ボーイ・ジョージ : ウィキペディア(Wikipedia)

ボーイ・ジョージ(Boy George、1961年6月14日 - )は、ロンドン生まれのアイルランド系イギリス人ミュージシャン。本名はジョージ・アラン・オダウド(George Alan O'Dowd)。ブルーアイド・ソウルのカルチャー・クラブのヴォーカリストとして知られる。

略歴

1982年、カルチャー・クラブのヴォーカリストとしてデビューした。奇抜なメイク、深みのある低音ボイスを特徴とした歌声でヒットを連発。1980年代の第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンを牽引した。代表曲に「君は完璧さ」ポップ・レゲエの曲で大ヒットした「タイム」シンセベースを強調したダンサブルな曲「カーマは気まぐれ」「ポイズン・マインド」オリジナルはモータウンのマーサ&ザ・ヴァンデラス「ミス・ミー・ブラインド」「戦争のうた」戦争は愚かだと歌う反戦歌であるなどがある。 1984年、バンド・エイドに当時の人気スターの一人として参加したヒットした「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」では、ボーイ・ジョージの深みのある歌声を確認することができる。この時期、ギネスブックの「最高のコマーシャル出演料」の項目において、日本のテレビで放映されるコマーシャルの出演料の150万ドルが世界一と認定されていたことがある。しかし、1986年にドラッグ禍が発生し、カルチャー・クラブは活動休止になってしまう。ソロ活動を開始し、1987年にアルバム『ソールド』をリリースしたが声はボロボロになっていた。彼はその後ニュー・ジャック・スウィングの曲を発表し、再注目されたテディ・ライリーが制作にかかわった。1990年には「Jesus Loves You」名義で活動(同名義ではアルバム「The Matir Mantra」一作のみリリース)。1992年に、アカデミー賞脚本賞を受賞した同名映画の主題歌となったカバー曲「ザ・クライング・ゲーム」(プロデュースはペット・ショップ・ボーイズ)がヒット。このころには声の艶が復活していた。

1995年カルチャー・クラブでの栄光と挫折を中心に描いた自伝「Take it like a man」を発表(未邦訳)。のちにジョージの自伝とリー・バウリーの本を元にした、ミュージカル「Taboo」がロンドンとブロードウエイで上演された(ロンドン版とブロードウエイ版では、舞台の内容が多少異なっている)。また英国では自伝を脚色して、2010年にTVドラマ化(「Worried About the Boy」)もされている。

カルチャー・クラブは、1998年11月に活動を再開するが、翌1999年12月には再び活動を休止する。その後2014年活動を再開した。2014年1月、ソロの音楽活動を再開。アルバムと2曲のシングルを発表。またUKツアーとUSAツアーも行われた。

私生活とセクシャリティ

「ミス・ミー・ブラインド」などのミュージック・ビデオでは漢字や日本人女性が登場している。また、「戦争のうた」の一部で“戦争反対”と日本語で歌っている。また、イギリスのテレビ番組ではコメンテーターとしても活躍し、歯に衣着せぬ切れ味鋭い発言をしている。

日本のテレビ番組におけるインタビューでは、ジョージの発言に関する日本語訳の字幕がオネエ言葉になっていた。料理好きで、料理の写真やレシピがTwitterなどで紹介されている。

ボーイ・ジョージがカルチャークラブにいたとき、彼の両性具有の外見から、彼のセクシュアリティについての様々な憶測があった。ジョーン・リバーズはインタビューで「あなたは、男性を好むの、それとも女性を好むの?」と質問すると、ジョージは「ああ、両方さ。」と答えた。1985年、バーバラ・ウォルターズから性的指向について尋ねられたとき、ジョージは彼がバイセクシュアルであり、過去にはさまざまなガールフレンドやボーイフレンドがいたと述べた。彼はインタビュアーに、セックスよりも「素敵なお茶」を好むという有名な、よく引用される返答をした。

ジョージは1995年の自伝『Take It Like a Man』で、彼は実際にはバイセクシュアルではなく「ゲイ」であり、パンク・ロック歌手のカーク・ブランドンやカルチャークラブのドラマーであるジョン・モスと秘密の関係にあったと述べた。彼は、カルチャークラブのために書いた曲の多くは「モスとの関係について」であると証言している。

