小田和正 : ウィキペディア(Wikipedia)

| 職業 = | 担当楽器 = | 活動期間 = 1970年 - | レーベル = | 事務所 = ㈱ファー・イースト・クラブ代表取締役社長 小田和正 | 共同作業者 = | 公式サイト = | 著名使用楽器 = }} 小田 和正(おだ かずまさ、1947年〈昭和22年〉9月20日 - )は、日本のミュージシャン、会社役員。元オフコースのリーダーでボーカリスト。株式会社ファー・イースト・クラブ(FAR EAST CLUB INC.)代表取締役社長。身長172cm。血液型はA型。

来歴

生い立ち

横浜市金沢区出身。金沢文庫すずらん通り商店街にある小田薬局で次男として生まれ育ち、兄が一人居る。兄の小田兵馬(1946年3月27日生まれ、栄光学園中学校・高等学校→東京薬科大学薬学部)は家業を継ぎ薬剤師となり小田薬局の店長を務める傍ら、日本チェーンドラッグストア協会、横浜市金沢区薬剤師会などの要職を歴任している。幼少時代は横須賀中央のバイオリン教室に通っていた。実父は、東京都本郷の出身で、すずらん通り商店街の基礎を築き藍綬褒章を受章している。

趣味はゴルフ、水彩画。古今亭志ん生のファンである。

関東学院六浦小学校、横浜市立八景小学校を経て、1960年、聖光学院中学校・高等学校に進学。小学3年生のとき中学受験のため通っていた進学塾への通学途中、京浜急行の車中で鈴木康博と運命の出会いを果たす。鈴木と小田はともに第1志望だった栄光学園中学の受験に失敗し、進んだ中高一貫校である聖光学院では中学・高校を通じて同級生だった。高校3年時、学園祭(「聖光祭」)にて小田、鈴木、地主道夫、須藤尊史の4人で演奏を披露した。オフコースとしてレコード・デビュー後も(5人構成となる前までは)小田と鈴木が母校を訪れ、聖光祭にて演奏を毎年披露していた(聖光学院には1,000名以上の観客を収容可能な大ホール(=ラ・ムネホール)がある)。これは、学園祭実行委員の後輩達より毎年のように出演依頼を受け、小田と鈴木が快諾したことにより実現したものであった。なお、1999年、聖光学院創立40周年記念行事にて、小田、地主、須藤の3人が再び集結、当時の演奏ナンバーを披露した。また、新校舎完成時にもホールで演奏を披露するコンサートに出演した。

オフコース

聖光学院高校を卒業後、須藤は横浜市立大学、小田は地主とともに東北大学に進学し、建築学を専攻。同期には藤森照信がいる。聖光学院在学時に授業で建築模型を製作して以来建築に興味を抱いていた。また、千葉大学医学部を受験しようとも思ったが、大学見学の際に消毒臭・カーテンの汚さに嫌気がさし、東北大学を選んだという。鈴木は東京工業大学に進学し、離ればなれとなったが、仙台と横浜をお互いに頻繁に行き来し、音楽活動も続けていた。後にグループは「ジ・オフ・コース」(後にオフコースと改名)と名付けられた。1969年、アマチュア音楽活動にけじめをつけるために「ヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト」に東北地区より出場。東京でなく東北から出場したのは東京ではレベルが高く、東北のほうが勝ち抜きやすそうだからと考えたためだが、実際に出場してみると東北地区も大変レベルが高かったという。それでも東北地区を1位で通過、全国大会に進出した。全国大会は赤い鳥、フォー・シンガーズ(財津和夫のいたグループ)ら強敵がいたが、小田曰く「寝ててもできるくらい」猛練習を重ね、自信をもって臨んだにもかかわらず、1位は赤い鳥、オフコースは2位だった。小田らは優勝して音楽活動にけじめをつけるつもりだったが、2位になったことで「このまま終われない」とプロの道を歩むことを決める。

しかし、鈴木は音楽一本に決めたが、地主は小田と鈴木の音楽性についていけず、建築家に進路を定めた。小田は1971年、早稲田大学大学院理工学研究科に進学。建築の研究を続ける一方で鈴木との音楽活動も続けていた。その後徐々に気持ちは音楽に傾き、1976年の修士課程修了時には完全に音楽の道を選択することを決めていた。修士論文のタイトルは「建築との訣別」(ただし、審査の担当教授の安東勝男に「私的建築論」と題名を変更させられている)。

オフコースは数度のメンバー変遷を経て1972年より小田、鈴木の2人構成、後に清水仁、大間ジロー、松尾一彦を加えた5人構成となる。数年間は売れない時代が続いたが、やがて、1970年代から1980年代にかけて次々とヒット曲を生み出し、時代を代表する人気グループとなった。オフコースが発表したシングルのA面のほとんどは小田の曲であり、そのシンプルで、ストレートに愛を歌う歌詞とハイトーンの澄んだボーカルはオフコースの大きな特色であった。オフコース時代のヒット曲には「さよなら」「Yes-No」「君が、嘘を、ついた」などがある。1982年にはオフコースのオリジナルメンバーである鈴木康博の脱退に伴い一度は解散も考えたが、約1年の活動休止を経て4人で活動再開、1989年まで活動した。オフコース時代の活動の詳細はオフコースの項参照。

ソロ以降

1986年に初めてのソロシングル「1985」、初のソロアルバム『K.ODA』を発表。オフコース時代からソロ活動を始めてはいたが、1989年のオフコース解散以後にソロ活動を本格化。

1991年、フジテレビ月9ドラマ『東京ラブストーリー』の主題歌として制作した楽曲「ラブ・ストーリーは突然に」が、オリコンシングルチャートで第1位を獲得し、258.8万枚の売上を記録。また自身初のミリオンセラーとなった。

その後は、ヒットメーカーとしての地位を確立し、楽曲はドラマ・CMなどに積極的に採用され、「たしかなこと」、「伝えたいことがあるんだ」、「キラキラ」、「まっ白」などのヒット曲を生み出している。また、オフコース時代を含む過去の楽曲を集め、新アレンジで再録音したセルフカヴァー・アルバム『LOOKING BACK』シリーズや『自己ベスト』は、幅広い年代に支持される大ヒットとなった。

1998年7月22日夜、愛車セルシオを自身で運転して事務所・関係者らとの恒例行事「DEATH MATCH」(ゴルフコンペ)開催のゴルフ場へ向かうため、栃木県都賀町の東北自動車道下り線を走行中、自損事故を起こし全治4週間の重傷を負う。現場付近は雨が降っており、80キロの速度規制のところを、約20キロオーバーの100キロ前後で走行。スリップしてコントロールを失い、ガードロープに接触した。その衝撃で後部座席に飛ばされ、後部座席で横たわった形で救出される。同乗者は無し。幸いにも、後続車による追突や横転、反対車線への飛び出しなどがなかったため、一命を取りとめる。約2週間の入院後、奇跡的な回復を見せ、同年9月12日、福岡県にある「海の中道」で行われたスターダスト・レビューとのジョイントコンサートで、完治していない体だったが歌手活動に復帰した。

2005年にはオリジナルアルバム『そうかな』、2007年にはシングル「こころ」で、それぞれオリコンチャート週間1位を獲得。とかく過去の楽曲が注目・起用されがちな日本の同世代アーティストの中で、新曲で音楽シーンに存在感を示すことができる貴重な存在となっている。

