川口和久 : ウィキペディア(Wikipedia)

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川口 和久(かわぐち かずひさ、1959年7月8日 - )は、元プロ野球選手(投手)。現在は野球解説者。鳥取県鳥取市出身。

経歴

現役時代

吉岡温泉で食堂を経営していた家の、男ばかり三兄弟の末子として生を受ける。鳥取城北高校時は速球派投手として注目されるが、夏の選手権大会・春の選抜大会にはともに縁がなかった(ただし2年時(1976年)に明治神宮野球大会に出場した)。3年時の1977年にロッテオリオンズからドラフト6位指名を受けるがプロ入りせず、社会人野球チームのデュプロに入団。

当時のデュプロは、プロのスカウトが全く注目していない無名チームだったが、人伝に川口の噂を聞いた広島スカウトの木庭教は一目見てその才能に惚れ込み、他のチームのスカウトが目をつけていない事を知ると指名を約束、交換条件としてドラフト会議まで怪我をしている事にして投げないで欲しいと要請した。このため、社会人時代は試合に出ても全力投球をしなかった。

そして1980年のドラフト会議当日、広島東洋カープが1位指名。よもや自社の選手が1位指名されるなど予想していなかったデュプロは、急遽記者会見場を用意。会見場に現れた川口は、作業服にトンボ眼鏡、見るからに線の細い技術者のような姿でとても野球選手とは見えず、誰もこの後の成長を予感、期待していなかった。

入団2年目までは制球に苦しみ、1軍と2軍の往復が続いていたが、3年目の1983年春、臨時コーチで招かれた長谷川良平から、コントロールを意識したノーワインドアップ投法ではなく、入団時のワインドアップ投法に戻すように指示されたことが転機となり、同年から先発投手として1軍に定着。この時長谷川からは、「ノーワインドアップだと上体に頼り過ぎ、肩・肘を痛める。制球難は気にせず荒れ球は味方にすればよい」と助言されたと言われている。

入団2年目の1982年にプロ初勝利を挙げ、翌1983年から先発ローテーション投手として定着。球威のある速球と落差の大きいカーブを武器に三振の山を築き上げ、1987年、1989年、1991年と最多奪三振のタイトルを3度獲得。1984年、同年日本一になった広島と、前年にワールド・チャンピオンになったボルティモア・オリオールズとで日米野球が行われた。その第1戦に先発し、6安打10奪三振の快投で完封勝利を収めている。

北別府学、大野豊らと共に1980年代の広島『投手王国』の一翼を担った。しかし制球に難があり、シーズン最多暴投を記録したこともある他、かつては通算暴投数のセ・リーグ記録保持者でもあった。また広島時代は「巨人キラー」としても活躍。対読売ジャイアンツ公式戦で30勝以上している投手のうち、勝ち越しを記録している選手は星野仙一、平松政次、川口の三名のみである。

1995年、広島の球団史上初となるFA権を行使し、読売ジャイアンツへ移籍(関東在住で巨人ファンの義父が重病を患い、妻が看病する必要もあった)。広沢克己、ジャック・ハウエルらとの33億円補強で話題となる。移籍当初は全盛期並みの活躍ができず2軍暮らしが続いたが、当時の宮田征典2軍投手コーチにリリーフ転向を打診され、リリーフ投手に転向。以降1軍に定着し、1996年10月6日ナゴヤ球場最後の公式戦で9回裏2死立浪和義から奪三振記録し、セ・リーグ優勝の胴上げ投手、メークドラマの立役者となった。

1998年シーズン限りで現役引退。引退試合は広島戦でセレモニーには広島の選手も参加しており、挨拶の際には広島の選手に対してお礼の言葉を述べた。

引退後

引退後はTBSや中国放送で野球解説者を務めるかたわら、プロ野球マスターズリーグ札幌アンビシャスの投手としても活動。またタレントとしてテレビやラジオに出演したり、趣味である競艇の解説も行ったりするなど、様々な方面で活躍している。

2005年12月8日、故郷・鳥取県に社会人野球チームの「鳥取キタロウズ」が設立され総監督に就任したが、居住地の関係で解説者業との両立が困難となり、2007年2月に辞任。

年度別投手成績

広島70000010--.0004411.0835001200775.731.18
1511110450--.44430169.25713401503023151.941.31
3332144015100--.600920218.218923104181662187712.921.34
2422510860--.571522123.11101659031045064584.231.37
3121520990--.500627143.21501562321164073704.391.48
24246101290--.571711164.21531763721456061553.011.31
272782012110--.522756183.11542162821841067602.951.18
272582113100--.565794190.215515724717911061542.551.19
262611211270--.632851208.11671873861928065582.511.15
2929112011130--.458895208.218726873518060101923.971.31
29298201280--.600840205.016916824323010070662.901.22
26269218120--.400766183.01681865021565079683.341.27
25257308110--.421722162.21671574231285071643.541.48
27223107100--.412631139.1142189311965074734.721.69
巨人1717200460--.40039691.290123713662047454.421.39
2911000143--.20033176.16883356624028252.951.32
220000331--.5008116.1233701171020189.921.84
170000000------6213.2151910911874.611.76
通算:18年435347982531391354--.507102502410.0217224610214855209279210069063.381.32
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 34(1981年 - 1994年)
  • 25(1995年 - 1998年)

タイトル・表彰

  • 最多奪三振:3回(1987年、1989年、1991年)※87,89年は表彰対象外
  • オールスターゲーム出場:6回(1983年、1986年 - 1990年)

記録

  • 初登板:1981年4月10日、中日戦(ナゴヤ)3-17 6回より登板、3回3失点
  • 初勝利:1982年7月15日、大洋戦(横浜)6-2 先発し6回1失点
  • 初完投・初完封:1982年9月2日、中日戦(広島)4-0 被安打4 奪三振9 四死球3
  • 初セーブ:1996年9月24日、広島戦(東京D)5-2 7回0死より登板

著書

  • 『反逆の左腕』(ネコ・パブリッシング) ISBN 4873662419
  • 『投球論』(講談社現代新書) ISBN 4061494600

現在の出演番組

  • ザ・プロ野球
  • TBSラジオ エキサイトベースボール
  • RCCカープナイター
  • HBCファイターズナイター

関連項目

  • 鳥取県出身の人物一覧
  • 広島東洋カープの選手一覧
  • 読売ジャイアンツの選手一覧
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2009/08/26 03:57 UTC (変更履歴
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