ハーマン・メルビル : ウィキペディア(Wikipedia)

ハーマン・メルヴィルHerman Melville、1819年8月1日 - 1891年9月28日)は、アメリカの作家、小説家。ニューヨーク出身。代表作は『白鯨』など。

略歴

ニューヨークの裕福な食料品輸入商の三男として生まれる。11歳の頃、家の経済状態が悪化し、母の実家(ニューヨーク州の州都オールバニー)に移り住む。2年後、父が多額の借金を残して死亡。ハーマンは学校を中退しニューヨーク州立銀行で働き、16歳で教員の資格を取ったのち短いあいだ小学校の教員を務め、また測量土木の技師を志すが、債権者に迫られるほど家計が逼迫したため一家はオールバニーにほど近いランシンバーグに夜逃げする。しかし移転先でも生活が成り立たなくなると、止む無く1839年に兄の紹介で船員となる。

1840年、捕鯨船アクシュネット号の乗組員となり、翌年南太平洋へ航海、きびしい環境に嫌気が差し1842年7月9日、マルケサス諸島のヌク・ヒバ島で仲間と脱走、タイピー渓谷に住む先住民タイピー族に出会い、そこで約1ヶ月滞在する(その経験が小説『タイピー』の元となる)。8月にオーストラリアの捕鯨船ルーシー・アン号に救われるが、タヒチ島で乗組員の暴動に巻き込まれイギリス領事館に逮捕される。10月にはここからも脱走しエイメオ島(現在のモーレア島)に隠れる。この波乱万丈な航海は、11月、アメリカ捕鯨船チャールズ・アンド・ヘンリー号に救われ、翌1843年4月ハワイに着くまで続き、その後の彼の作品に大きな影を落とした。

ホノルル滞在中の1843年8月、アメリカ海軍フリゲート艦の水兵に採用され、翌1844年ランシンバーグに帰郷する。留守中に実家は家計もよくなり兄弟も独立していた。暮らしに余裕の出来たハーマンは文筆業で身を立てようと、当時流行していたに手を染め、マルケサス諸島の体験を元に1845年処女作『タイピー』を発表。1850年、メルヴィルは『Hawthorne and His Mosses』でナサニエル・ホーソーンを絶賛し、二人の交友が始まる。翌年『白鯨』を発表するなど精力的に創作活動を続けるが、諸作品はことごとく評価されず、文筆で身を立てることは出来なかった。そこで外国の領事館や海軍に職を求めるが雇い口は見つからず、生活に追われながら細々と小説を発表する状態が続く。1866年には、72編からなる詩での南北戦争についての見聞録「[[:en:Battle Pieces and Aspects of the War]]」を制作した。

1866年12月、妻の親戚のつてでようやくニューヨーク税関の検査係の職を得るも、子供4人の内、長男マルコムのピストル自殺、自宅の焼失、次男スタンウィクスの出奔(1886年サンフランシスコで客死)などの不幸が続く。1891年に死去、遺作に中編小説『ビリー・バッド』短編伝記映画。メルヴィルの伝記映画(セミ・ドキュメント)。伝記。。

著作の再評価

難解な作風のため、一部の愛好者を除いて無視され続けていたメルヴィルの作品は、死後30年を経た1921年に再評価の動きがおこる。この年、著『ハーマン・メルヴィル 航海者にして神秘家』が発表され、メルヴィルの評価は上昇し、『メルヴィル著作集』全16巻の刊行、『白鯨』の映画化(グレゴリー・ペック主演作など複数)などが行われる。メルヴィルの存命中に考えられなかったことに、今やアメリカを代表する文学者として世界中に知られるようになった。サマセット・モームの『世界の十大小説』に入っている。

存命中は『白鯨』など主な作品はあまりの悲劇性、象徴性のためにまともな評価はされず、本人はずっと税関で働いて暮らしを立てていた。没後に、エマースンやソロー、ホーソーン、ポーホイットマンと並ぶ、の作家の一人として、日本語訳も多く刊行された。

日本語訳の移り変わり

日本人研究者の古典となった酒本雅之『アメリカ・ルネッサンスの作家たち』から、アメリカン・ルネサンスの再評価を試みる『アメリカン・ルネサンスの現在形』(松柏社、2007年)多くがある。

