ナット・キング・コール : ウィキペディア(Wikipedia)

ナット・キング・コールNat King Cole、1919年3月17日 - 1965年2月15日)は、アメリカのジャズピアニスト・歌手。

本名はナサニエル・アダムズ・コールズ(Nathaniel Adams Coles)。「キング」は愛称。

経歴

コールは、アラバマ州モンゴメリーで生まれた。父はバプテスト教会の牧師で、母・ペリーナは教会のオルガン奏者だった。コールは12歳まで母からオルガンを習った。

1930年代からピアニストとして活動。スウィング・ジャズ時代末期の傑出したピアニストとしての業績を残した。1939年にピアノ、ギター、ベースのシンプルな編成からなる「ナット・キング・コール・トリオ」を結成し、 ビッグバンドの時代におけるコールの編成は革新的と観られ、トリオバンド流行の火付け役となった。

コールはピアニストとして高く評価されていたが、艶と暖かみのあるスモーキーな声も絶賛され歌手としても大活躍し、数多くのヒット曲を世に送った。1944年に歌手として「ストレイトン・アップ・アンド・フライ・ライト(Straighten Up and Fly Right)」を大きくヒットさせた。

1948年3月28日、歌手のマリア・エリントンと結婚。5子を儲ける。1950年代以降はジャズからポピュラー界に軸足を移し、テレビにも多く出演し広く大衆的な人気を得た。

1950年以降の歌唱では、「モナ・リザ(Mona Lisa)」「スターダスト」「ルート66」「トゥー・ヤング(Too Young)」「ホエン・アイ・フォール・イン・ラブ」「ネイチャー・ボーイ(Nature Boy)」などが知られる。「スマイル」は、もともと喜劇王チャールズ・"チャーリー"・チャップリンの映画『モダン・タイムス』のテーマ曲(インストゥルメンタル)であるが、コールのレコードのために歌詞が加えられたものである。53年にはジャズとR&Bのミュージシャンが参加したコンサート「Cavalcade of Jazz」が開催されたが、コールはロイ・ブラウン、ショーティ・ロジャーズ、アール・ボスティックやルイ・アームストロングらと共に出演したReed, Tom. (1992). The Black music history of Los Angeles, its roots : 50 years in Black music : a classical pictorial history of Los Angeles Black music of the 20s, 30s, 40s, 50s and 60s : photographic essays that define the people, the artistry and their contributions to the wonderful world of entertainment (1st, limited ed.). Los Angeles: Black Accent on L.A. Press. ISBN 096329086X. OCLC 28801394.。コールはポピュラー音楽界で人気者となったが、1956年には、正統派のジャズアルバム「アフター・ミッドナイト(After Midnight)」を発表し、ジャズのベイシックに戻った。58年にはアフリカ系アメリカ人として初めて、テレビのレギュラー・ホスト番組『ザ・ナット・キング・コール・ショー』をNBC系列で放送し始めた2021年1月15日閲覧 smithsonian.com. the first black performer to host nationally syndicated television show。またコールのマネージャーがヒスパニック系だったため、コールは58年にはキューバのハバナへ飛び、「コール・エスパニョール」というスペイン語アルバムを録音している。

1961年にシングル「レット・ゼア・ビー・ラヴ(Let There Be Love)」がイギリスでヒットした。

コールは1965年2月15日、カリフォルニア州サンタモニカの病院で肺癌のため45歳で死去した。1964年の「L-O-V-E」がコールの生前最後のヒット曲となった(後述の通り6カ国語で歌われており、日本語版も録音されている)

人物

  • コールはヘビースモーカーで、死因は肺癌だった。
  • コールは、フリーメイソンのメンバーであった。Famous Masons。コールがカバーした「スマイル」のもとになる映画「モダン・タイムス」にチェスター・コンクリン(フリーメイソン)が出演した。
  • ロックの殿堂にアーリー・インフルエンス(初期の影響)部門で殿堂入りしている。2000年に行われた授賞式でのプレゼンターはレイ・チャールズが務めた。

コールは2回の来日経験があり、そのうち1963年2月には東京・赤坂の高級キャバレー「ニューラテンクォーター」でライブショーを行い、TBSテレビで録画放送された。

親族

  • 歌手のナタリー・コールは娘。1991年に父親の声をオーバーダビングさせたデュエット曲「アンフォゲッタブル」をヒットさせた。
  • 弟のアイク・コール(Ike Cole)、フレディ・コール(Freddy Cole)もジャズ・ピアニストや作曲家として活動した。アイクは日本でも歌手として活動、ジェリー・ウォレスの「男の世界」をカバーしたり、日本語で歌唱した「マイ・ボーイ/夜のカレンダー」をリリースしたりするなどした。フレディの子、ライオネル・コール(Lionel Cole)もキーボード奏者、音楽プロデューサーとして活動している。

ディスコグラフィ

  • 「スターダスト」(1956年)
  • 「ザ・クリスマス・ソング」
  • 「パパ・ラブズ・マンボ」
  • 「モナ・リサ」
  • 「ルート66」
  • 「トゥー・ヤング」
  • 「プリテンド」
  • 「キサス・キサス・キサス」
  • 「ネイチャー・ボーイ」
  • 「ラムブリング・ローズ」
  • 「暑い夏をぶっとばせ」
  • 「ブロッサム・フェル」
  • 「センド・フォー・ミー」
  • (1964年)
    • 同名タイトルのアルバム(1965年)にも収録。
    • 末期がんを押して日本語、イタリア語、ドイツ語、スペイン語、フランス語のバージョンも録音され、収録直後に入院し死去した。
    • 美空ひばりもコールの大ファンとして知られ、1965年9月に発売した追悼アルバム「ナット・キング・コールをしのんで-ひばりジャズを歌う」の中でカヴァーし、「ラヴ」として収録。
    • スウィングガールズ - 出演者達によるカバー・バージョンをエンディングに使用。
    • あなたとハッピー!(ニッポン放送)- 毎週金曜日のオープニングトークの後に流される。

BIOGRAPHY - ナット・キング・コール - UNIVERSAL MUSIC JAPAN ナット・キング・コール|楽曲表現と個性発揮の見事な両立【ジャズ・ヴォーカル・コレクション09】 - サライ.jp(2016/8/26) ナット・キング・コール〜20世紀を代表する偉大なシンガーは、もともと“歌わないはずの”ピアニストだった〜 - TAP the POP(2018年2月15日)

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