関喜誉仁 : ウィキペディア(Wikipedia)

関 喜誉仁(せき きよひと、1923年4月13日 - 没年不詳)は、日本の映画監督、脚本家であるキネ旬[1976], p.227.Kiyoji Seki, インターネット・ムービー・データベース 、2015年6月4日閲覧。関喜誉仁関喜譽仁、東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年6月4日閲覧。関喜誉仁沖全吉、文化庁、2015年6月4日閲覧。関喜誉仁、KINENOTE, 2015年6月4日閲覧。関喜誉仁沖全吉、allcinema, 2015年6月4日閲覧。関喜誉仁沖全吉、日本映画データベース、2015年6月4日閲覧。関喜誉仁、日活、2015年6月4日閲覧。関喜誉仁、テレビドラマデータベース、2015年6月4日閲覧。。旧漢字表記関 喜譽仁監督作品解説渡辺護公式サイト、2015年6月4日閲覧。監督デビュー作『あばずれ』(65)のストーリーなど井川耕一郎、渡辺護公式サイト、2015年6月3日閲覧。、別名に沖 全吉(おき ぜんきち)、沖 弘次(おき こうじ)。

allcinema等での読み「せき きよじ」は誤りである。

人物・来歴

マキノ雅弘の弟子として

1923年(大正12年)4月13日、関東州大連市(現在の中華人民共和国遼寧省大連市)に生まれる。

旧制中学校に在学中、校内での月1度の選定上映で映画に夢中になり、東京に出て、日本大学法文学部芸術学科映画専攻(現在の日本大学藝術学部映画学科)に入学する。同学在学中に、マキノ雅弘(当時は正博)に個人的に師事する。関が満18歳であった1941年(昭和16年)12月8日に太平洋戦争が開戦し、やがて戦況は激化、応召して1944年(昭和19年)9月に同学を繰り上げ卒業する。出征先は中国大陸であった。1945年(昭和20年)8月15日、第二次世界大戦が終結、復員後の1946年(昭和21年)6月、マキノ正博が所長を務めていた時代の松竹下加茂撮影所に入社、助監督になり、大曾根辰夫(1904年 - 1963年)に師事する。1950年(昭和25年)7月24日、同撮影所は火災を出し、翌年9月には、松竹京都撮影所は下加茂から太秦に移ることになる松竹下加茂撮影所、立命館大学、2015年6月4日閲覧。。1951年(昭和26年)6月8日に公開された『獣の宿』(監督大曾根辰夫)でセカンド助監督、1952年(昭和27年)10月15日に公開された『武蔵と小次郎』(監督マキノ雅弘)でチーフ助監督を務めた記録が残っている。

戦時統制で製作機能を失っていた日活が1954年(昭和29年)、調布に撮影所を新設、製作を再開するにあたり、関は日活助監督部に移籍する。同社は、同年6月27日に公開された『かくて夢あり』(監督千葉泰樹)、同じく『国定忠治』(監督滝沢英輔)を皮切りに自主製作を開始1954年 公開作品一覧 391作品、日本映画データベース、2015年6月4日閲覧。、関は、記念すべき第1作の『国定忠治』でチーフ助監督を務めている。同年、同様に他社から移ってきた同世代の助監督に中平康、斎藤武市、鈴木清太郎(鈴木清順)らがいた春のつまずき鈴木清順日本映画監督協会、2015年6月4日閲覧。。翌1955年(昭和30年)2月18日に公開された『次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り』では、ふたたびマキノ雅弘のチーフ助監督を務め、1956年(昭和31年)1月8日に公開された第1作『丹下左膳 第一部 乾雲の巻』(監督マキノ雅弘)に始まる3部作では、棚田吾郎、後輩の内田一作(1928年 - 1983年)と共同で脚本を執筆した。同年7月5日に公開された現代ものの青春映画『燃ゆる黒帯 花の高校生』(主演青山恭二)で監督に昇進した。監督昇進第6作の『哀愁の高速道路』(主演小高雄二)が1958年(昭和33年)11月18日に公開されるが、同作を最後に同社を退社、以降、フリーランスになる。

フリーランス時代

1959年(昭和34年)からフリーランスの監督として、ドキュメンタリー映画、PR映画、産業映画、教育映画等を手がけるが、前年11月に発足した朝日テレビニュース社(現在のテレビ朝日映像)で『朝日テレビニュース』を製作、同社が製作する教育番組のテレビ映画も製作した。放映時期は定かではないが、金城哲夫が自主製作したテレビ映画『沖縄物語』を佐喜真勇とともに監督したのもこの時期である。この時期、教育映画の現場で渡辺護が関の助監督を務めている渡辺護、監督第二作『紅壺』について語る、渡辺護・井川耕一郎、2012年12月28日付、2015年6月4日閲覧。。1963年(昭和38年)には、プロゴルファーの陳清波(1931年 - )陳清波、コトバンク、2015年6月4日閲覧。の著書(報知新聞社、1960年)と同名の記録映画『陳清波の近代ゴルフ』を発表した記録があり年鑑[1964], p.432.、また同年、日本映画監督協会を脱退している柿田[1992], p.123.。

