枚ずつ売れていた「フォーク一筋 山崎ハコ」『読売新聞』1982年3月31日付夕刊、11頁。。

所属事務所の倒産

しかし1980年代以降はフォークブームが過ぎ、左翼運動や学生運動の後退により政治色の強いプロテスト・フォークは廃れ、好景気を背景に「四畳半フォーク」は「ダサい」と言われるようになる。「ネクラ・ネアカ」が流行語となった世相の中で、山崎の楽曲は「暗い」と言われてレコードのセールスが伸び悩むようになった。当時はタモリなどのお笑い芸人が「暗い曲・怖い曲」として山崎の楽曲を笑いのネタにすることさえあった。

1985年、ポリドール(現:ユニバーサルミュージック)へ移籍。アルバム『光る夢』を発表。ポリドールから1986年11月発売のライブ・アルバム『私の幸せ』まで4枚のアルバムを発売するが、このアルバムの制作前に音楽事務所から「最後の弾き語りステージをライブ・アルバムとして残したい」と言われており、活動休止が示唆されていた。

その後、約3年のブランクを経て1990年にトーラスレコード(現:ユニバーサルミュージック)へ移籍し、『SA・SU・GA(流石)』含む2枚のアルバムを発表。この頃から、それまでのフォーク調からブルース色が強くなり、曲調やジャケット写真も都会的な雰囲気を強調してイメージチェンジを図った。

翌1991年にBMGビクターへ移籍(1994年以降のアルバムはビクターエンタテインメント)。1994年に初のカバー・アルバム『十八番 (おはこ) 』で第36回日本レコード大賞アルバム企画賞を受賞。翌1995年には初のセルフカバー・アルバム『ハコのお箱』を発表。

1991年より、渡辺えりと親交を持ったことを契機に、渡辺が主催する「劇団3○○」の演劇に出演、舞台女優としても活動を開始する。

1997年には、NHK『みんなのうた』で「わっしょいニッポン」が放送された。

しかし、裕木奈江主演の1993年放送のテレビドラマ『ポケベルが鳴らなくて』(日本テレビ)の撮影が始まった時期に、山崎がデビュー時から所属していた音楽事務所「IMADOKI」代表の星野が、交通事故に遭い大怪我を負い入院。これに引き続く裕木に対するバッシングなどもあり、星野は精神的に追い詰められていく。そうしたことから、1998年に「IMADOKI」が倒産、山崎はフリーとなる。なお星野によれば、石黒ケイは1986年から1987年にすでに同事務所を離れており、倒産時点では山崎と裕木が在籍していた。

2000年代以降

山崎は事務所倒産について、インタビューなどで「所属事務所が倒産したことで一時期はホームレスにも近い極貧生活をしていた」「生計を立てるため中華料理店で皿洗いのアルバイトをしていた」などと様々に語っている。また「事務所が倒産するまで印税の存在すら知らなかったが、突然の倒産によりマネージメントや営業活動など全てを自らこなすようになった」「22年間、事務所の言うとおりにしてきましたが、印税をまったくもらってなくて、最後に社長から渡された私の通帳には1000円しか入ってなかった」山崎ハコ、“人間嫌いキャラ”で世間にウソを…脱却のきっかけは亡き夫・安田裕美さん 週刊女性PRIME とも述べている。さらに「アルバイト先の先の有線放送でたまたま自分の曲が流れたのを聴いて、自分は歌わなくてはいけないと本格的な歌手復帰を決意した」とも述べており、それにより「2008年に完全復帰を果たし、日本コロムビアより新曲『BEETLE』を発表した」などと語っている。

しかし山崎の公認ウェブサイト上のプロフィールによれば、その間にも音楽活動は継続しており、2000年にTBSテレビ愛の劇場『あっとほーむ』エンディングテーマを担当し、室井滋とのカップリングでシングル『希望』を東芝EMIから発売している。2001年にデビュー前の17歳で録音したデモテープの未発表音源『飛びます…17歳』、2枚組ベスト・アルバム『Dear My Songs 山崎ハコ・ベスト』を発売している。

山崎は永年独身を通していたが、2001年に作曲・編曲・演奏など長く仕事を共にしたギタリストの安田裕美(北海道小樽市出身)と結婚。結婚後も公私ともに良好なパートナー関係を続け、活動拠点をずっと横浜に置き続けていたが東京へ転居した。

