グルーチョ・マルクス : ウィキペディア(Wikipedia)

ジュリアス・ヘンリー・“グルーチョ”・マルクス(、1890年10月2日 - 1977年8月19日)は、アメリカの俳優、コメディアン、作家。Marxの英語としての発音をカタカナで表記すれば「マークス」が近いが、日本では慣例で「マルクス」と表記されることが多い。愛称の英語の発音は「グラウチョウ」になるが、日本では「グルーチョ」と表記されることが多い。マルクス兄弟の三男として、舞台活動を経て多くの映画に出演、その後のコメディに大きな影響を与えた。ソロ活動でも成功し、クイズ番組『You Bet Your Life』を初めとしたテレビ・ラジオ番組で活躍した。

来歴

1890年10月2日、ニューヨークのマンハッタンで、ユダヤ系移民の家庭に生まれる。家の貧しさのため12歳で学校を中退し、芸人を両親に持つ母ミニーのもとで歌唱などの訓練を積む。ミニーのプロデュースによって、やがて兄のチコ、ハーポ、弟のガンモと共に歌手グループ「ザ・フォー・ナイチンゲールズ」としてヴォードヴィルの舞台に立つようになり、アメリカ各地で公演を行う。次第に兄弟はみずからの喜劇の才能に目覚めていき、音楽中心のスタイルから喜劇へとシフトしていく。演技を続けるなか、第一次世界大戦が勃発し反ドイツ感情が高まったため、それまで演じてきたドイツ的なキャラクターを捨て、トレードマークである早口でまくしたてる人物像を創り出した。

やがて第一次世界大戦に弟のガンモが徴兵され、代わりに末っ子のゼッポが加わった4人体制の「マルクス兄弟」が生まれた。兄弟はブロードウェイで3つのヒット作を演じたのち、1929年にパラマウントに招かれ映画製作に乗り出す。パラマウントで5作品を制作したのちゼッポは俳優活動を離れ、グルーチョはチコ、ハーポとの3人体制で1935年からMGMで5作品を制作した。大ヒットした1935年公開作『オペラは踊る』の際には、兄弟の過剰なアドリブとふざけた態度に業を煮やした監督のサム・ウッドが「粘土細工に演技はできない」と嫌味を言ったのに対し、グルーチョが「木(ウッド)にも監督はできない」と返したというエピソードが残っている。兄弟の映画制作は1949年まで続いた。

兄弟としての活動が終わったのち、喋りの才能が卓越していたグルーチョは、ラジオ番組やテレビ番組のホストとしての活躍を始めた。特にラジオ番組として1947年に始まり、テレビ番組として1950年から11年間続いたクイズ番組『You Bet Your Life』では、番組の顔として人気を博した。また、自伝『Groucho and Me』(1959年)を初めとした多くの著作も残している。その後もテレビやラジオにコンスタントに出演を続けたが、1970年代に入ると体調を崩しがちになり、1977年8月19日、ロサンゼルスにおいて肺炎で死去した。晩年の1974年には、第46回アカデミー賞において、マルクス兄弟の功績を称えるため、存命のグルーチョにアカデミー名誉賞が授与されている。

キャラクター

「グルーチョ」という芸名の由来にはいくつかの説明が存在する。最も一般的なものは、グルーチョがいつも不機嫌であったことから、「ブツブツ文句を言う」ことを意味する「Grouch」の名が与えられたというものである。しかし、ハーポの伝記のなかでは、旅行者などが貴重品を隠すための財布「グラウチ・バッグ」に由来していると語られているほか、グルーチョ自身はコミック・ストリップ『Knocko the Monk』にちなんでいると述べている。

現在もグルーチョ眼鏡によって知られているように、眼鏡や口ひげといったグルーチョのトレードマークは観客に強い印象を残した。墨で太く口ひげと眉毛を描くメーキャップは、手間の掛かる付けひげの代わりとして、自然とヴォードヴィルで用いるようになった手法である。のちにテレビ出演が増えた頃には、メイクではなく本物の髭を伸ばしている。そのほか、上半身を前に大きく倒したオーバーな歩き方も特徴の一つに数えられる。芸風はナンセンスなジョークを間断なく語り続けるというもので、グルーチョの頭の回転の速さが遺憾なく発揮されており、このスタイルはのちのコメディアンに大きな影響を与えた。

主な出演作品

  • ココナッツ The Cocoanuts(1929年)
  • けだもの組合 Animal Crackers(1930年)
  • いんちき商売 Monkey Business(1931年)
  • 御冗談でショ Horse Feathers(1932年)
  • 我輩はカモである Duck Soup(1933年)
  • オペラは踊る A Night at the Opera(1935年)
  • マルクス一番乗り A Day at the Races(1937年)
  • ルーム・サーヴィス Room Service(1938年)
  • マルクス兄弟珍サーカス At the Circus(1939年)
  • マルクスの二挺拳銃 Go West(1940年)
  • マルクス兄弟デパート騒動 The Big Store(1941年)
  • マルクス捕物帖 A Night In Casablanca(1946年)
  • 悩まし女王 Copacabana(1947年)
  • ラヴ・ハッピー Love Happy(1949年)
  • ダブル・ダイナマイト Double Dynamite(1951年)
  • マルクスの競馬騒動 A Girl in Every Port(1952年)
  • ミカド(1960年) - テレビ番組「The Bell Telephone Hour」で放映されたもので、グルーチョはココを演じた。

注釈

出典

関連項目

  • グルーチョ眼鏡
  • 永田キング - グルーチョを模した扮装と動きで「和製マルクス」と呼ばれた初出:『週刊読書人』2020年9月25日号。。

出典

外部リンク

  • - インターネットアーカイブ(英語)(マルクス兄弟主演作品、グルーチョ単独主演作品「悩まし女王」およびグルーチョが出演した「Skidoo」を収録)
  • (マルクスの競馬騒動) - インターネットアーカイブ(英語)

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/02/20 14:39 UTC (変更履歴
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