フランシス・ホジソン・バーネット : ウィキペディア(Wikipedia)

フランシス・イライザ・ホジソン・バーネットドラマ『小公女セイラ』のナレーション(渡辺真理)ではフランシス・エリザ・ホジソン・バーネットと呼んでいる。(, 1849年11月24日 - 1924年10月29日)は、イギリス生まれのアメリカ合衆国の小説家、劇作家。バーネット夫人 () とも呼ばれる。

生涯

フランシス・イライザ・ホジソンはイギリスのマンチェスターに生まれたが、幼い頃に父を亡くし、1865年、16歳で一家と共にアメリカのテネシー州ノックスヴィルへと移住した。1868年、女性向け月刊雑誌『ゴーディズ・レディース・ブック』(Godey's Lady's Book)に『心とダイヤモンド』(Hearts and Diamonds)を発表する。1873年に医者のスワン・バーネット(Swan Burnett)とワシントンD.C.で結婚し、ライオネル(成人前に病死)とヴィヴィアンの二人の男の子をもうける。

1886年には『小公子』(Little Lord Fauntleroy)を雑誌『セント・ニコラス』(St. Nicholas Magazine)に発表する。児童向けとして書かれた本だったが、母親達に大いに人気を博し、バーネットの次男ヴィヴィアンの髪型を元にした主人公のロングカールの髪型と、オスカー・ワイルドの正装を元にしたレースの襟がついたベルベットのスーツ、通称フォントルロイ・スーツが大流行した。この本は、50万部を売り上げた。

1888年『セーラ・クルー』(Sara Crewe)を発表、この作品は1905年に『小公女』(A Little Princess)と改題されて書き直された。

1890年代半ばからは主にイングランドに居住したが、1905年にアメリカ合衆国の市民権を取得し、1909年に米国に戻った。1911年『秘密の花園』(The Secret Garden)を発表するが、生前のうちは反響は大きくなかった。1915年に『消えた王子』を発表。

ニューヨーク州プランドーム(Plandome)で余生を送り、同地にて死去した。

伝記

  • アン・スウェイト『秘密の花園の向こうへ フランシス・ホジソン・バーネットの生涯』
山内玲子訳、国書刊行会、2024年
  • 川端有子『小説家フランシス・ホジソン・バーネット』玉川大学出版部、2021年

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/04 10:18 UTC (変更履歴
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