2002年には徳間ジャパンからマキシシングル「やさしい歌」を発表。同年7月には、テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ)特番で山崎ハコ本人役として歌と声の出演を果たし、1970年代のデビュー当時を知らない世代にもアニメを通じて名が知られるようになった(#テレビ・ラジオ企画を参照)。

2005年にはデビュー30周年を迎え、同年から翌2006年にかけて30周年記念コンサートを全国で開催。2006年にはベスト・アルバム『歌いたいの』を発売、1984年のLP『てっせんの花』から「てっせん子守歌」がシングルカットされ、30周年記念アルバムが発売された。また同年末のNHK BS2『フォークの達人』でコンサートが放映され、新たな注目を浴びるなど、2008年までの間にも活躍は続いていた。

2009年11月4日、デビュー35周年記念アルバム『未・発・表』を発売、翌2010年にはデビュー35周年を迎えた。2014年にはポニーキャニオンから初期のアルバムがCD化され、デジタルリマスターCDとして一挙再発売された。その後も楽曲のリリース、全国のライブハウスなどを巡ってコンサート活動を続け、女性フォークシンガーとして活動するとともに、エッセイの執筆など多彩な活動を行っている。2020年にはデビュー45周年を迎えた。

2020年7月6日、夫の安田が大腸がんで死去したギタリストの安田裕美が逝去、妻・山崎ハコ「ファンの皆様、ありがとうございました」 Billboard JAPAN、2020年7月7日ギタリストの安田裕美さん死去 サントリーCMなど編曲 朝日新聞デジタル、2020年7月7日。

ディスコグラフィ

シングル

ソロ

No.発売日規格規格品番タイトル作詞作曲
キャニオン・レコード / F-LABEL
1st1978年5月10日EPF-213A流れ酔い唄山崎ハコ
B桧原ふるさと
2nd1979年4月2日EPF-225A地獄「心だけ愛して」山崎ハコ山崎ハコ
Bきょうだい心中不詳
3rd1979年9月21日EPF-247Aララバイ横須賀山崎ハコ
B織江の唄五木寛之
3rd1980年6月5日EPF-263A男のウ井スキー山崎ハコ
B旅の人
4th1981年1月10日EP7A0046A織江の唄
B道を探せ
5th1982年4月21日EP7A0170A幻想旅行
Bばいばいことば
6th1983年5月21日EP7A0284A雨に唄えない
Bヨコハマ・アンバランス
7th1984年3月21日EP7A0359A風の歌
B今日はなんだか
8th1984年6月21日EP7A0393A町よ
Bてっせん子守唄
ポリドール・レコード
9th1985年11月25日EP7DX-1403Aテル・ア・ライ山崎ハコ
B挨拶
トーラスレコード
10th1990年2月7日8cmCDTADX-73061ANOU山崎ハコ
2霧の朝
11th1990年10月26日8cmCDTADX-73171気分を変えて
2サヨナラの鐘
BMGビクター
12th1992年5月21日8cmCDBVDR-1011山崎ハコ
2HOLIDAY
ビクターエンタテインメント
13th1994年9月21日8cmCDVIDL-105521アカシアの雨がやむとき水木かおる藤原秀行
2今夜は踊ろう荒木一郎
14th1995年5月24日8cmCDVIDL-106511私が生まれた日山崎ハコ
2天使の微笑み
zetima
15th1997年2月10日8cmCDEPDA-401たどりついたらいつも雨ふり吉田拓郎
2夕陽が泣いている浜口庫之助
16th1997年5月25日8cmCDEPDA-431わっしょいニッポン山崎ハコ
2日本小町
17th1997年8月25日8cmCDEPDA-471たずね人 -冒険者-
2夕陽に赤とんぼ
徳間ジャパンコミュニケーションズ
18th2002年8月28日MaxiTKCA-724341やさしい歌山崎ハコ
2天の川で
3流氷岬
19th2004年2月25日MaxiTKCA-726611刹那の夢
2稲の花
3刹那の夢 〜劇場Version〜
20th2006年5月10日MaxiTKCA-901151てっせん子守唄
2ララバイ横浜
3海かがみ島倉千代子山崎ハコ山崎ハコ
コロムビアミュージックエンタテインメント
21st2008年2月20日MaxiCOCA-160671BEETLE山崎ハコ
2SŌDASUI
テイチクエンタテインメント
22nd2011年1月19日MaxiTECA-122731あなたの声山崎ハコ山崎ハコ
2おらだのふるさと田勢康弘