CMとのタイアップや、他のアーティストへの楽曲提供や、コラボレーションも行うようになった。また、初めて持ったテレビのレギュラー番組は大変な反響を呼んだ。

また、音楽以外の分野では映画やドキュメンタリーの制作なども行った。

明治村が好きで、何度も足を運んでいる(特にフランク・ロイド・ライトが設計した帝国ホテル中央玄関のミニチュアがお気に入り)。それが縁となり、明治村を経営する名古屋鉄道の企業CMで小田の曲が使われている2010年2月25日付 日本経済新聞夕刊に掲載された名古屋鉄道の企業広告CMギャラリー|名鉄ライブラリー|名古屋鉄道(2022年2月28日閲覧)。

2007年、東北大学が創立100周年記念事業の一環として開催した「東北大学100周年記念式典」において、「東北大学100周年記念文化貢献賞」を芸術・文化部門において受賞する。さらに、聖光学院が開催した「聖光学院中学校・高等学校創立50周年祭」において、招待公演を横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)で行った。

2008年11月、地元に近い京急本線金沢文庫駅の接近メロディに「my home town」が採用された。

2009年3月「ツアー2008 今日もどこかで」で文化庁第59回芸術選奨文部科学大臣賞受賞。同年7月、知人の招きを受け、岩手県大船渡市民文化会館・リアスホールの落成記念公演を行った。

2010年10月20日発売の松尾一彦のミニ・アルバム『せつなくて』にピアノ&ピアノ・アレンジで参加。オフコース解散後、初の元メンバーとのコラボレーションとなる。

2011年から2012年にかけて、ソロ歌手として史上最年長となる自身初の5大ドーム公演を含む31会場全59公演の全国ツアー「どーもどーも その日が来るまで」を開催。約74万人を動員し、自己記録を超え、国内ソロアーティスト歴代最多動員数記録を更新小田和正、ソロ最多74万人動員ツアー完走 地元横浜で客席乱入!、2012年5月27日、オリコン。。

2016年4月20日発売のベストアルバム『あの日 あの時』はオリコンで週間1位となり、「アルバム首位獲得最年長アーティスト(68歳7ヶ月)」として、矢沢永吉の記録(63歳8ヶ月)を更新。

2017年11月23日、NHK-FM「今日は一日“小田和正”三昧」でメッセージの形でだが鈴木康博と35年ぶりに共演した。

2022年6月3日、 福島県のビッグパレットふくしまで、3年ぶりとなる全国アリーナツアー『Kazumasa Oda Tour 2022 「こんど、君と」』をスタート。74歳8ヶ月でのアリーナツアー開催は、国内アーティスト史上最年長記録。なお、ツアー中、小田和正が新型コロナウィルスに感染したことから、 8月3日、4日の東京公演(代々木第1体育館)および8月13日、14日の沖縄アリーナ公演は、中止になった。その後、8月21日に香川県内で行われた野外ロックフェスティバル「MONSTER baSH 2022」で復帰した。

映画制作

中学生時代に見た映画『ティファニーで朝食を』の主題歌「ムーン・リバー」に感動して初めてレコードを買い、「将来こんな素敵な仕事ができたら」と思っていた。

オフコース在籍時から、ステージで曲の演奏中にイメージフィルムを流したり、当時まだ珍しかったビデオクリップを制作するなど、音楽と映像の融合を積極的に行っていた。

1992年、第1回監督作品となる映画『いつか どこかで』が全国公開されたが、評判は芳しくなく、興行成績も成功とはいえなかった。

1997年、監督第2作目となる映画『緑の街』を制作、「歌手である主人公が映画を制作する」というストーリーが、1作目での制作体験を基に描かれた。この時は映画会社配給ではなく、ホールに機材を持ち込んで全国各地を廻る「シネマ・ツアー」という方式で上映された。

プロデュース / コラボレーション

ソロになった1989年以降、他のアーティストとの交流が急速に活発化。

ソングライターとして鈴木雅之、中村雅俊島倉千代子松たか子らの楽曲を全面的にプロデュースする他、ASKA佐藤竹善、スキマスイッチらとコラボレーションする。

また、チャリティのためのUSED TO BE A CHILD主催、泉谷しげるらとのチャリティライブ、スターダストレビュー、CHAGE and ASKAらとのジョイントライブや音楽イベントに積極的に参加するようになった。

小田自身のソロライブでも、コーラスに安部恭弘、佐藤竹善、山本潤子、加藤いづみらを起用している。

2021年4月、福島県立喜多方高等学校が喜多方東高等学校と統合し、単位制高校に改編した新たな喜多方高等学校福島県教育委員会/統合後の校名について の校歌の作曲を担当。

