ダニエル・フェルナンデス : ウィキペディア(Wikipedia)

ダニエル・マルシオ・フェルナンデスDaniel Márcio Fernandes, 1983年9月25日- )は、カナダ連邦エドモントン出身の元ポルトガル代表サッカー選手。現役時代のポジションはGK。

経歴

生い立ち

ポルトガル人の父とチェコ人の母の下で"2010 FIFA World Cup™ - DANIEL FERNANDES - FIFA.com"カナダのアルバータ州エドモントンに生まれ"A real 'keeper for Portugal"、ブリティッシュコロンビア州イーストバンクーバーで育つ。バンクーバー・オリンピックスが最初に所属したクラブだった。

クラブ

初期

2000年、17歳の時に父の故郷であるポルトガルに渡りFCポルトの下部組織へ入団した。2季の在籍でBチームに登録されたものの出番はなく、スペイン2部のセルタ・デ・ビーゴBへ移籍した。

2003年1月にセルタBからドイツ2部のSSVヤーン・レーゲンスブルクへ貸し出されたが、ここでもトップチームでの出番がなくを戦うBチームが主戦場となり、同年6月にセルタBへ復帰するも放出された。

PAOK

トライアルを経てギリシャ1部のPAOKテッサロニキと契約を締結。最初の2季での出場は僅か4試合にとどまったが、2005年に監督が解任されクラブのゼネラルマネージャーにして元選手のが監督に就任すると、すぐさまに代わり正GKに指名された。この2005-06シーズンはピッチ内外で多くの問題を抱えながらも27試合に出場し、後に債務の問題から出場禁止となった"Εκτός Κυπέλλου UEFA ο ΠΑΟΚ, στη θέση του ο Ατρόμητος"がUEFAカップ2006-07出場権獲得となる6位でシーズンを終えることに貢献。以降のシーズンも正GKを務めた。

ボーフム

2008年5月23日に移籍金約120万ユーロでドイツ1部のVfLボーフムと締結。以前、PAOKで同僚だったと再会を果たした。移籍1季目は、降格圏内まで僅か勝ち点3の14位と苦しい状況の中で、8月16日のバイエル・レヴァークーゼンとの開幕戦(アウェイ0-1敗北)で初出場を果たして以降、3試合を除き出場し正GKを務めた。しかし、2季目になるとにポジションを奪われベンチを温める日々が続き、さらに、暫定監督によりBチームに落とされた。その結果、2010年1月18日にギリシャのイラクリス・テッサロニキFCへシーズン終了まで貸し出された"GREECE- OFFICIAL, In Iraklis arrives Dani Fernandes"。同年夏のパナシナイコスFCと2011年1月のパンセライコスFCへの期限付き移籍を経て、2011年6月30日にボーフムから放出された"Vertrag mit Fernandes aufgelöst"

ルーマニア / オランダ

2011年8月16日にルーマニア1部王者CFRクルジュと契約を締結"Bun venit, Daniel Fernandes!"。しかし、同胞のベトの存在から出場僅か2試合にとどまり5ヶ月で契約解除となった"Daniel Fernandes și-a reziliat contractul pe cale amiabilă cu CFR 1907 Cluj!"

2012年1月16日にオランダ1部のFCトゥヴェンテと契約"Joshua John en Daniel Fernandes naar FC Twente"

ノルウェー

2017年1月27日、エリテセリエンのリールストロムSKと1年契約を交わしたことが発表された。

ポルトガル

2018年7月1日、SCファレンセに加入した。34歳にして初めてポルトガルのクラブへ所属することとなった。

代表

ユース時代は、当初U-20カナダ代表としてプレーをしていたが、その後、父の母国であるポルトガルを選択し、2006年にU-21ポルトガル代表として初出場をした"Italy's Palladino punishes Portugal"

2006年11月にポルトガルA代表へ初招集を受けるも、この時はリカルド・ペレイラとキムに次ぐ3番手のため出場は訪れなかった。翌年5月にEURO2008予選のベルギー戦と親善試合のクウェート戦へ向け、ルイス・フェリペ・スコラーリ監督の下で再招集され"Scolari names uncapped trio in Portugal squad"、6月のクウェート戦(1-1)で66分にキムと交代で初出場を飾った。2009年2月のフィンランド戦(1-0勝利)では、今度はエドゥアルドと交代で出場2試合目を記録した。

2010年5月に2010 FIFAワールドカップのメンバーに選出される"Pepe in Portugal squad"も、エドゥアルドとベトに次ぐ3番手だった"Keeper catches World Cup spirit"ため出場はなかった。以降は、ルイ・パトリシオの台頭もあり招集機会が減少している。

私生活

2人の弟を持つ。また、ノルウェー人の女性と結婚し、娘を1人授かっている。

タイトル

CFR
  • リーガ1 : 2011-12

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/12/22 01:32 UTC (変更履歴
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