デュエット・シングル

名義発売日規格規格タイトル作詞作曲
東芝EMI / TM FACTORY
室井箱(滋) & 山崎ハコ2000年10月12日MaxiTOCT-42621 希望山崎ハコ
2希望

非売品シングル

発売日規格規格品番タイトル作詞作曲
エレックレコード
1975年10月EPETE-1A橋向こうの家山崎ハコ
B気分を変えて
1976年5月EPETE-2Aハーモニカ吹きの男山崎ハコ山崎ハコ
Bひとり唄不詳
キャニオン・レコード / F-LABEL
1977年11月EPPR-16A帰ってこい山崎ハコ
B二日酔岡沢隆一補:山崎ハコ荒川博之補:山崎ハコ

アルバム

オリジナル・アルバム

No.発売日規格規格品番タイトル
エレックレコード
1st1975年10月1日 LP ELEC-7 飛・び・ま・す
2nd1976年5月25日 LP ELEC-13 綱渡り
キャニオン・レコード / F-LABEL
3rd1977年3月18日 LP FF-9001 藍色の詩
4th1978年6月10日 LP FX-8003流れ酔い唄
5th1979年5月21日 LP C25A-0028F 人間まがい
6th1980年10月5日 LP C28A-0117 歩いて
7th1981年4月21日 LP C28A-0156
8th1981年11月5日 LP C28A-0190 幻想旅行
9th1982年4月5日 LP C28A-0210 幻想旅行II
10th1982年10月21日 LP C28A-0243 硝子の景色
11th1983年2月21日 LP C28A-0259 風の色
12th1983年9月21日 LP C28A-0292 ダージリン
13th1984年6月5日 LP C28A-0336 てっせんの花
ポリドール・レコード
14th1985年5月25日 LP 28MX-1211光る夢
CD H33P 20020
15th1985年11月25日 LP 28MX-1227時は流れて
CD H33P 20052
16th1986年6月1日 LP 28MX-1239なわとび
CD H33P 20079
トーラスレコード
17th1990年2月23日 CD TACX-2311 SA・SU・GA
18th1990年4月25日 CD TACX-2318日本詩集 〜遠い町 遠い空〜
BMGビクター
19th1992年5月21日 CD BVCR-84メンフィスまで
ビクターエンタテインメント
20th1995年5月24日 CD VICL-661 私が生まれた日
21st1996年6月21日 CD VICL-776唯心
テイチクエンタテインメント
22nd2012年3月7日 CD TECE-3067縁 -えにし-
23rd2014年9月17日 CD TECE-3269 歌っ子
24th2016年9月21日 CD TECE-3384私のうた
25th2018年6月20日CDTECE-3491横浜から 阿久悠未発表作品集

ミニ・アルバム

No.発売日規格規格品番タイトル
ミュー音楽出版
1st2001年11月28日 CD MUMP-1027 飛びます…17歳

カバー・アルバム

No.発売日規格規格品番タイトル
ビクターエンタテインメント
1st1994年9月21日 CD VICL-566 十八番

セルフカバー・アルバム

No.発売日規格規格品番タイトル
ビクターエンタテインメント
1st1995年9月27日 CD VICL-697 ハコのお箱
コロムビアミュージックエンタテインメント
2nd2009年11月4日CDCOCP-35820未・発・表

ライブ・アルバム

No.発売日規格規格品番タイトル備考
キャニオン・レコード / F-LABEL
1st1977年11月10日 LP FF-9010山崎ハコ ファーストライブ 1977年9月13日、大阪サンケイホールでのライブ音源。
2nd1979年11月21日 LP C35A-0072/3山崎ハコ ライブII 歌在りて 1979年9月23日~9月28日、博品館劇場でのライブ音源。
ポリドール・レコード
3rd1986年11月25日 LP 28MX-1253私の幸せ1986年9月8日~9月9日、FM東京ホールでのライブ音源。LPとCDで収録曲が異なる。
CD H33P 20120
ポニーキャニオン
4th2013年12月18日 CD PCCA-03957山崎ハコライブセット 『山崎ハコ ファーストライブ』および『山崎ハコ ライブII 歌在りて』にボーナス・トラック4曲を追加収録した編集盤。

