ジョルジオ・アルマーニ : ウィキペディア(Wikipedia)

ジョルジオ・アルマーニ(, 1934年7月11日 - )は、イタリアのファッションデザイナーである。

人物

イタリアを代表するファッションデザイナーの1人で、ミラノを基盤にコレクションを持つジャンフランコ・フェッレ () とジャンニ・ヴェルサーチ () と共に、「ミラノの3G」として世界中にその名を轟かせている。1982年4月、1940年代のクリスチャン・ディオール以来、ファッションデザイナーとしては2人目に米「タイム (雑誌)」の表紙を飾った。(イタリア人としてはノーベル賞を受賞した劇作家のルイジ・ピランデルロに次いで2人目)

略歴

  • 1934年7月11日午前7時20分 - ピアチェンツァで生まれる。
    ミラノ大学医学部在籍中に兵役に召集され、そのまま大学は中退。
  • 1957年 - 1964年 - ミラノの百貨店「ラ・リナシェンテ」のバイヤーを務める。
  • 1964年 - セルッティ社のメンズウェア「ヒットマン」のデザイナーと製品開発係を兼任。
  • 1975年 - 41歳の時、セルジオ・ガレオッティと共に自らの会社を設立し、自社商品(メインブランド)を発表。
''以後の企業活動は「アルマーニ」を参照。

主な受賞歴

  • 1981年 - GQ誌の「メンズ・スタイル・アウォード・フォー・ベスト・ファッションデザイナー賞」と、カティサークの「国際トップ・メンズ・ファッション・デザイナー賞」を受賞。
  • 1983年 - ピアチェンツァ市から「金賞」、アメリカ・ファッション・デザイナー協議会から国際部門の「最高賞」を受賞。
  • 1984年 - 春夏コレクションのベスト・デザイナーに与えられる「オッキオ・ドーロ(金の目)賞」と、カティサークの「国際トップ・メンズ・ファッション・デザイナー賞」を受賞。
  • 1985年 - イタリア政府からイタリア共和国功労勲章「コメンダトーレ章」を授与。カティサーク・メンズ・ファッション賞初の「桂冠デザイナー」に選ばれる。
  • 1986年 - イタリア政府からイタリア共和国功労勲章の最高位「グランデ・ウッフィチャーレ章」を授与。春夏コレクション及び秋冬コレクションの「オッキオ・ドーロ賞」をそれぞれ受賞。
  • 1987年 - イタリア政府から「共和国功績勲章」「大騎士賞」を授与。パリの国際麻フェスティヴァルで「金糸賞」、米国ファッションデザイナー会議から紳士服部門の「功労賞」、春夏コレクションの「オッキオ・ドーロ賞」、カティサークの「国際トップ・メンズ・ファッション・デザイナー賞」を受賞。
  • 1988年 - スペインのフアン・カルロス国王から、世界最高のファッションデザイナーに贈られる「クリストバル・バレンシアガ賞」を授与。春夏及び秋冬コレクションで「オッキオ・ドーロ賞」をそれぞれ受賞。
  • 1989年 - ニューヨークで「ウールマーク賞」、日本で「繊研賞」を受賞。
  • 1991年 - ロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アートから「名誉博士号」を授与。
  • 1992年 - フィレンツェのジョルジオ・モラレス市長より、メイド・イン・イタリーのイメージを世界中で高めた功績により「フィオリーノ・ドーロ賞」を授与。カジュアルラインの「A/X」で「ウールマーク最優秀国際メンズコレクション賞」を受賞。年間最優秀イタリア人デザイナーに贈られる「オッキオ・ドーロ賞」、1992年度イタリア最優秀印刷・テレビ広告キャンペーンに贈られる「アカデミア・デル・プロフーモ賞」を受賞。
  • 1993年 - 年間最優秀デザイナーに贈られる「アグジャ・デ・オーロ賞」並びに年間最優秀国際デザイナーに贈られる「テルヴァ・トリウンファドール賞」を受賞。
  • 1994年 - ワシントンDCのイタリア・アメリカ財団から「功労賞」を授与。年間最優秀イタリア人デザイナーに贈られる「オッキオ・ドーロ賞」を受賞。
  • 1995年 - ローマで「トゥギャザー・フォー・ピース(平和協力)財団文化賞」を受賞。「マスケラ・ドーロ賞」「カンピオーネ・ディターリア賞」を受賞。イギリス版「マリ・クレール」誌からベスト・モダン・クラシック部門の「デザイナー・オブ・ジ・イヤー」に選ばれる。
  • 1996年 - アメリカ版「GQ」誌から「ザ・マン・オブ・ジ・イヤー(年間最優秀賞)」を贈られる。
  • 1997年 - アメリカ版「マリ・クレール」誌からベスト・モダン・クラシック部門の「デザイナー・オブ・ジ・イヤー」に選ばれる。
  • 1998年 - ドイツ・カールスルーエ市のメディア企業ブルダから、世界最高のファッションデザイナーに贈られる「バンビ (賞) 」を授与。イタリアの金融専門誌イル・ソーレ・21・オーレから、イタリア最高の経済成果を挙げたことに対し、「リズルターティ・ボッコーニ賞」を授与。フィレンツェで「ピッティ・イマジオ・ウォモ賞」を受賞。
  • 2000年 - 映画・映像作品に対する貢献を評価され、「ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞(イタリア版オスカー)」を受賞。アメリカ版「GQ」誌から「ザ・マン・オブ・ジ・イヤー(年間最優秀賞)」を贈られる。

