山内義文 : ウィキペディア(Wikipedia)

山内 義文(やまうち よしふみ、1893年(明治26年)7月『人事興信録』第14版 下、ヤ55頁。 - 1945年(昭和20年)1月19日「故陸軍司政長官山内義文位階追陞の件」)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。陸軍司政長官。旧姓・伊藤。

経歴

三重県出身。伊藤茂右衛門の四男として生まれ、山内家(本籍:愛知県)の養子となる。第八高等学校を卒業。1918年7月、京都帝国大学法科大学政治経済学科を卒業『京都帝国大学一覧 自大正七年 至大正八年』339頁。。1919年10月、高等試験行政科試験に合格。1920年、内務省に入省し警保局嘱託となる『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』223頁。。

以後、高知県警部・警務課長、神奈川県警視・監察官、福井県警視・特別高等課長、山口県書記官・警察部長、岐阜県書記官・警察部長、熊本県書記官・警察部長、和歌山県書記官・警察部長、高知県書記官・総務部長、鹿児島県書記官・総務部長、静岡県書記官・総務部長などを歴任『新編日本の歴代知事』1026頁。。

1940年4月9日、岩手県知事に就任。戦時体制の整備に尽力『新編日本の歴代知事』129頁。。1942年6月15日、長崎県知事に転任。戦時緊縮財政を継続した。

1944年8月1日、陸軍司政長官に発令され『官報』第5265号、昭和19年8月2日。、香港占領地総督部総務長官に就任『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』142頁。ただし同書では「山内義」と表記している。。在任中の1945年1月19日、「南支那方面ニ於テ戦死」した。

栄典

  • 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
  • 『京都帝国大学一覧 自大正七年 至大正八年』京都帝国大学、1919年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/08/29 00:11 UTC (変更履歴
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