2006年、サイモン・ジョージ監督のエピソードドキュメンタリー「少年ジョージの狂気」で、ジョージはカメラに「同性愛者」であると宣言した。2008年のドキュメンタリー 『Living with Boy George』で、彼はゲイであることを最初に両親に話したときの様子などを語っているLiving with... Boy George (TV 2008), IMDb。2007年4月、彼はノルウェー人の男性を手錠を使って監禁し、鎖で殴打した容疑で逮捕された。ジョージは手錠をかけたことは認めたものの、他の容疑については否認した(共同通信社2008年12月5日付)。だが、被害者のヌード写真の所有などを根拠に、2008年12月陪審員は有罪の評決を出した。弁護士はボーイ・ジョージの長年の薬物使用が原因と弁護したが、2009年1月、裁判官は禁固15ヶ月の実刑判決を言い渡した。2008年7月、アメリカでの夏のツアーと、ニューヨーク市衛生局主催の無料コンサートでの演奏を計画していたが監禁事件で本国イギリスで起訴されていることを理由に、アメリカ入国を拒否された。2009年5月、所内での真摯で勤勉な態度を理由に4か月での出所が認められ出所した。

ディスコグラフィ

+ カルチャー・クラブでの活動は除く
タイトル概要
1987 Soldオリジナルアルバム
1988 Tense Nervous Headacheオリジナルアルバム
Live My Lifeオリジナルシングル
1989 Boyfriendオリジナルアルバム
High Hatベスト盤
1991 The Martyr Mantrasオリジナルアルバム
1992 Spin Dazzle – The Best of Boy George and Culture Clubベスト盤
The Crying Gameサントラ・テーマ曲
1993 At Worst... The Best of Boy George and Culture Clubベスト?盤
More Than LikelyP.M. Dawn提供曲
1994 Human BeingsGaurangi提供曲
The Devil in Sister George EPEP盤
1995 Cheapness and Beautyオリジナルアルバム
1996 Everything I Ownベスト盤
Love Is Leavingオリジナルシングル
1997 Police and ThievesDubversive and Mica Paris提供曲
1998 The Unrecoupable One Man Banditオリジナルアルバム
When Will You Learnオリジナルシングル
1999 Why Go?Faithless提供曲
Galaxy MixDJ盤
2001 ''Essential MixDJ盤
BoyGeorgeDj.comDJ盤
Lucky for SomeDJ盤
2002 ''Classic Mastersベスト盤
Something Old, Something New – A More Protein CompilationDJ盤
A Night Out with Boy George – A DJ MixDJ盤
A Night In with Boy George – A Chillout MixDJ盤
U Can Never B2 Straightオリジナルアルバム
Taboo - Original London Castサントラ
RunSash!提供曲
Auto-EroticDark Globe提供曲
2003 Psychology of the DreamerEddie Lock提供曲
Out of FashionHi-Gate提供曲
2005 StraightEP盤
2006 You Are My SisterAntony and the Johnsons提供曲
2007 You're Not the OneLoverush UK!提供曲
Time MachineAmanda Ghost提供曲
AtomsDark Globe提供曲
2009 American HeartBliss提供曲
White Xmasオリジナルシングル
2010 Ordinary Alienオリジナルアルバム
Someone Else's EyesAmanda Lear and Deadstar提供曲
Take Us to the DiscoBylli Crayone提供曲
Somebody to Love MeMark Ronson and Andrew Wyatt提供曲
2012 HappyDJ Yoda提供曲
King of QueensEP盤
2013 Coming HomeDharma Protocol提供曲
This Is What I Doオリジナルアルバム
2018 Lifeオリジナルアルバム

注釈

出典

関連項目

  • レゲエ
  • LGBT
  • ペット・ショップ・ボーイズ - ザ・クライング・ゲーム(映画『クライング・ゲーム』主題歌)をプロデュース。このグループもゲイとして知られている。
  • IZAM - 日本の歌手、タレント、俳優。学生時代に見たボーイ・ジョージに影響を受けた事を公言している。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/31 22:15 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「ボーイ・ジョージ」の人物情報へ