詩人の原光が、八潮出版社で『イスラエル・ポッター』ほか数作を翻訳。

  • 『クラレル : 聖地における詩と巡礼』須山静夫訳原題:Clarel: A Poem and Pilgrimage in the Holy Land(南雲堂、1999年)
初版1876年(上・下巻)で、アメリカ文学でもっとも長編の叙事詩とされる
  • 『ピエール:黙示録よりも深く』上・下、牧野有通訳、幻戯書房「ルリユール叢書」、2022年

全集版

阿部知二訳による『白鯨』『代書人バートルビー』をふくむ筑摩書房版〈世界文学全集〉は1960年、1967年、1970年、1972年と多くの版で刊行された。

集英社〈世界文学全集〉の『白鯨』は、新旧の訳があり、新版で『タイピー』土岐恒二訳を収録。
  • 阿部知二訳『白鯨』は1971年版。
  • 幾野宏訳『白鯨』は1980年版。
  • 土岐恒二訳『タイピー』1979年版。
  • 同上『タイピー』1986年版。
坂下昇訳版の『メルヴィル全集』(国書刊行会 全11巻、1981-83年)は、訳文は独特な難解さである。以下は一覧
  • 第1巻 原題 Typee : a peep at Polynesian life
  • 第2巻 原題 Omoo : a narrative of adventures in the south seas
  • 第3巻 原題 Mardi and a voyage thither
  • 第4巻 原題 Mardi and a voyage thither
  • 第5巻 原題 Redburn : his first voyage
  • 第6巻 原題 White-jacket : or, the world in a man of war
  • 第7巻 原題 Moby-Dick : or, the whale
  • 第8巻 原題 Moby-Dick : or, the whale
  • 第9巻 原題 Pierre : or, the ambiguities
  • 第10巻 原題 Billy Budd, Israel Potter
  • 第11巻 原題 The confidence-man, his masquerade
各巻に折込の小冊子。第6巻には池田孝一が寄せた『事実と虚構—「白いジャケツ」の背景』が付いていた。
坂下昇訳は岩波文庫でも以下刊行。
  • 他は『バートルビー』
国書刊行会で『乙女たちの地獄 メルヴィル中短篇集』2冊も刊行。

研究誌

  • 1号(1985年)から15号(1999年)で終刊。責任表示と出版者を改めて再刊行。
  • 16号(2000年)から28号(2004年)以降、刊行中。

作品

  • 『タイピー』『恐怖の島』(1958年)として映画化。"Typee", 1846年
  • 『オムー』"Omoo", 1847年
  • 『マーディ』"Mardi and a Voyage Thither", 1849年
  • 『レッドバーン』"Redburn, His First Voyage", 1849年
  • 『白いジャケツ』"White-Jacket", 1850年
  • 『ホーソーンとその苔』"Hawthorne and His Mosses", 1850年
  • 『白鯨』『海の野獣』『海の巨人』『白鯨 (映画)』『モビー・ディック』『白鯨 Moby Dick』『バトルフィールド・アビス』として映画化。1998年と2011年にアメリカでテレビ番組化。"Moby-Dick", 1851年
  • 『ピエール』『ポーラX』として映画化。"Pierre or the Ambiguities", 1852年
  • 『代書人バートルビー』『Bartleby』(1969年)『Bartleby』(1970年)『Bartleby』(1976年)『Bartleby』(2001年)として映画化。"Bartleby the Scrivener", 1853年
  • 『エンカンタダス-魔の島々』"The Encantadas, or Enchanted Isles", 1854年
  • 『イスラエル・ポッター』"Israel Potter", 1855年
  • 『ベニート・セレーノ』"Benito Cereno", 1855年
  • 『短篇集』"The Piazza Tales" 1856年
  • 『詐欺師』"The Confidence-Man" 1857年
  • 『クラレル 聖地における詩と巡礼』須山静夫訳(南雲堂、1999年)は、長年かけ訳・注解を行った、作品論は遺著『クレバスに心せよ!』(吉夏社、2012年)に収録。"Clarel : A Poem and Pilgrimage in the Holy Land", 1876年
  • 『ビリー・バッド』『奴隷戦艦』として映画化。「ビリー・バッド」としてオペラになる。"Billy Budd, Sailor", 1924年

注釈

出典

関連項目

  • アメリカ文学
  • 大橋健三郎 - 編『鯨とテキスト メルヴィルの世界』国書刊行会、1983年
  • 白鯨との闘い - 2015年公開の映画(メルヴィルも登場)
  • リヴィアタン・メルビレイ - 2010年にペルーで発見された新種の化石種クジラ。学名はメルヴィルの名に因む。

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