作品

コンサート

ツアー

タイトル公演規模公演日程会場備考
1990年第一生命サウンドスペシャルK.ODA TOUR 1990 Far East Club Band 千葉県文化会館茨城県立県民文化センター宇都宮市文化会館福岡サンパレス長崎市公会堂鳥栖市民文化会館熊本市民会館鹿児島市民文化ホール四日市市文化会館岐阜市民会館静岡市民文化会館松本市社会文化会館長野県県民文化会館大宮ソニックシティ群馬県民会館山梨県立県民文化ホール高知県立県民文化ホール徳島市立文化センター香川県県民ホール松山市民会館大阪フェスティバルホール神戸国際会館北海道厚生年金会館神奈川県民ホール石川厚生年金会館福井フェニックスプラザ富山市公会堂新潟県民会館徳山市文化会館上野学園ホール倉敷市民会館京都会館岩手県民会館青森市文化会館秋田県民会館郡山市民文化センターイズミティ21横浜アリーナ東京公演として10月2日、3日の2日間実施。10月3日公演では鈴木雅之がゲスト出演。名古屋市民会館大阪城ホール日本武道館追加公演として11月5日、6日、7日の3日間実施。
1991年 - 1992年第一生命サウンドスペシャルSometime Somewhere K.ODA TOUR FAR EAST CLUB BAND 1992 大宮ソニックシティ市川市文化会館福井フェニックスプラザ石川厚生年金会館終了後にFNS歌謡祭に出演。伊那文化会館長野県県民文化会館郡山市民文化センター仙台サンプラザ1991年12月に2公演、1992年に1公演実施。新潟県民会館北海道厚生年金会館神奈川県民ホール1月18日、19の2日間実施。名古屋国際会議場センチュリーホール静岡市民文化会館京都会館神戸国際会館広島文化学園HBGホール愛媛県県民文化会館徳島市立文化センター福岡サンパレス大阪フェスティバルホール名古屋市民会館秋田県民会館岩手県民会館青森市文化会館国立代々木競技場第一体育館4月1日、2日の2日間実施。鹿児島市民文化ホール宮崎市民会館大分文化会館長崎市公会堂日本武道館追加公演として4月23日、24日、25日の3日間実施。
1995年FUN MORE TIME! KAZUMASA ODA TOUR 1995 群馬県民会館宇都宮市文化会館アクトシティ浜松静岡市民文化会館北海道厚生年金会館大宮ソニックシティ仙台サンプラザ新潟県民会館神奈川県民ホール徳山市文化会館岡山市民会館広島文化学園HBGホール四日市市文化会館岐阜市民会館鳥取県立県民文化会館島根県民会館神戸国際会館2月に2公演を予定していたが、阪神淡路大震災による倒壊のため中止。代替公演として4月に御影公会堂裏で行われたイベント『神戸元気村』でミニライブを実施。コンサート・グッズなどの売り上げの一部を義援金に充てた。その後1999年6月に新装し、同年6月15日、『FUN MORE TIME! FINAL』として改めて行われた。このときのゲストは泉谷しげる。府中の森芸術劇場どりーむホール近江八幡市文化会館徳島市立文化センター高知県立県民文化ホール松山市民会館香川県県民ホール鹿児島市民文化ホール熊本市民会館福岡サンパレス名古屋国際会議場センチュリーホール青森市文化会館岩手県民会館京都会館長野県県民文化会館長野県松本文化会館大阪フェスティバルホール福井フェニックスプラザ富山市公会堂石川厚生年金会館日本武道館4月27日と4月28日、5月22日と23日に2公演ずつ行われた。その模様はファンクラブ会員限定ビデオ『LIFE-SIZE 1995』に収録された。大分文化会館宮崎市民会館長崎市公会堂佐賀市文化会館郡山市民文化センター宮城県民会館
1997年 - 1998年日産エルグランドPresentsK.ODA TOUR 1997-1998 THRU THE WINDOW 神戸国際会館島根県民会館鳥取県立県民文化会館守山市民ホール和歌山市民会館宇都宮市文化会館山形県民会館青森市民会館岩手県民会館仙台サンプラザ9月20日の公演が小田の50歳の誕生日ということもあり、北海道厚生年金会館旭川市民文化会館富山オーバードホール長野県県民文化会館山梨県立県民文化ホールひたちなか市文化会館市川市文化会館豊橋勤労福祉会館三重県文化会館岐阜市民会館静岡市民文化会館秋田県民会館郡山市民文化センター群馬県民会館金沢市観光会館福井フェニックスプラザ新潟県民会館佐賀市文化会館大分文化会館京都会館大宮ソニックシティ高知県立県民文化ホール徳島市立文化センター香川県県民ホール山口市民会館松山市民会館倉敷市民会館広島文化学園HBGホール福岡サンパレス九州厚生年金会館東京国際フォーラム・ホールA12月10日、11日の2日間実施。翌年2月3日には追加公演として実施。ライブビデオの収録も行われた。名古屋市民会館大阪フェスティバルホールパシフィコ横浜 国立大ホールアクトシティ浜松名古屋国際会議場センチュリーホール宮崎市民文化ホール鹿児島市民文化ホール 第1ホール長崎市公会堂熊本市民会館奈良県文化会館日本武道館1月30日、31日の2日間実施。
2000年SAME MOON! KAZUMASA ODA TOUR 2000 千葉県文化会館山梨県立県民文化ホール秋田県民会館八戸市公会堂山形県県民会館びわ湖ホール大阪フェスティバルホール三重県文化会館長良川国際会議場瀬戸市文化センター宇都宮市文化会館大宮ソニックシティ長野県県民文化会館佐賀市文化会館長崎ブリックホール九州厚生年金会館大分グランシアタ京都会館島根県民会館鳥取県立県民文化会館高知県立県民文化ホール香川県県民ホール松山市民会館倉敷市民会館徳山市文化会館ふくやまリーデンローズ広島文化学園HBGホール神戸国際会館 こくさいホール東京国際フォーラム・ホールA7月26日、27日の2日間実施。富山オーバードホール石川厚生年金会館静岡市民文化会館神奈川県民ホール新潟県民会館宮城県民会館會津風雅堂郡山市民文化センター岩手県民会館北海道厚生年金会館名古屋国際会議場センチュリーホール熊本市民会館以後、熊本でのコンサートは2011年のグランメッセ熊本まで実施されなかった鹿児島市民文化ホール福岡サンパレス日本武道館10月11日、12日の2日間実施。
2002年ファミリーマート明治生命も協賛。PresentsK.ODA TOUR 2002 「Kira Kira」 SHIBUYA-AX当日は渋谷の街頭ビジョンで生中継された。大阪国際会議場 メインホール米子コンベンションセンターZepp FUKUOKA福岡サンパレス鹿児島市民文化ホール三重県文化会館静岡市民文化会館アクトシティ浜松北海道厚生年金会館岩手県民会館福島県文化センター仙台サンプラザ東京厚生年金会館パシフィコ横浜 国立大ホール神戸チキンジョージ名古屋国際会議場センチュリーホール新潟テルサ石川厚生年金会館コンサート終了後、NHK総合テレビ『音楽旅人』の収録で笑福亭鶴瓶と対談。広島国際会議場 フェニックスホールさぬき市野外音楽広場テアトロン国立代々木競技場第一体育館8月6日、7日の2日間実施。8月7日公演はファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2002』に収録された。大阪城ホール愛知県体育館8月17日、18日の2日間実施。