映画

  • 1980年 - 『アメリカン・ジゴロ』でリチャード・ギアの衣装を担当。アルマーニの初めてのオフィシャルでの衣装協力であり、アルマーニの世界的な成功が始まる。
  • 1986年 - マーティン・スコセッシ監督を起用し、エンポリオ・アルマーニのTV用のCFを初めて製作した。
  • 1987年 - ケビン・コスナー主演の『アンタッチャブル』の衣装を担当。
  • 1990年 - 友人のマーティン・スコセッシ監督がアルマーニ自身を描いた26分のドキュメンタリー「」を製作した。
  • 1992年 - ジョルジオ・アルマーニのレディスフレグランス「ジオ」のキャンペーンに、デヴィッド・リンチ監督の製作したTVスポットが流され、話題となった。ララ・ハリス扮するジオという名の女性がパーティに到着するが、多くのカメラマンが待ち構えていたため、クラブへ逃げ込むというストーリーで、モノクロのセンスある画面が印象的と評されている。
  • 2000年 - ジュリアン・オーザンヌ監督を起用し、英伊合作で、アルマーニ自身を描いた79分のドキュメンタリー「」を製作した。同作品は、2003年にヴァージンシネマズ六本木ヒルズのオープニング作品として、劇場公開された。

書籍

  • 2007年 - アルマーニ初の評伝として、秘蔵写真220点以上が収録された『ジョルジオ・アルマーニ 帝王の美学』(邦題)が刊行された。著者はコンデナストグループの各誌(『ヴォーグ』イタリア版、『ウオモ・ヴォーグ』、『カーザ・ヴォーグ』、『GQ』)で記事を執筆しているレナータ・モルホ。日本語版は目時能理子と関口英子が翻訳を担当し、日本経済新聞出版社から刊行されている。

音楽(CD)

ARMANI/MUSICA

  • EMPORIO ARMANI CAFFE 1 2003年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 2 2004年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 3 2006年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 4(2枚組)2008年発売
  • EMPORIO ARMANI CAFFE 5(2枚組)2010年発売

訪日記録

  • 1982年 - WWDニューヨークの協力のもと、WWD主催の世界5大都市から5人のトップデザイナーを招く「ザ・ベスト・ファイブ」に招かれ、初来日を果たした。
  • 1997年 -「1998春夏コレクション」を開催。
  • 2005年 - アルマーニ創立30周年記念として、六本木ヒルズ・森美術館にて大回顧展「ジョルジオ・アルマーニ展」 を開催。
  • 2007年 -「アルマーニ/銀座タワー」オープン記念。「2008年春夏コレクション」を含む「One night Only at Budokan」を開催。

評価

「ジョルジオ・アルマーニ展に寄せられたメッセージ/展覧会カタログより」

エピソード

  • アルマーニ語録で「私はニセモノが嫌いだ。見せかけの真実は見たくない」は有名である。
  • トレードマークは、紺の半袖Tシャツに黒のコットンパンツ、足元は白のレザースニーカー。
  • 大の映画好きで、映画監督のマーティン・スコセッシとは友人関係にある。
  • 映画『アメリカン・ジゴロ』(1980年)でリチャード・ギアの衣装を担当し、これをきっかけにハリウッドで一躍有名となり、その後も映画に衣装提供を行い、映画のクレジットに登場したのは2005年時点で300回に達した。
  • 82年の初来日時、ホテルオークラの和室や、料亭「吉兆」で目にした畳を、ミラノに持ち帰りたいとリクエストした。
  • アルマーニの顧客リストには、、トム・クルーズレオナルド・ディカプリオジョージ・クルーニージョン・トラボルタクライヴ・オーウェンソフィア・ローレンジョディ・フォスターシャロン・ストーン等々、ハリウッドを代表するセレブリティ達が名を連ねている。
  • 2006年、イタリアで式を挙げたトム・クルーズケイティ・ホームズ夫妻のタキシードとウェディングドレスをアルマーニがデザインした。
  • 「モード界の帝王」と呼ばれ、完璧主義者である。完璧主義であるがゆえに、中途半端な外国語は話さない。
  • 2005年の来日時に「引退後の後継者は」と質問され、「私が70歳のおじいちゃんに見えますか」と軽くあしらった。2007年に銀座に出店した際の『NEWS ZERO』でのインタビューでは、「おそらく、個人ではなく経営陣になるだろう」と答えている。
  • アルマーニを題材にした映画には「」(2000年)、ショートフィルム「」(1990年)がある。
  • 2007年の来日時、日本ファッション・エディターズ・クラブが選出する「FECデザイナー・オブ・ザ・イヤー」に選ばれ、会場となった赤坂プリンスホテルでの滞在時間はわずか10分間だった。
  • 20世紀で最も成功したデザイナーであり、『フォーブス』の世界長者番付においても、常にランクインされている。
  • 出身地を本拠地とするサッカークラブであるピアチェンツァ・カルチョの熱心なサポーターであり、過去には同クラブのユニフォームデザインも手がけた。また同クラブの選手支給スーツもアルマーニ社の製品である。
  • 過去にミラノの自宅で、テレビの企画で中田英寿と対談をした中田英寿とジョルジョ•アルマーニの対談。

関連項目

  • アルマーニ

外部リンク

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