錦織博 : ウィキペディア(Wikipedia)

錦織 博(にしきおり ひろし、1966年5月20日 - )は、日本の男性アニメーション演出家、アニメーション監督、脚本家。京都府出身。日本アニメーションを経てフリーとなってからは数多くの作品に演出・監督として参加している。

経歴

小学校の高学年の頃、劇場版『銀河鉄道999』のムックに載っていたスタッフ構成やアニメの機材、制作手法の記事を見てアニメの技術的な部分に関心を持つ。劇場版2作目の『さよなら銀河鉄道999』が公開されると、金田伊功の画集『金田Special』に掲載された同映画の原画に衝撃を受けて作画や美術にも興味を持つようになる。また同時期に出ていた安彦良和杉野昭夫などの画集も買う。

中学生になると『銀河鉄道999』の原作の完結とともにアニメへの興味も失せ、しばらくアニメから離れる。

高校時代、美術部の友人に付き合って買った宮崎駿の『風の谷のナウシカ』のコミックスの絵が好きだった『ルパン三世 カリオストロの城』や『未来少年コナン』の絵と同じだと気づき、アニメへの興味が再燃する。しかし、その頃はちょうど角川映画が盛り上がっていた時期で、アニメより実写映画の方に興味があった。相米慎二大森一樹のファンになり、日本映画学校に行って映画を学ぼうと考えていた。しかし、近所の公民館で無料上映されていたポール・グリモーの『やぶにらみの暴君』に衝撃を受け、「アニメで映画をやろう」と決意して東京デザイナー学院に入る。その前に「専門学校に行くよりアニメスタジオで働き始める方がいいのではないか」と考え、友永和秀のいたテレコム・アニメーションフィルムと小林治後藤真砂子のいた亜細亜堂の採用試験を受けるが、どちらも不採用だった。専門学校卒業後、ガイナックスを訪れて演出や監督をやりたいと申し出るが、応対した村濱章司(のちにGONZOの社長となった)に「ウチはみんな監督をやりたいと思っているから別のところに行った方がいいよ」と断られる。

撮影スタジオの高橋プロダクションを経て、日本アニメーションに入社。『ちびまる子ちゃん』の亜細亜堂の制作協力回で演出助手を務める。社長が「東映アニメーションは少ない(動画)枚数で作品を作っている。ウチも2000枚台で作ろう」と言い出したため、敵情視察のために東映アニメ作品を片っ端から見る。そして『きんぎょ注意報!』の佐藤順一幾原邦彦担当回の革新的な演出を見て、「演出家としてテレビアニメの20数分を構成することに対して自分とは違う意識を持っている人たちがいる」と驚き、同じ老舗でも冒険を許さない空気のあった当時の日本アニメーションと違い東映アニメーションではこんな冒険的なことをやっているんだと衝撃を受けた。日本アニメーションからの退社を決め、少し前に辞めていたプロデューサーの松土隆二が設立したベガエンタテイメントを手伝うようになる。そして同社と付き合いのあったシンエイ動画の『ザ☆ドラえもんズ 怪盗ドラパン謎の挑戦状!』に演出として参加することになり、その後、『ザ☆ドラえもんズ』の短編映画やテレビスペシャルの監督を担当するようになった。

人物

『銀河鉄道999』、出﨑統監督の劇場版『エースをねらえ!』、杉井ギサブロー監督の『タッチ』は特別な位置にある作品。『銀河鉄道999』は原作漫画・アニメすべてのファンで、アニメに興味を持つきっかけにもなった。後者2本は、作品の中で時間をコントロールするという意識を強く感じ、現在の自分の仕事の根幹になっている。

エピソード

  • 幾原邦彦に一方的に好かれている(幾原本人談)。『少女革命ウテナ』第5話「光りさす庭・フィナーレ」での時間経過を無視した奇抜な演出を幾原がいたく気に入ったためと思われる。幾原は、その絵コンテを見て「錦織君は自分と感性が近いかも」と他のスタッフに漏らした『少女革命ウテナ』LD 7巻解説書より。知り合ったきっかけは、幾原が東映を離れてオリジナル作品を作っていると聞きつけた錦織が押し掛け、初対面の幾原に誘われて『ウテナ』に演出で参加したこと。

作品リスト

テレビアニメ

劇場アニメ

OVA

関連項目

  • アニメ関係者一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/26 00:02 UTC (変更履歴
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