2005年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2005"大好きな君に"動員数 約32万人静岡エコパアリーナマリンメッセ福岡朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンターさぬき市野外音楽広場テアトロン青森市文化会館岩手県民会館パシフィコ横浜 国立大ホール8月と10月に2公演ずつ実施。万博記念公園 もみじ川芝生広場名古屋港 オープンエアパーク真駒内アイスアリーナ仙台市体育館長野県松本文化会館石川厚生年金会館広島グリーンアリーナ沖縄コンベンション劇場ソロとしては初の沖縄公演だが、オフコース時代を含めると1987年9月以来。山梨県立県民文化ホール日本武道館7月6日、7日、9月21日、22日、12月6日、7日にそれぞれ2公演ずつ(計6公演)。大阪城ホール12月10日、11日の2日間実施。愛媛県県民文化会館宮崎市民文化ホール名古屋市総合体育館 レインボーホール12月20日、21日の2日間実施。12月20日は親交のある星野仙一(現:東北楽天ゴールデンイーグルス監督。当時の役職は阪神タイガース・シニアディレクター)がゲスト出演し、小田とトークセッションを繰り広げた。
2008年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2008"今日も どこかで"動員数 約33万人静岡エコパアリーナ4月に2公演実施。神戸ワールド記念ホール米子コンベンションセンターアスティとくしまマリンメッセ福岡4月と9月にそれぞれ2公演ずつ。9月20日の小田の誕生日当日にも実施され、アンコールでは観客による「ハッピーバースデー」の大合唱が起こった。三重県文化会館長野県県民文化会館青森市文化会館岩手県民会館横浜アリーナソロ初のツアーとなった1990年以来。5月21日、22日と8月12日、13日にそれぞれ2日間ずつ実施。釧路市民文化会館オフコース時代の1987年以来。旭川市民文化会館富山オーバードホール大阪城ホール6月6日、7日と9月27日、28日にそれぞれ2日間ずつ。日本ガイシホール6月と9月2日、3日にそれぞれ2日間ずつ。国立代々木競技場第一体育館6月18日、19日に2日間実施。鹿児島市民文化ホール宜野湾市海浜公園屋外劇場広島グリーンアリーナホットハウススーパーアリーナ朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンター京都会館 第一ホールさぬき市野外音楽広場テアトロンスターダスト・レビューがゲスト出演。栃木県総合文化センター山梨県立県民文化ホール真駒内セキスイハイムアイスアリーナ8月に2公演実施。岡山市民会館日本武道館9月10日、11日に2日間実施。愛媛県県民文化会館
2008年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2008"きっと またいつか♪今日も どこかで FINAL♪"動員数 約20万人東京ドームオフコース時代の1989年2月(解散コンサート)以来。11月27日公演ではVTR収録も行われ、その一部が『クリスマスの約束2008』に使われた。バンテリンドーム ナゴヤ京セラドーム大阪
2011年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2011"どーも どーも その日が来るまで"動員数 約67万人長野ビッグハットサンドーム福井愛媛県武道館三重県営サンアリーナスカイホール豊田横浜文化体育館6月8日、9日の2日間実施。6月9日は公演中に地震が発生したが、混乱もなく予定通り行われた(この時の横浜市中区の震度は2)。京都会館 第一ホールびわ湖ホール鹿児島アリーナ4月22日、23日に実施予定だったが、6月18日、19日に延期、実施。グランメッセ熊本2000年のツアーでの熊本市民会館以来の熊本公演。宜野湾市海浜公園屋外劇場広島グリーンアリーナ朱鷺メッセ 新潟コンペディションセンターさぬき市野外音楽広場テアトロン岡山市総合文化体育館4月8日、9日の2日間を予定していたが、7月29日、30日に延期、実施。国立代々木競技場第一体育館5月3日、4日に実施予定だったが、8月9日、10日に延期、実施。神戸ワールド記念ホール4月と8月にそれぞれ2公演実施予定だったが、4月公演分(4月1日、2日)は8月19日、20日に延期、実施。8月公演分(8月19日、20日)は10月13日、14日に延期。横浜アリーナ4月と8月に2公演ずつ実施を予定していたが、4月公演分(4月26日、27日)は8月24日、25日に延期、実施。8月公演分(8月24日、8月25日)は10月25日、26日に延期、実施され、ツアーとしての最終公演地となった。札幌ドーム9月3日実施。台風12号の影響で、30分遅れで開演した。福岡PayPayドーム9月10日実施。バンテリンドーム ナゴヤ9月17日、18日に実施。京セラドーム大阪9月24日、25日に実施。東京ドーム9月28日、29日に実施。2日間ともVTR収録が行われ、9月28日公演分が9月30日の民放各局のワイドショーで一部放送されたほか、9月29日公演分がファンクラブ会員限定DVD『LIFE-SIZE 2011』に一部収録された。さらにこの模様は2012年6月24日21:00 - 23:00にWOWOWライブで放送された。よこすか芸術劇場8月11日、12日に実施予定だったが、他会場の延期日程調整の都合上により、8月11日公演分は見送り。8月12日公演分は10月18日に延期、実施。静岡エコパアリーナ3月26日、27日に実施予定だったが、10月21日、22日に延期、実施。秋田県立体育館4月16日、17日の2日間を予定していたが、地震の影響で見送り。セキスイハイムスーパーアリーナ6月18日、19日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。岩手産業文化センター アピオ7月29日、30日に実施予定だったが、地震の影響で見送り。
2012年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2012"どーも どーも その日が来るまで"動員数 約7万人秋田県立体育館4月14日、15日の2日間実施(前年4月16日、17日の振り替え公演)。セキスイハイムスーパーアリーナ4月21日、22日の2日間実施(前年6月18日、19日の振り替え公演)。サンワアリーナ青森4月28日、29日の2日間実施。岩手産業文化センター アピオ5月12日、13日の2日間実施(前年7月29日、30日の振り替え公演)。あづま総合体育館5月19日、20日の2日間実施。横浜赤レンガパーク特設野外ステージ雨天決行。荒天の場合は翌日に延期となっていたが、予定通り実施。またこの模様は翌々日の民放各局のワイドショーで放送。
2013年明治安田生命Presents小田和正コンサート"その日が来るまで" 仙台サンプラザホール岩手県民会館福島県文化センター
2014年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2014"本日 小田日和"動員数 約25万人和歌山ビッグホエール6月28日、29日の2日間実施。2日後の民放各局のワイドショーで初日公演の模様をダイジェスト放送。宜野湾海浜公園屋外劇場7月5日、6日の2日間実施。東京体育館7月12日、13日の2日間実施。東京公演が週末に行われたのは1991年12月から1992年4月にかけて行われたツアーでの日本武道館公演(1992年4月23日、24日、25日)以来22年ぶり。真駒内セキスイハイムアイスアリーナ7月18日、19日の2日間実施。さぬき市野外音楽広場テアトロン7月26日、27日の2日間実施。横浜アリーナ8月5日、6日の2日間実施。マリンメッセ福岡8月13日、14日の2日間実施予定。日本ガイシホール8月21日、22日の2日間実施。大阪城ホール8月26日、27日の2日間実施。セキスイハイムスーパーアリーナ9月4日、5日の2日間実施。ワールド記念ホール9月10日、11日の2日間実施。岐阜メモリアルセンターで愛ドーム9月18日、19日の2日間実施。本多の森ホール9月25日、26日の2日間実施。朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター10月2日、3日の2日間実施。エコパアリーナ10月11日、12日の2日間実施。あづま総合体育館10月16日、17日の2日間実施。日本武道館10月22日、23日の2日間実施。日本武道館で行われるのは2008年ツアー以来6年ぶり。岩手産業文化センター・アピオ10月28日、29日の2日間実施。