1965年(昭和40年)4月、かつて関が在籍したころに日活にいた俳優の斎藤邦唯(1929年 - )キネ旬[1958], p.137.が製作に転向、映画製作会社・扇映画プロダクションを設立田中[1976], p.85-86.、設立第1作として脚本を吉田義昭(1932年 - 1989年)とともに準備していた渡辺護(1931年 - 2013年)を監督に抜擢、『あばずれ』を製作する1965年 公開作品一覧 509作品、日本映画データベース、2015年6月4日閲覧。。このとき、関はスタッフ編成に協力、撮影技師として竹野治夫、照明技師として村瀬栄一をそれぞれブッキング、関は「沖弘次」名義で「監修」としてクレジットされている。同作を同年6月に公開した後、同社では、関に監督を依頼、同年8月公開の『嬲る』、同年8月公開の『妾の子』を製作した。渡辺護の回想によれば、『嬲る』はアクション映画としてつくられており、関の演出は、マキノ譲りの非常に手際のいい演出であったという。当時、関は42歳であった。

1976年(昭和51年)12月24日に発行された『日本映画監督全集』(キネマ旬報社)の関の項によれば、同時点において関は存命であり、東京都調布市に住んでいたことが明らかにされている。以降の消息は不明であり、作品歴も没年も伝えられてはいない記録映像.jp検索結果、一般社団法人記録映画保存センター、2015年6月4日閲覧。科学映像館サイト内検索検索結果、NPO法人科学映像館を支える会、2015年6月4日閲覧。作品登録データベース検索結果、公益社団法人映像文化製作者連盟、2015年6月4日閲覧。。同書には、映画の演出等のほかに、書籍の校正や、原稿執筆もしたとあるが、国立国会図書館には「関喜誉仁」の名で書かれた書籍、雑誌の類は見当たらない国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2015年6月4日閲覧。。1男2女あり。

再評価

関が脚本参加した『朝やけ血戦場』(監督マキノ雅弘)は、2010年(平成22年)9月11日 - 同年10月1日に神保町シアターで行われた「幕末映画血風録!!」の特集上映、2014年(平成26年)2月9日 - 同年4月5日にラピュタ阿佐ケ谷で行われた「昭和の銀幕に輝くヒロイン 第72弾 北原三枝」の特集上映でそれぞれ上映されている幕末映画血風録!!、神保町シアター、2015年6月4日閲覧。昭和の銀幕に輝くヒロイン 第72弾 北原三枝、ラピュタ阿佐ケ谷、2015年6月4日閲覧。。関が監修として参加した『あばずれ』(監督渡辺護)は、2014年に16mmフィルム短縮版プリントが発掘されて同年12月5日 - 同9日に神戸映画資料館で行われた「渡辺護 はじまりから、最後のおくりもの。」の特集上映で上映された渡辺護 はじまりから、最後のおくりもの。、神戸映画資料館、2015年6月3日閲覧。。

フィルモグラフィ

特筆以外は「関喜誉仁」名義、「監督」である。東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、デジタル・ミーム等での所蔵状況も記したフィルムリスト検索結果、デジタル・ミーム、2015年6月4日閲覧。。

