葉山正雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

葉山 正雄(はやま まさお、1925年8月1日 - )は、日本の俳優であるキネマ旬報社[1979], p.472.葉山正雄jlogos.com, エア、2013年2月2日閲覧。葉山正雄、日本映画データベース、2013年2月2日閲覧。葉山正雄、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月2日閲覧。葉山正雄、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月2日閲覧。葉山正雄、KINENOTE, 2013年2月2日閲覧。葉山正雄、テレビドラマデータベース、2013年2月2日閲覧。葉山正雄、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月2日閲覧。。本名鈴木 正雄(すずき まさお)。菅原秀雄青木富夫横山準、末松孝行、加藤清一とともに同時代の「松竹蒲田の名子役」と謳われた。

人物・来歴

1925年(大正14年)8月1日、神奈川県横浜市に生まれる。

満5歳を迎える1930年(昭和5年)、東京府荏原郡蒲田町(現在の東京都大田区蒲田5丁目)にあった松竹蒲田撮影所(のちに大船に移転、現存せず)で子役になる。『腰辨頑張れ』(監督成瀬巳喜男、1931年)、『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』(監督小津安二郎、1932年)等に出演した後、1935年(昭和10年)には、新興キネマと提携する入江プロダクションに招かれ、豊島園そばの富士スタジオで撮影された鈴木重吉監督の『貞操問答 高原の巻』『貞操問答 都会の巻』に出演している。菅原秀雄、「突貫小僧」こと青木富夫、「爆弾小僧」こと横山準、「アメリカ小僧」こと末松孝行、あるいは加藤清一(旧芸名加藤精一)とともに同時代の「松竹蒲田の名子役」として重用された。同撮影所は、1936年(昭和11年)1月15日、神奈川県鎌倉郡大船町(現在の鎌倉市大船)に新設された松竹大船撮影所(現存せず)に全機能を移転することになり、葉山も大船に異動になり、ひきつづき多くの作品に出演した。十代後半となった第二次世界大戦中も、同撮影所でひきつづき俳優としての活動をつづけ、満19歳のときである1944年(昭和19年)9月14日に公開された、穂積利昌監督の『君こそ次の荒鷲だ』に出演したのが、戦時中の最後の出演記録である。

戦後は、現代劇を製作することになった松竹京都撮影所に異動し、脇役・端役中心であるが、映画出演をつづけた。1979年(昭和54年)10月23日に発行された『日本映画俳優全集・男優編』(キネマ旬報社)の葉山の項には、満23歳となった1948年(昭和23年)8月30日に公開された高木孝一監督の『のらくら海浜騒動』に出演した後は「スクリーンから姿を消した」と記述され、それ以降の記述はないが、実際にはその後も少なくとも13年は同撮影所での俳優活動を続けており、満36歳のとき、1961年(昭和36年)11月1日に公開された井上梅次監督の『妻あり子あり友ありて』にも出演し、クレジットされている。しかしながらそれ以降の出演記録は残っておらず、以降の消息は不明である。2歳年長の突貫小僧こと青木富夫はすでに2004年(平成16年)に満80歳で亡くなっている状況であるが、葉山が存命であれば、現在満歳である。

フィルモグラフィ

特筆以外すべてクレジットは「出演」である。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年2月2日閲覧。。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

松竹蒲田撮影所

特筆以外すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、特筆以外すべて配給は「松竹キネマ」、特筆以外すべてサイレント映画である。

  • 『腰辨頑張れ』 : 監督成瀬巳喜男、1931年8月8日公開 - 戸田家の子供、38分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『浮気は汽車に乗って』 : 監督成瀬巳喜男、1931年8月15日公開 - 倅
  • 『偉くなれ』 : 監督成瀬巳喜男、1932年4月15日公開 - 倅
  • 『大人の見る絵本 生れてはみたけれど』 : 監督小津安二郎、1932年6月3日公開 - 遊び仲間、90分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『貞操問答 高原の巻』 : 監督鈴木重吉、製作入江プロダクション、配給新興キネマ、トーキー、1935年2月1日公開 - 準之助の息子小太郎
  • 『貞操問答 都会の巻』 : 監督鈴木重吉、製作入江プロダクション、配給新興キネマ、トーキー、1935年2月14日公開 - 準之助の息子小太郎
  • 『東京の英雄』 : 監督清水宏、サウンド版、1935年3月7日公開 - 町の子供、64分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『真白き富士の根』 : 監督佐々木康、サウンド版、1935年8月29日公開
  • 『人生のお荷物』 : 監督五所平之助、トーキー、1935年12月10日公開 - 息子 寛一、66分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『あの道この道』(『夢心コンビ第三回 あの道この道』) : 監督佐々木康、サウンド版、1936年2月22日公開 - 宗吉、77分尺で現存(NFC所蔵)