2015年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2014 - 2015"本日 小田日和"動員数 約7万人広島グリーンアリーナ1月29日、30日の2日間実施。国立代々木競技場第一体育館2月3日、4日の2日間実施。国立代々木競技場第一体育館で行われるのは、2011年ツアー以来4年ぶり。サンドーム福井2月10日、11日の2日間実施。2日間とも大雪に見舞われたが、公演は予定通り行われた。日本ガイシホール2月17日、18日の2日間実施。鹿児島アリーナ2月28日、3月1日の2日間実施。大阪城ホール3月11日、12日の2日間実施。横浜アリーナ3月17日、18日の2日間実施。
2016年明治安田生命PresentsKAZUMASA ODA TOUR 2016"君住む街へ"小田和正 初のオールタイムベスト!オフコース曲も収録(スポーツニッポン 2016年1月25日付)動員数 約34万人静岡エコパアリーナ4月30日、5月1日開催。四日市ドーム5月7日、8日開催。別府ビーコンプラザ5月14日、15日開催。函館アリーナ5月21日、22日開催。富山市総合体育館・第一アリーナ5月28日、29日開催。ワールド記念ホール6月7日、8日開催。さいたまスーパーアリーナ6月14日、15日開催。さいたまスーパーアリーナでの公演は『クリスマスの約束・大好きな君に』(2005年11月29日)以来。朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター6月21日、22日開催。東京体育館6月30日、7月1日開催。盛岡市アイスアリーナ7月6日、7日開催。北海道立総合体育センター・北海きたえーる7月13日、14日開催。さぬき市野外音楽広場テアトロン7月23日、24日開催。セキスイハイムスーパーアリーナ7月30日、31日開催。ビッグパレットふくしま8月5日、6日開催。出雲ドーム8月11日(山の日)、12日開催。マリンメッセ福岡8月17日、18日開催。大阪市中央体育館8月24日、25日開催。日本ガイシホール8月30日、31日開催。大阪城ホール9月6日、7日開催。広島グリーンアリーナ9月17日、18日開催。国立代々木競技場第一体育館9月27日、28日開催。高知県立県民体育館10月9日、10日(体育の日)開催。横浜アリーナ10月18日、19日開催。宜野湾海浜公園屋外劇場10月29日、30日開催。
2018年 - 2019年明治安田生命PresentsENCORE Kazumasa Oda Tour 2018動員数 約40万人グランメッセ熊本5月4日、5日開催。静岡エコパアリーナ5月12日、13日開催。函館アリーナ5月19日、20日開催。ビッグパレットふくしま5月26日、27日開催。ワールド記念ホール6月5日、6日開催。日本ガイシホール6月13日、14日、10月24、25日開催。さいたまスーパーアリーナ6月26日、27日開催。横浜アリーナ7月3日、7月4日、10月30、31日開催。宜野湾海浜公園屋外劇場7月14日、15日開催。松江市総合体育館7月21日、22日開催。さぬき市野外音楽広場テアトロン7月28日、29日開催。西日本豪雨及び台風12号の影響で開催が危ぶまれたが、公演は2日間とも予定通り行われた。武蔵野の森総合スポーツプラザ8月8日、9日開催。台風13号の影響で開催が危ぶまれたが、公演は2日間とも予定通り行われた。いしかわ総合スポーツセンター8月18日、19日開催。日本武道館8月28日、29日開催。日本武道館での開催は2014年ツアー以来4年ぶり。盛岡タカヤアリーナ9月6日、7日開催。前回ツアー開催時は「盛岡市アイスアリーナ」。大阪城ホール9月12、13日、2019年1月8日、9日開催。マリンメッセ福岡9月22日、23日開催。朱鷺メッセ 新潟コンベンションセンター9月29日、30日開催。セキスイハイムスーパーアリーナ10月5日、6日開催。真駒内セキスイハイムアイスアリーナ10月12日、13日開催。広島グリーンアリーナ10月18日、19日開催。
2019年明治安田生命PresentsKazumasa Oda Tour 2019ENCORE ENCORE動員数 約15万人横浜アリーナ5月14日、15日開催。前年に続いての開催。マリンメッセ福岡5月21日、22日開催。前年に続いての開催。四日市ドーム6月1日、2日開催。四日市ドームでの開催は2016年ツアー以来3年ぶり。長野ビッグハット6月19日、20日開催。長野ビッグハットでの公演は2011年ツアー以来8年ぶり。さいたまスーパーアリーナ6月26日、27日開催。前年に続いての開催。2日間ともVTR収録を行った。セキスイハイムスーパーアリーナ7月4日、5日開催。前年に続いての開催。ワールド記念ホール7月18日、19日開催。前年に続いての開催。愛媛県武道館7月30日、31日開催。
2022年明治安田生命PresentsKazumasa Oda Tour 2022こんど、君と動員数 約27万人東京2公演と福岡1公演が中止となったため。ビッグパレットふくしま6月3日、4日開催。朱鷺メッセ・新潟コンベンションセンター6月11日、12日開催。日本ガイシホール6月22日、23日開催。大阪城ホール7月1日、2日開催。真駒内セキスイハイムアイスアリーナ7月9日、10日開催。セキスイハイムスーパーアリーナ7月16日、17日開催。さぬき市野外音楽広場テアトロン7月23日、24日開催。国立代々木競技場第一体育館8月3日、4日開催予定だったが、バンドメンバーの有賀啓雄の新型コロナ感染が判明したため、開催見送り(その後、小田自身もコロナ感染が判明)。沖縄アリーナ8月13日、14日開催予定だったが、小田自身のコロナ感染が判明したため、開催見送り。広島グリーンアリーナ8月24日、25日開催。ベースは有賀に代わって吉池千秋が担当。愛媛県武道館9月10日、11日開催。マリンメッセ福岡A館9月17日開催。ただし、9月18日公演分が台風14号の影響により開催中止となった(当該日の振り替え公演はなし)。横浜アリーナ9月27日、28日、11月8日、9日開催。ポートメッセなごや新第1展示館10月8日、9日開催。さいたまスーパーアリーナ10月19日、20日開催。ワールド記念ホール10月29日、30日開催。沖縄アリーナ8月13日、14日分の振り替え公演として11月30日、12月1日開催。
2023年明治安田生命PresentsKazumasa Oda Tour 2023こんどこそ、君と動員数 約18万人サンドーム福井5月3日、4日開催。グランメッセ熊本5月10日、11日開催。大阪城ホール5月23日、24日開催。前年に続いての開催。有明アリーナ6月3日、4日開催。有明アリーナでの開催は初であるが、東京公演の週末開催は2014年ツアーの東京体育館(7月12日、13日)以来9年ぶり。山口きらら博記念公園やまぐち富士商ドーム6月17日、18日開催。国立代々木競技場第一体育館前年8月3日、4日の振り替え公演として、6月28日、29日開催(チケットは振り替え公演でも使用可能)。なお、国立代々木競技場第一体育館での公演は2016年ツアー(9月27日、28日)以来7年ぶり。岩手産業文化センター・ツガワ未来館アピオ7月8日、9日開催。真駒内セキスイハイムアイスアリーナ7月20日、21日開催。前年に続いての開催。横浜アリーナ8月1日、2日開催。前年に続いての開催。