ベスト・アルバム

No.発売日規格規格品番タイトル備考
キャニオン・レコード / F-LABEL
1st1980年7月5日 LP C25A-0099 軌跡 「きょうだい心中」と「飛びます」は未発表音源を収録。
2nd1984年2月5日 LP C20A-0322ベスト オブ 山崎ハコ
3rd1985年6月5日 CD D36A-0087 ベストセレクション
ポリドール・レコード
4th1985年7月25日 CD H32P 20028 ザ・ベスト・オブ・山崎ハコ
ポニー
5th1986年11月21日 CD D32P-6030 スーパーベスト
6th1987年11月21日 CD D32P-6154山崎ハコ ベスト
トーラスレコード
7th1990年8月29日 CD TACX-2326BEST 全13曲中10曲が再録音されている。
8th1992年11月21日 CD TACX-2372for your Good Days
ポニーキャニオン
9th1996年11月21日 CD PCCA-1034 山崎ハコ ベストアルバム
10th2001年12月24日 CD DMCA-40124 山崎ハコ ベストコレクション Dear My Songs 通販限定。山崎自身初監修(選曲・曲順・解説)によるベスト・アルバム。
11th2002年8月21日 CD PCCA-1740 Anthology 山崎ハコ BEST 山崎選曲によるベスト・アルバム。
ユニバーサルミュージック
12th2006年3月1日 CD UPCY-6118 山崎ハコ ゴールデン☆ベスト ボーナス・トラックに「友を送る歌」と「硝子のピノキオ」を収録。
徳間ジャパンコミュニケーションズ
13th2006年5月24日 CD TKCA-73029歌いたいの 「飛びます」「サヨナラの鐘」「望郷」「気分を変えて」「歌いたいの」「白い花」「ヨコハマ」は新録音。「会えない時でも」は新曲。
ポニーキャニオン
14th2008年7月16日 CD PCCS-00046 山崎ハコ best collection history 1975-1984
15th2014年10月1日 CD PCCA-04100 ハ・コ・で・す 1975-2014 デビュー40周年記念ベスト。Disc1がポニーキャニオン時代の曲のみ。Disc2はそれ以外の時代の曲で構成。

タイアップ

曲名 タイアップ 収録作品
地獄「心だけ愛して」 東映映画『地獄』主題歌シングル「地獄「心だけ愛して」」
きょうだい心中 東映映画『地獄』挿入歌
織江の唄 映画『青春の門』テーマソング シングル「織江の唄」
風の歌 香港映画『望郷』イメージ・ソング シングル「風の歌」
町よ MBS・TBS系放映『週末だけの恋人』 主題歌 シングル「町よ」
今夜は踊ろう 映画『愛の新世界』主題歌 シングル「アカシアの雨がやむとき」
私が生まれた日 映画『愛の新世界』挿入歌 シングル「私が生まれた日」
たどりついたらいつも雨ふり TBS系 横山やすし追悼ドラマ『俺は浪花の漫才師』主題歌 シングル「たどりついたらいつも雨ふり」
わっしょいニッポン NHK『みんなのうた』より シングル「わっしょいニッポン」
たずね人 -冒険者- テレビ東京系『いい旅・夢気分』エンディング・テーマ シングル「たずね人 -冒険者-」
刹那の夢 〜劇場Version〜 前進座特別公演・中村梅雀主演『まんがら茂平治』主題歌 シングル「刹那の夢」
BEETLE 映画『東京ソーダ水』主題歌シングル「BEETLE」
TBS系『徳光和夫の感動再会!"逢いたい"』2008年1~3月期エンディングテーマ
SŌDASUI 映画『東京ソーダ水』挿入歌
あなたの声 NHKラジオ深夜便2011年1-3月期「深夜便のうた」シングル「あなたの声」
おらだのふるさと 山形・白鷹町 誕生55周年記念歌