松竹大船撮影所

特筆以外すべて製作は「松竹大船撮影所」、すべて配給は「松竹キネマ」あるいは「松竹」、特筆以外すべてトーキーである。

  • 『有りがたうさん』 : 監督清水宏、1936年2月27日公開 - 小学生、76分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『お芙美の評判』 : 監督佐々木啓祐、解説版、1936年5月8日公開
  • 『一人息子』 : 監督小津安二郎、1936年9月15日公開 - その少年時代、82分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『嘆きの母』 : 監督宗本英男、1936年10月15日公開 - 次男三吉
  • 『荒城の月』 : 監督佐々木啓祐、1937年2月4日公開 - 健吉、73分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『淑女は何を忘れたか』 : 監督小津安二郎、1937年3月3日公開 - その子藤雄、71分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『恋も忘れて』 : 監督清水宏、1937年7月1日公開 - 支那人の子
  • 『花形選手』 : 監督清水宏、1937年10月9日公開 - 田舎の子供、64分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『風の中の子供』 : 監督清水宏、1937年11月11日公開 - 善太、86分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『母の勝利』 : 監督斎藤寅次郎、1937年11月25日公開 - 主演
  • 『母と子』 : 監督渋谷実、1938年7月1日公開 - 給仕、88分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『希望に立つ』 : 監督宗本英男、1938年8月25日公開
  • 『子供の四季 春夏の巻』 : 監督清水宏、1939年1月28日公開 - 善太、70分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『子供の四季 秋冬の巻』 : 監督清水宏、1939年2月2日公開 - 善太
  • 『南風』 : 監督渋谷実、1939年2月15日公開 - アパートの子供、72分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『五人の兄妹』 : 監督吉村公三郎、1939年7月20日公開 - 良三の少年時代、93分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『母』 : 監督田中重雄、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1939年10月12日公開 - 朝子の子進
  • 『波濤』 : 監督原研吉、1939年10月13日公開 - 郷子の弟、100分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『狐』 : 監督渋谷実、1939年10月24日公開 - 欽一、27分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『太平洋行進曲』 : 監督深田修造・曾根千晴、製作新興キネマ東京撮影所、配給新興キネマ、1940年5月15日公開 - 節子の弟三吉
  • 『女人転心』 : 監督清水宏、1940年9月5日公開
  • 『冬木博士の家族』 : 監督大庭秀雄、1940年10月31日公開 - 辰郎、70分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『お絹と番頭』 : 監督野村浩将、1940年12月31日公開 - 向井家の人々、73分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『戸田家の兄妹』 : 監督小津安二郎、1941年3月1日公開 - 千鶴の子良吉、105分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『まごころの歌』 : 監督蛭川伊勢夫、1941年6月22日公開 - 弟次郎
  • 『父ありき』 : 監督小津安二郎、配給映画配給社、1942年4月1日公開 - 北陸の中学生、87分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『母子草』 : 監督田坂具隆、製作松竹太秦撮影所、配給映画配給社、1942年6月4日公開
  • 『家に三男二女あり』 : 監督瑞穂春海、配給映画配給社、1943年3月11日公開 - 少年時代太郎、6分尺の断片のみが現存(NFC所蔵)
  • 『むすめ』 : 監督大庭秀雄、配給映画配給社、1943年5月13日公開 - 勇吉、77分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『愛機南へ飛ぶ』 : 監督佐々木康、配給映画配給社、1943年9月10日公開 - 菅沼真雄
  • 『秘話ノルマントン号事件 仮面の舞踏』 : 監督佐々木啓祐、製作松竹下加茂撮影所、配給映画配給社、1943年10月28日公開 - 弟伸二郎
  • 『天狗倒し』 : 監督井上金太郎、配給映画配給社、1944年2月10日公開 - ジム、67分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『不沈艦撃沈』 : 監督マキノ正博、配給映画配給社、1944年3月23日公開 - 役名不明、93分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『君こそ次の荒鷲だ』 : 監督穂積利昌、配給映画配給社、1944年9月14日公開 - 間宮生徒

松竹京都撮影所

すべて製作は「松竹京都撮影所」、すべて配給は「松竹」である。

  • 『街の野獣』 : 監督小坂哲人、1946年9月24日公開 - 吉本正三
  • 『地獄の顔』 : 監督大曾根辰夫、1947年1月28日公開 - 留吉
  • 『激怒』 : 監督小坂哲人、1947年9月9日公開 - 共栄協会社員
  • 『われ泣きぬれて』 : 監督芦原正、1948年2月24日公開 - 草場良平
  • 『のらくら海浜騒動』 : 監督高木孝一、1948年8月30日公開 - ボーイ
  • 『森の石松』 : 監督吉村公三郎、1949年6月4日公開 - 勤王の侍、97分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『パイナップル部隊』 : 監督内川清一郎、1959年12月27日公開 - 巡査
  • 『越後獅子祭』 : 監督渡辺邦男、1960年2月26日公開 - 越後屋手代
  • 『十字路』第1回『罠』 : 監督福田晴一、松竹/フジテレビジョン(テレビ映画)、1960年10月12日放映
  • 『中乗り新三 天竜鴉』 : 監督山田達雄、1960年10月19日公開 - 田川平馬
  • 『第三捜査命令』 : 監督福田晴一、1961年3月15日公開 - 典吾
  • 『妻あり子あり友ありて』 : 監督井上梅次、1961年11月1日公開 - 役名不明、157分尺で現存(NFC所蔵)

参考文献

  • 『日本映画俳優全集・男優編』、キネマ旬報社、1979年10月23日
  • 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133

関連項目

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/07/29 10:54 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「葉山正雄」の人物情報へ