ニコラス・ウィンディング・レフン : ウィキペディア(Wikipedia)

ニコラス・ウィンディング・レフンNicolas Winding Refn, 1970年9月29日 - )は、デンマーク出身の映画監督、脚本家、映画プロデューサー。

略歴

1970年にコペンハーゲンで映画監督の父と撮影監督の母のもとに生まれ、8歳の時に両親とともにニューヨークに渡る。17歳でコペンハーゲンに戻ってギムナジウム(高校)で学び、卒業するとすぐにニューヨークに戻ってアメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツに通うが、教室の壁に机を投げつけたことで放校処分になる。デンマークの映画学校に入学するがこちらもすぐに退学。

自らの脚本・監督・出演による短編映画がマイナーなケーブルテレビ局で放送されると、人生を変えるオファーが来た。320万クローネの出資により、当時24歳の彼が脚本・監督を務めたバイオレンス映画『プッシャー』(1996年)が公開され、批評面でも興行面でも大成功を収めた。また、2作目となる『ブリーダー』(1999年)も高い評価を得た。

ところが3作目となる初の英語作品『Fear X』(2003年)が、高い評価は得たものの、興行的に大失敗し、巨額の負債を抱えたレフンは『プッシャー』の2作目と3作目を作ったことで復活する。このときのレフンの様子はドキュメンタリー映画『ギャンブラー ニコラス・ウィンディング・レフンの苦悩』に収められている。

その後、活動の場を海外に広げ、ハリウッドでの初監督映画『ドライヴ』(ライアン・ゴズリング主演)が2011年のカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で上映され、監督賞を受賞。

グッチのコマーシャルフィルムを担当し、2012年のヴェネツィア国際映画祭で上映された。また親交のあるミュージシャンのピーター・ピーターのミュージックビデオも手がけた。

中間色が見えづらい色覚障害を持っており、色彩コントラストの強い独特な画面構成が特徴。

フィルモグラフィ

映画

タイトル 製作国 言語 備考
1996 プッシャーPusher デンマーク語 監督・脚本・出演
1999 ブリーダーBleeder デンマーク語 監督・脚本・製作
2003 Fear XFear X 英語 監督・脚本
2004 プッシャー2Pusher II デンマーク語 監督・脚本・製作
2005 プッシャー3Pusher 3 デンマーク語 監督・脚本
2008 ブロンソンBronson 英語 監督・脚本
2009 ヴァルハラ・ライジングValhalla Rising 英語 監督・脚本
2010 プッシャーPusher ヒンディー語 オリジナル脚本
2011 ドライヴDrive 英語 監督
2012 プッシャーPusher 英語 製作総指揮・オリジナル脚本
アウトローBlack's Game 製作総指揮
2013 オンリー・ゴッドOnly God Forgives 英語 監督・脚本
ホドロフスキーのDUNEJodorowsky's Dune 英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語 出演
2014 マイ・ライフ・ディレクテッド・バイ・ニコラス・ウィンディング・レフンMy Life Directed by Nicolas Winding Refn 英語出演
ラスト・リベンジDying of the Light 英語、アラビア語、ルーマニア語 製作総指揮
2016 ネオン・デーモンThe Neon Demon 英語 監督・脚本・原案

テレビシリーズ

タイトル 製作国 言語 備考
2019 トゥー・オールド・トゥー・ダイ・ヤングToo Old to Die Young 英語 Amazonプライム・ビデオ
2023Copenhagen CowboyNetflix
TBA Maniac Cop HBOドラマ

ゲーム

タイトル 製作国 言語 備考
2019デス・ストランディングDeath Stranding 英語 ハートマン役(モーションキャプチャー)

参考文献

関連項目

  • 『ホットライン・マイアミ』 - Dennaton Games制作、Devolver Digital発売のコンピュータゲーム。『ドライヴ』に強い影響を受けており、ゲームのクレジット中にもスペシャルサンクスとして監督の名前が出ている。

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/01/24 00:20 UTC (変更履歴
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