楽曲提供

香坂みゆき
  • 「気分をかえて」(作詞・作曲:山崎ハコ)
アグネス・チャン
  • 「小さな質問」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:石川鷹彦)
石川さゆり
  • 「花火」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:安田裕美)
かとうれい子
  • 「風鈴」(作詞:たきのえいじ、作曲:山崎ハコ、編曲:伊戸のりお&高円寺音楽団)
北原ミレイ
  • 「白い花」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:竜崎孝路
  • 「納沙布岬」(作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:竜崎孝路) - 2002年8月28日「流氷岬」と改題しセルフカバー。
熊谷美由紀(現・松田美由紀)
  • 「ダンシング・ドール」(作詞・作曲:山崎ハコ)
シンシア
裕木奈江
  • 「硝子のピノキオ」 (作詞・作曲:HAKO、編曲:森一美)
  • 「冬の東京」 (作詞:田口俊、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) - アルバム『旬』に収録
  • 「虹色の世界地図」 (作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄) - アルバム『旬』に収録
  • 「ダレダレのブギ」 (作詞:大槻ケンヂ、作曲:山崎ハコ、編曲:萩田光雄)
校歌
  • 石川県立金沢辰巳丘高等学校 学生歌1番「大きな明日へ」(作詞:五木寛之、作曲:山崎ハコ) - 原曲はアルバム『茜』に収録の『夕陽のふるさと』
  • 石川県立金沢辰巳丘高等学校 学生歌2番「友を送る歌」(作詞:五木寛之、作曲:山崎ハコ) - アルバム『日本詩集 〜遠い町 遠い空〜』に収録

テレビ・ラジオ企画

「呪い」

1979年に発売されたアルバム『人間まがい』B面の1曲目に収録された楽曲。作詞・作曲:山崎ハコ、編曲:石川鷹彦。のちに深夜ラジオ番組『大槻ケンヂのオールナイトニッポン』 や『コサキンDEワァオ!』などで紹介され、マニアックな評価を受けたことで代表曲となった。

「コーンコーン」という擬音のリフレインが印象的な楽曲で、呪いを込めて藁人形に釘を刺すという丑の刻参りを表す描写が特徴だが、「そういう悲しい自分に釘を刺せ」という裏の意味が込められている山崎ハコ、代表曲「呪い」には「悲しい自分に“釘をさせ”」という裏の意味がある サンケイスポーツ、2018年6月19日。

ちびまる子ちゃん

テレビアニメ『ちびまる子ちゃん』でも採り上げられたことがある。2002年7月7日、『2002年度「FNS27時間テレビ みんなのうた』の企画の一環として、当日放映のアニメ『ちびまる子ちゃん』の「まる子、フォークコンサートへ行く」の巻で、山崎ハコ本人役で歌と声の出演。劇中で「ヨコハマ」を歌ったほか、特別エンディングテーマとして「呪い」が流された。脚本はTARAKOが担当した。

電波少年

ラジオ出演

  • 山崎ハコのオールナイトニッポン - ニッポン放送、火曜2部、1979年4月~1980年3月。
  • 山崎ハコの本日おハコ - ラジオ沖縄、アール・エフ・ラジオ日本(2007年7月から再び放送開始)、新潟放送。過去にKBS京都も放送していた。
  • 山崎ハコの夢歌さがし - 山形放送、信越放送、岐阜放送。
  • ラジオ深夜便「深夜便のうた・あなたの声」 - 2011年1月から3月にかけてヘヴィー・ローテーションされる。それに先駆け2010年秋に「明日へのことば」で客演し、それを披露していた。

映画出演

  • 押絵と旅する男(1994年3月26日公開) - 覗きからくり口上
  • ヘヴンズ ストーリー(瀬々敬久監督、2010年10月2日公開、4時間38分) - 恭子役。映画女優デビュー。第25回高崎映画祭で最優秀助演女優賞を受賞。
  • 脳男(瀧本智行監督、2013年2月9日公開) - 志村の母親役
  • グラスホッパー(瀧本智行監督、2015年11月7日公開) - 桃役
  • 64-ロクヨン- 前編(瀬々敬久監督、2016年5月7日公開)
  • 雪子さんの足音(浜野佐知監督、2019年2月16日公開)
  • 花腐し(荒井晴彦監督、2023年11月10日公開) - 韓国スナックのママ 役

注釈

出典

関連項目

  • 石黒ケイ / 裕木奈江 - 同じ音楽事務所「IMADOKI」に所属していた。
  • フォークソング#日本のフォーク
  • フォークシンガー#日本
  • 1975年の音楽#デビュー - 同じ年にデビューした歌手

外部リンク

山崎ハコが所属していた音楽事務所「IMADOKI」元社長のインタビュー。デビュー当時の状況が詳細に語られている。
IMADOKI在籍当時に印税をもらっていなかったことなどを含め、山崎ハコの視点で語られている。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/04/13 10:59 UTC (変更履歴
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