野外コンサート

形態タイトル公演規模公演日程会場ゲスト協賛
1992年スタジアムMY HOME TOWNKAZUMASA ODA/FAR EAST CLUB BAND
2000年 - 2001年カウントダウンちょっと寒いけどみんなでSAME MOON!

ジョイント

  • FM仙台 20th Anniversary / 仙台放送 40th Anniversary - Super Collaboration 「FROM S」。その他の出演者:稲垣潤一、清貴、坂本サトル、HOUND DOG、中川晃教(2002年8月31日、スポーツランドSUGO)。
  • サウンドコニファー229〜青春の影〜 CHAGE and ASKAと共演。財津和夫がゲスト出演(2003年8月9日、富士急ハイランド・コニファーフォレスト)
  • LIVE Kiroro Kobukuro LIVE in EXPO'70にゲスト出演。Kiroro、コブクロ、佐藤竹善、夏川りみらと共演(2004年8月12日、大阪・万博記念公園もみじ川芝生広場)
  • Golden Circleにゲスト出演。寺岡呼人、スキマスイッチ、亀田誠治、ミドリカワ書房と共演(2005年11月20日、品川ステラボール)
  • J-WAVE LIVE 2000+6での平井堅のコーナーに飛び入り出演。「瞳をとじて」と「たしかなこと」をセッション(2006年8月19日、国立代々木競技場第一体育館)。
  • スターダストレビュー結成25周年記念ライブ『25年に一度の大感謝祭 6時間ライブ おやつ付き』にゲスト出演。オダレビ(小田とスタレビのジョイントユニット)としてそれぞれの代表曲を演奏したほか、このイベントのために即興で作った「思い出はうたになった」後にスターダスト・レビューのアルバム『ALLWAYS』(2008年11月17日発売)に収録された。(未発表曲)を根本要とデュエット(2007年5月19日、さいたまスーパーアリーナ)
  • 東北大学創立100周年記念祝賀会(野外)の坂本サトルのコンサートに飛び入り出演(2007年8月26日、東北大学片平キャンパス・屋外特設ステージ)
  • 京都音楽博覧会にてくるりと共演(2007年9月23日、2008年9月6日、京都梅小路公園)
  • INGNI Presents 『Your Songs Our Songs』にゲスト出演。CHARA奥田民生トータス松本、矢井田瞳、スガシカオ、Salyuと共演(2007年11月4日、大阪城ホール)
  • 情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、佐藤竹善と共演。その他の出演者は藤井フミヤ押尾コータロー森山直太朗河村隆一西村由紀江、古澤巌(2008年8月9日、江東区夢の島陸上競技場)
  • J-WAVE LIVE 2000+8でのくるりのコーナーに飛び入り出演し、「ばらの花」をセッション(2008年8月17日、国立代々木競技場第一体育館)。
  • めざましテレビ15周年記念特別企画ファイナル『元気のミナとも』グランドフィナーレにゲスト出演し、出演者、観客とともに『今日も どこかで』を歌う。このときの共演者は大塚範一、高島彩、中野美奈子、松尾翠、遠藤玲子、生野陽子、加藤綾子中村光宏、皆藤愛子、JUJU軽部真一と伊藤利尋はスケジュールの都合で不参加。(2009年2月15日、東京ビッグサイト西4ホール)
  • コスモアースコンシャスアクト・アースデー・コンサートにゲスト出演し、絢香と共演(2009年4月22日、日本武道館)
  • FM802 STILL20 SPECIAL LIVE RADIO MAGICに出演し、松たか子、佐藤竹善、一青窈らと共演(2009年5月31日、大阪城ホール)
  • 情熱大陸スペシャルライブ〜サマータイムボナンザにゲスト出演。葉加瀬太郎、森山直太朗と共演。その他の出演者は藤井フミヤ、押尾コータロー、クリスタル・ケイ、柴田淳、一青窈、CHEMISTRY、SALT&SUGAR(佐藤竹善&塩谷哲)、秦基博(2009年8月1日、万博記念公園もみじ川広場)
  • 『サマーピクニック・フォーエバーinつま恋』にゲスト出演。南こうせつ、伊勢正三イルカ森山良子、尾崎亜美、坂崎幸之助、山本潤子、松山千春らと共演。サプライズゲストとして加藤和彦が出演(2009年9月20日、ヤマハリゾートつま恋特設会場この日は自身の62歳の誕生日であり、南こうせつの音頭で観客から『ハッピーバースデー』の合唱で祝福した。また、NHK BS-hiでもイベントの模様が生中継されたが(13:00 - 18:00、18:45 - 20:00)、自身が出演した時間帯は大河ドラマ『天地人』を放送していたため、出演部分が放送されなかったが、同年10月18日にNHK BS-2で放送された総集編ではオンエアされた。ちなみに演奏曲目は『ひとりきり』(かぐや姫。シングル『僕は何をやってもだめな男です』のB面曲)と『今日も どこかで』。)
  • MONGOL800 ga FESTIVAL 『What a Wonderful World!! 09』にゲスト出演。MONGOL800と共演。その他の出演者は古謝美佐子(元ネーネーズ)、サンボマスター、ジッタリン・ジン、JUJU、DOBERMAN、Dragon Ash、MAJESTICS、マキシマムザホルモン、山嵐、与世山澄子&仲本正国グループ、RIP SLYME、RYUKYUDISKO(以上、五十音順。2009年10月3日、沖縄県読谷村ヨミタンリゾート特設会場)
  • THE BOOM Special Live Tour2010 “BOOMANIAにゲスト出演。THE BOOMと共演(2010年5月29日、静岡県浜名湖ガーデンパーク屋外ステージ)。
  • なごや・きよす夢まつり「夢花火音楽祭 音市音座」にゲスト出演。その他の出演者はKAN杉山清貴、STARDUST REVUE、平松愛理渡辺美里(以上、五十音順。2010年10月16日、愛知県清須市西枇杷島町南六軒付近 特設ステージ(みずとぴぁ庄内前)
  • OTODAMA FOREST STUDIO 2010にゲスト出演。その他の出演はキマグレン、THE BOOM、スターダスト・レビュー、Chara with laidbook(2010年10月17日、神奈川県・湘南国際村めぐりの森)
  • めざましLIVE ISLAND TOUR 2013 FINALに出演「たしかなこと」、「Yes-No」、「ラブ・ストーリーは突然に」、「キラキラ」、「言葉にできない」、「その日が来るまで」の6曲を演奏。。アンコールではmiwa、JUJU、Flumpool(以上、出演順)とともに「今日も どこかで」を演奏した(2013年10月27日、日本武道館)
  • 『イルカ45周年 ニッポン放送イルカのミュージックハーモニー25周年記念 青春のなごり雪コンサート』にゲスト出演。イルカ、伊勢正三、太田裕美、松山千春、南こうせつと共演。その他の出演者は小椋佳。案内役としてフリーアナウンサーくり万太郎(2017年1月15日、東京国際フォーラム・ホールA小田が初めてイルカの曲をアレンジしたのが1980年11月25日発売のシングル『夜明けのグッドバイ』はロサンゼルスでレコーディングしたことについてのエピソード、更に次作シングル『FOLLOW ME』制作当時のエピソードで「小田さんの声を入れてはいけないといったレコード会社間の制約規制が厳しかった。小田さんがコーラスを考えてやってくれたのだけど結局使えなかった。」とイルカのMCで語っている。また、コンサートの模様は2017年3月19日NHK BSプレミアム「イルカ デビュー45周年~青春のなごり雪コンサート~」としてオンエアされた(22:50 - 24:20)。演奏曲目は『FOLLOW ME』(イルカ)、『サラダの国から来た娘』(イルカ)と『言葉にできない』。アンコールで『まあるいいのち』(イルカ。アルバム『我が心の友へ』のB面5曲目つまり全11曲の最後に収録。小田自らアレンジ)を伊勢、太田、松山、南と共演している。)

チャリティコンサート

  • 奥尻、島原深江地区救済チャリティコンサート「日本をすくえ'94」(1994年8月16日日本武道館)に出演
  • アフガニスタン復興支援のためのチャリティーコンサート『KAZUMASA ODA TOUR 2003「Kira Kira」』(2003年5月4日 早稲田大学戸山キャンパス内記念講堂)

テレビメディアへの見方

オフコース時代よりテレビというメディアには不信感を抱いており、めったに出演しないことで有名であった「ザ・ベストテン」や「夜のヒットスタジオ」といった音楽番組にも出演しなかった。ただし、小田のみでは1984年に「テレフォンショッキング」、オフコース単体では一部のドキュメンタリー番組や「オレたちひょうきん族」に出演経験がある。が、ソロ活動を始めて以降、ネスカフェのCM出演を皮切りに、自身の露出にも関心を持つ。しかしいわゆる普通の音楽番組にはほとんど出演しないことからも分かるように、制作段階から自身の構想や意見を反映できることを条件にしている。ネスカフェのCMも、自分の注文(それまで定番だった『違いの分かる男…』のコピーを使わない)が受け入れられたからOKしたと語っている。

2001年にはTBSからの熱心なオファーを受けて『クリスマスの約束』を企画、出演した。その成功により番組は毎年制作され、ファン層の広がりやCDの売り上げなど、テレビ出演が自身の音楽活動に強く影響することを実感したと思われる。2004年には『クリスマスの約束』の発展形である『風のようにうたが流れていた』を、3か月間毎週放送の自身初TVレギュラー番組として制作。制作に当たっては、時間的制約の中で選曲や練習、観衆の中での本番と、大変な奮闘だったが、ここでもまた達成感と共に意識変化があったと語り、「やるかやらないか」の選択時「やらなければ"ゼロ"、やれば"何か"が残る」と、積極的なコメントが聞かれるようになった。2005年には17年ぶりに企業CM出演の依頼も引き受けた。

