藍色夏恋という映画の疑問。何であんなに良いところまでいったあの2人が、最後あんな...

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藍色夏恋という映画の疑問。何であんなに良いところまでいったあの2人が、最後あんなにあっさり別れてしまったのかがやっぱり分かりません。友達に悪いと思ったから?彼女は最初は、友達が好きだったかも知れないけど次第にチェンボーリンに惹かれていたのは事実だし自分では認めなかったけど、きっと好きだったと思います。あと、好きなシーンはどれですか?私は最後、チェンボーリンが、水槽を見ながら電話を彼女に掛けるシーン「水泳大会を見に来てほしい」っていうシーンで彼女が電話の奥で泣くあの意味がすごく良く分かって好きでした。あと、海でデートするシーン。爽やかで良かったです。あと、最後の母親に「お父さんと別れた時、どうやって立ち直った?」って聞くシーン。あれはなかなか感慨深かったです。とにかくチェンボーリンは、爽やかで、高校生の初さを凄くよく表現しているしあの女優さんも、可愛いし、飾り気のない、凄く自然な演技をしていて、本当に透明感のある良い映画だと思います。

質問日時: 2009/06/14 16:12:18

解決日時: 2009/06/20 23:59:09



大好きな作品です。備忘録を確認したら、03年に劇場で観ているのでもう6年になりますが、自転車の二人が街中を並走する場面の、風になびく髪の毛、夕方のややオレンジがかった陽の光が鮮やかによみがえってきます。ご質問のラストの「決断」は、ただそうなるものだと感じて納得するしかなかった、とメモ書きしてあります。グイ・ルンメイ自身、チェン・ボーリンが好きなのか、リャン・シューホイが好きなのか、結論は出ていなかったのではないでしょうか(ただし、同性愛的な感覚ではないとは思いました)。改めて考えてみるに、友だち関係から「恋愛」という関係にぽんと移るのに怖気づいたというのか、ためらったというのか、とにかく自分の周りの世界がどんどん広くなっていくことに自分で追いついていけない、というような感覚だったからではないでしょうか。居心地の良い今の世界から外に出て行きたくない、とでも言えるかもしれません。そういう、子どもから大人の世界への境界に立って戸惑う感覚ととらえると、しっくりくるのではないでしょうか。だからこそ、遥か高校時代を思い出して、自分の胸に響いたのかもしれません。最初に書いた、疾走する自転車の場面が最も印象に残っています。風と光がグイの笑顔と絶妙に溶け合って、忘れられません。その他には、夜の闇の中のプール、体育館の柱への落書き、屋台の餃子、ラブレターを足で踏んづけあっていたのがダンスに変わっていく場面、体育館の椅子がばたばたと倒れていく場面などなどが次々と思い出されてきます。そして何よりも、リャン・シューホイがノートにチェン・ボーリンの役名「チャン」を書くうちに次第にそれが「木村拓也」になっていく場面は、映像でしか表現できない場面として印象に残っています。

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