1950年代

  • 『獣の宿』(けもののやど、『獸の宿』) : 製作小倉浩一郎、監督大曾根辰夫、原作藤原審爾、脚本黒澤明、主演鶴田浩二、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1951年6月8日公開 - 監督助手(セカンド助監督)、『獸の宿』題で86分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『武蔵と小次郎』(『武藏と小次郎』) : 製作小倉浩一郎、監督マキノ雅弘、脚本八木隆一郎・鈴木兵吾、主演島田正吾、製作松竹京都撮影所、配給松竹、1952年10月15日公開 - 監督助手(チーフ助監督)、『武藏と小次郎』題で96分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『国定忠治』(『國定忠治』) : 製作星野和平、監督滝沢英輔、脚本菊島隆三、主演辰巳柳太郎、製作・配給日活、1954年6月27日公開 - チーフ助監督、『國定忠治』題で116分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『初姿丑松格子』(『「暗闇の丑松」より 初姿丑松格子』) : 製作星野和平、監督滝沢英輔、原作長谷川伸、構成橋本忍、脚本堀江正太、主演島田正吾、製作・配給日活、1954年11月30日公開 - チーフ助監督、『「暗闇の丑松」より 初姿丑松格子』題で100分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『スラバヤ殿下』 : 製作高木雅行、監督佐藤武、原作菊田一夫、脚本柳沢類寿、主演森繁久彌、製作・配給日活、1955年1月23日公開 - チーフ助監督、86分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『次郎長遊侠伝 秋葉の火祭り』 : 製作浅田健三、監督マキノ雅弘、企画・脚本八木保太郎・毛利三四郎、主演河津清三郎、製作・配給日活、1955年2月18日公開 - チーフ助監督、90分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『木曾の風来坊』(『木曽の風来坊』) : 製作柳川武夫、監督小林桂三郎、原作長谷川伸、脚本八尋不二、主演坂東好太郎、製作・配給日活、1955年6月9日公開 - チーフ助監督
  • 『白浪若衆 江戸怪盗伝』(『白浪若衆 江戸快盗伝』) : 製作西原孝、監督小林桂三郎、原作並木行夫、脚本浅野辰雄、主演坂東鶴之助、製作・配給日活、1955年9月7日公開 - チーフ助監督
  • 『丹下左膳 第一部 乾雲の巻』(『丹下左膳 乾雲の巻』) : 製作水の江滝子、監督マキノ雅弘、原作林不忘、主演水島道太郎、製作・配給日活、1956年1月8日公開 - 棚田吾郎内田一作と共同で脚本、『丹下左膳 乾雲の巻』題で82分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『朝やけ血戦場』(『朝やけ血戰場』『朝やけ決戦場』『朝やけ血戦場、鉄火の中』) : 製作坂上静翁、監督マキノ雅弘、原作村上元三、主演大坂志郎、製作・配給日活、1956年1月15日公開 - 内田一作と共同で脚本、『朝やけ血戰場』題で76分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『丹下左膳 第二部 坤竜の巻』(『丹下左膳 坤龍の巻』『丹下左膳 坤竜の巻』) : 製作水の江滝子、監督マキノ雅弘、原作林不忘、主演水島道太郎、製作・配給日活、1956年1月29日公開 - 棚田吾郎・内田一作と共同で脚本、『丹下左膳 坤竜の巻』題で61分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『丹下左膳 第三部 昇竜の巻』(『丹下左膳 完結篇』『丹下左膳 昇竜の巻』) : 製作水の江滝子、監督マキノ雅弘、原作林不忘、主演水島道太郎、製作・配給日活、1956年2月5日公開 - 棚田吾郎・内田一作と共同で脚本、『丹下左膳 昇竜の巻』題で79分の上映用プリントをNFCが所蔵
  • 『燃ゆる黒帯 花の高校生』 : 製作芦田正蔵、脚本陶山鉄、主演青山恭二、製作・配給日活、1956年7月5日公開 - 初監督
  • 『妻恋峠』 : 製作茂木了次、原作・脚本松浦健郎、主演名和宏、製作・配給日活、1956年12月19日公開
  • 『唄祭り喧嘩旅』 : 製作図師巌、脚本相良準三、主演長門裕之、製作・配給日活、1957年2月13日公開(映倫番号 10025)
  • 『どうせ拾った恋だもの』(『どうせひろった恋だもの』) : 製作茂木了次、脚本西島大、主演安井昌二、製作・配給日活、1958年4月1日公開(映倫番号 10594)
  • 『アンコなぜ泣く』 : 製作芦田正蔵、脚本窪田篤人、主演牧真介、製作・配給日活、1958年5月27日公開(映倫番号 10667)
  • 『哀愁の高速道路』(あいしゅうのハイウェイ) : 製作茂木了次、原作松浦義教、脚本石井喜一、主演小高雄二、製作・配給日活、1958年11月18日公開(映倫番号 10926)

1960年代

  • 『沖縄物語』 : 製作金城哲夫・灘千造、脚本森田新・灘千造、主演清村悦子、1961年前後発表(テレビ映画・全3回) - 佐喜真勇とともに監督
  • 『陳清波の近代ゴルフ』 : 原作・主演陳清波、製作アイディアワーク、1963年発表 - 監督
  • 『あばずれ』 : 製作斎藤邦唯、監督渡辺護、脚本吉田貴彰、撮影生田洋、主演飛鳥公子、製作扇映画プロダクション、配給新東宝興業、1965年6月公開(成人映画・映倫番号 不明) - 「沖弘次」名義で監修、60分の16mmフィルム版上映用プリントが現存
  • 『嬲る』 : 製作斎藤邦唯、製作扇映画プロダクション、配給新東宝興業、1965年8月公開(成人映画・映倫番号 14092) - 「沖全吉」名義で監督
  • 『妾の子』 : 製作斎藤邦唯、脚本佐井勘三、製作扇映画プロダクション、配給ムービー配給社、1965年9月公開(成人映画・映倫番号 14163) - 「沖全吉」名義で監督

参考文献

  • 『テレビ大鑑 1958』、『キネマ旬報』増刊第207号、キネマ旬報社、1958年6月20日発行
  • 『映画年鑑 1964』、時事通信社、1964年発行
  • 『日本映画作品全集』、『キネマ旬報』増刊第619号、キネマ旬報社、1973年11月20日発行
  • 『日本映画発達史 V 映像時代の到来』、田中純一郎、中公文庫、中央公論社、1976年7月10日発行 ISBN 4122003520
  • 『日本映画監督全集』、『キネマ旬報』増刊第698号、キネマ旬報社、1976年12月24日発行
  • 『日本映画監督協会の五〇年』、柿田清二、日本映画監督協会、1992年発行

関連項目

  • 松竹京都撮影所
  • 日活撮影所
  • テレビ朝日映像
  • 扇映画プロダクション

外部リンク

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