2005年末に一部で、NHK紅白歌合戦への出演依頼を受けているとの噂が流れた小田和正やオフコースの曲が、同年新企画の視聴者アンケート「スキウタ」上位にランクインしたため。ものの、結局出演することはなかった。小田自身はその年のコンサート(2005年ツアー、日本武道館)で、同年の紅白歌合戦に選出されたスキマスイッチをゲストに迎えた際、この番組に対し「自分にとって紅白に出ることは偏見がある」と語っていた。

出演

ドキュメンタリー

  • キャディ 青木功/小田和正 〜怒られて、励まされて、54ホール(1994年5月5日、テレビ東京) - プロゴルファー青木功のキャディを務めた時のドキュメンタリー。
  • 日本をすくえ(1994年9月14日、テレビ朝日) - チャリティライブ制作のドキュメンタリー。
  • 密着ドキュメント 小田和正 〜毎日が“アンコール”〜(2019年2月2日、NHK BSプレミアム) - 2018年に行われた全国ツアーのドキュメンタリー。
  • こんどこそ、君と!!〜小田和正 ライブ&ドキュメント2022 - 2023(2023年12月1日、BSP4K)(2024年2月17日、NHK-BS)(短縮版:2月29日、NHK総合) - 現役アーティストが行う全国アリーナツアーとしては“史上最年長”といわれる75歳の小田和正に密着し、その孤軍奮闘する姿にスポットを当てた特集番組こんどこそ、君と!! 〜小田和正 ライブ&ドキュメント2022−2023 - NHK 2023年12月1日こんどこそ、君と!! 〜小田和正 ライブ&ドキュメント2022−2023 - NHK 2024年2月24日。

特別番組

  • 追いかけて、追い続けて〜小田和正の世界(1992年1月24日、NHKBS2) - ファンを公言する小宮悦子によるロングインタビューがメイン。その他、映画「いつか どこかで」監督風景や、Far East Club Band リハーサル・ライブの映像(インタビュー以外は、後述の「音楽達人倶楽部」で放送されたものとほぼ同じ)。
  • 音楽達人倶楽部「小田和正」(1992年2月6日、NHK総合) - 映画「いつかどこかで」監督風景やFar East Club Band リハーサル・ライブ映像。
  • クリスマスの約束(TBS) - 2001年より毎年12月25日(クリスマス)前後に放送。
  • 佐野元春のザ・ソングライターズ - (2009年7月4日・11日、NHK教育)
  • 情熱大陸700回記念特別企画『井上真央が撮る小田和正』(2012年6月10日、6月17日、MBS)
  • KAZUMASA ODA TOUR"どーもどーも その日が来るまで"(2012年6月24日、WOWOWライブ) - 2011年から2012年にかけて行われた全国ツアーから2011年9月28日、29日の東京ドーム公演の模様を放送。
  • 100年インタビュー「時は待ってくれない〜小田和正」(2017年3月20日、NHK BSプレミアム) - 聞き手はオフコース時代からの大ファンである阿部渉アナウンサー。同年3月15日の『NHKニュース おはよう日本』(NHK総合)でも10分間のダイジェスト版を放送。同年6月11日に60分の短縮版(同年8月10日未明(同年8月9日深夜)にもNHK総合で放送)、同年8月13日に未公開シーンとライブ映像、オフコース時代に出演した『若い広場』のダイジェストを織り込んだ3時間の完全版を放送。
  • 小田和正音楽特番『風のようにうたが流れていた』(2019年3月30日、TBS) - 2001年から2017年までクリスマスの時期に放送されていた小田出演の『クリスマスの約束』の制作チームが手がけた特別番組。小田の母校である神奈川県横浜市の聖光学院中学校・高等学校で収録。
  • 小田和正 Tour 2018〜2019 ENCORE!! ENCORE!!(2019年10月19日、NHK BSプレミアム) - 全国24か所64公演、およそ55万人を動員した最新の全国ツアーの中から追加公演の模様を放送。さらにライブではおなじみとなっている名物企画「御当地紀行」を、阿部渉アナウンサーと一緒にめぐり、ライブにかける思いや心境が語られた。

CM

  • ネスカフェ ゴールドブレンド
    • goodtimes & badtimes(1988年)、Little Tokyo(1989年)
  • 第一生命
    • 君にMerry Xmas(1989年 クリスマス2日間限定)、Oh! Yeah!(1991年)、my home town(1992年)
  • アルバム『Oh! Yeah!』(1991年)
    • Oh! Yeah!
  • アルバム『自己ベスト』(2002年)
  • アルバム『そうかな』(2005年)
  • トヨタアリオン(2005年)
    • Re
  • シングル「こころ」(2007年)
  • アルバム『自己ベスト-2』(2007年)
  • 明治プロビオヨーグルトLG21オフコース時代に明治ブルガリアヨーグルトのCMソングを歌ったことがある。「希望の歌声」編(2009年)
    • 今日も どこかで

タイアップ(CM)

  • 第一生命
    • 野球編・ラグビー編 - 哀しみを、そのまま(1986年)※野球編は小田、ラグビー編は市川崑がそれぞれ演出。
    • 卒業編 - 僕の贈りもの(1988年)
    • Oh!Yeah編・仲直り編・床屋編 - 恋は大騒ぎ(1990年)※仲直り編は小田の企画、演出。床屋編では自身も出演。
    • いつか どこかで(1991年)※映画『いつか どこかで』の撮影風景を使用
  • 三菱自動車工業 ミラージュ
    • 春風に乱れて (1990年)、風と君を待つだけ(1991年)、だからブルーにならないで(1993年)
  • シャープ 液晶ビューカム
    • 風の坂道(1993年)
  • 味の素 ほんだし
    • またたく星に願いを(1993年)
  • 日産自動車 エルグランド
    • 風のように(1997年)、こんな日だったね(1999年)
  • JRA ブランドCM
    • woh woh(2000年・2011年)、19の頃(2000年・2012年)、風の街(2001年)、彼方(2013年)
  • 明治生命 / 明治安田生命
    • 言葉にできない(2000年 - 2003年 ※一時期、小田のライブ映像を使用)、たしかなこと(2004年)、オリジナル曲(2010年)、愛になる(2014年)、風を待って(2020年7月 - )
  • ハウス食品 北海道シチュー
    • 大好きな君に(2003年)、
  • 日本コカ・コーラ 緑茶「一(はじめ)」
    • オリジナル曲(2006年3月 - 6月)
  • 名古屋鉄道
    • 大好きな君に(2006年)、風の坂道(2008年)、緑の街(2011年)、Re(2013年)、この街(2014年- )、キラキラ(2018年 - )
  • マックスファクター
    • 若葉のひと(2009年3月)
  • ソニーBRAVIA 4K
    • 今のこと(2013年6月)
  • SUBARU
    • wonderful life(2015年5月 - )
  • NTT東日本
    • オリジナル曲(2017年3月- )
  • JAL×コカ・コーラ2020「Airport」篇
    • 会いに行く(2020年12月 - )

関連書籍

  • Time can't wait(小田和正 著、1990年初版、朝日新聞社)
  • キャディ(小田和正 著、1994年初版、スタジオシップ)
  • YES-NO小田和正ヒストリー(小貫信昭 著、1998年初版、角川書店)
  • たしかなこと(インタビュアー/著 小貫信昭、2005年初版、ソニー・マガジンズ)
  • 小田和正歌詞集 風うた〜恋〜(小田和正 著、2006年初版、主婦と生活社)
  • 小田和正全詞集 大切なことば(小田和正 著、2007年初版、ジービー)
  • 小田和正という生き方(陥合真司 著、2009年初版、青弓社)
  • 小田和正ドキュメント1998-2011(小貫信昭 著、2011年初版、幻冬舎)
  • ダイジョウブ(小田和正 著、2011年初版、講談社)
  • 空と風と時と 小田和正の世界(追分日出子 著、2023年11月、文藝春秋)

記録

  • 1985年 シングル「今だから」(松任谷由実・小田和正・財津和夫共作) - 「オリコン シングルチャート1位」獲得は、小田の音楽キャリア史上初。
  • 1991年 シングル 「Oh! Yeah!/ラブ・ストーリーは突然に」 - 「オリコン シングルチャート週間1位」「年間シングルチャート1位」ソロで初の1位獲得、270万枚を売り上げ、ソロでの44歳3か月最年長記録によるダブルミリオンを獲得し、当時のシングルCD・レコード売上枚数記録史上、過去最高記録、達成。
  • 2001年 アルバム 『LOOKING BACK 2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 53歳8か月(それまでの同記録は井上陽水『GOLDEN BEST』1999年7月 51歳0か月)
  • 2002年 アルバム 『自己ベスト』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 54歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は53歳8か月)
  • 2004年『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム売上200万枚突破 最年長記録」57歳3か月(それまでの同記録は松任谷由実『Neue Musik』1998年11月 44歳10か月)、「オリコン集計上での男性ソロアーティスト アルバム200万枚突破 史上2人目達成」(同年12月、初記録は河村隆一『Love』1997年12月)
  • 2005年6月 アルバム 『そうかな』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」 57歳9か月(自己記録更新、それまでの同記録は54歳8か月)
  • 2007年8月 シングル 「こころ」 - ソロでの「オリコン シングルチャート週間1位獲得 最年長記録」59歳11か月(それまでの同記録は石原裕次郎「北の旅人」1987年8月 52歳7か月)
  • 2007年12月 アルバム 『自己ベスト-2』 - ソロでの「オリコン アルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」60歳3か月(自己記録更新、それまでの同記録は57歳9か月)、60代でのオリコン1位獲得・30代から60代すべての年代でオリコンアルバムチャート1位獲得ともに史上初。
  • 2010年4月 アルバム 『自己ベスト|』 - 「オリコン アルバムランキングで通算400週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
  • 2010年11月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン集計上でのアルバム出荷枚数300万枚突破 最年長記録」63歳2か月
  • 2011年4月 アルバム 『どーも』
    • ソログループ含めての「オリコン アルバムチャート週間1位最年長記録」・「ソロ(シングルアルバム含めた)での1位獲得最年長記録」・「日本人でのアルバムチャート10位以内最年長記録」63歳7か月(アルバムチャート首位達成はソロでは自己記録を更新、それまでの同記録は60歳3か月。グループを含めても、それまでのアルバムチャート1位獲得最年長記録はザ・ビートルズのメンバーのリンゴ・スター『ザ・ビートルズ1』(2000年11月27日付 60歳4か月)。それまでのソロシングルアルバムを含めて1位獲得最年長記録は秋元順子の61歳7か月(2009年1月26日付でシングル『愛のままで…』)。それまでのアルバムチャート10位以内の日本人最年長記録は吉田拓郎の63歳0か月での6位獲得(2009年4月27日付『午前中に…』))。
    • 「デビューからの1位獲得最新達成の最長記録」 41年0か月 (それまでのデビューから1位獲得最新達成最長記録はマイケル・ジャクソン『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』(2009年11月9日付) デビューから最新1位獲得40年0か月)
  • 2011年5月 アルバム 『どーも』 - 「オリコンアルバムチャート週間8位で獲得 10位以内獲得日本人最年長記録」63歳8か月(自己記録更新、それまでの同記録は63歳7か月)
  • 2013年5月 アルバム 『自己ベスト』 - 「オリコン アルバムランキングで通算500週目のランクイン(トップ300)」オリコンアルバムチャート史上初
  • 2014年7月 アルバム 『小田日和』 - 「オリコンアルバムチャート週間3位で獲得 10位以内獲得日本人ソロ最年長記録」 66歳10か月(それまでのアルバムチャート10位以内の日本人ソロ最年長記録は髙橋真梨子の64歳4か月での4位獲得(2013年6月24日付『髙橋40年』))。
  • 2016年4月 アルバム 『あの日あの時』 - ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳7か月(それまでの同記録は矢沢永吉の63歳8か月(2013年5月27日付『ALL TIME BEST ALBUM』))。
  • 2016年5月 アルバム 『あの日あの時』 - 返り咲きでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」・ソロでの「オリコンアルバムチャート週間1位獲得 最年長記録」68歳8か月(それまでの返り咲きでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は山下達郎の59歳8か月(2012年10月22日付『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』)。それまでのソロでのオリコンアルバムチャート1位獲得最年長は(自己記録更新、それまでの同記録は68歳7か月))。
  • 2016年6月 アルバム 『あの日あの時』 - 「2016年度上半期2位獲得 上半期10位以内獲得最年長記録」 68歳9か月(それまでの同記録は由紀さおりの63歳7か月での2012年度上半期10位獲得(『1969』))
  • 2016年12月 アルバム 『あの日あの時』 - 「2016年度年間4位獲得 年間10位以内獲得最年長記録」 69歳3か月(それまでの同記録は山下達郎の59歳10か月での2012年度年間10位獲得(『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』))

男性ながらファルセットを使わず女声域までの高音を素直に出せる歌声が大きな特徴である。オフコース初期には、バンドに女性ボーカルがいると間違われることもしばしばあったという。その少年のような歌声から変声期を経ずに成長したのではとの見方もあり、自身も音楽評論家の小貫信昭のインタビュー本『たしかなこと』で「変声期があった記憶がないので、声変わりしていないと思う」との旨を述べている。しかし、2005年のコンサート中のMCにて「医者に尋ねてみたが、声変わりしていないという事は有り得ないそうだ」と、その認識に変化があった様子を窺わせた(発声が生来しっかりしていたため、声変わりしても元の音域で話せたせいで、声変わりに気づかなかっただけという可能性が指摘されている)。また、ファンの中では話す声は比較的低く聞こえ、歌声とのギャップが大きいと感じる人が多く、「どうしたら高い声で歌えるのか」という質問をよくされるが、それに対しては「僕はただシャウトしているだけ」と答えていることが多い。

東北大学時代は混声合唱団でテノールを担当していた。

「声変わり」していないという俗説があるが、声変わりした男性の声は女声より確実に1オクターブ低くなる。ウィーン少年合唱団の声は女声と同じ音域であるが小田の話声は女声より1オクターブ低く声変わり後の男声である。ただ、小田の歌声の発声領域は、「ヘ音記号」楽譜の下のソ音(G2)付近から「ト音記号」楽譜の上のレ音(D6)付近までである。

ファンクラブ

オフィシャル・ファンクラブはないが、スタッフがパーティーやミーティングなどに活用しているプライベートスペースとして“Far East Café”が運営されている。通常は一般開放されていて営業時間内は飲み物のほか、オリジナル・グッズ(全商品限定生産)も取り扱っている。

また、Far East Caféではインフォメーションプレス『FAR EAST CAFÉ PRESS』がPRESS入会者に毎月25日に発行され、最新情報や活動内容の詳細やインタビュー、スタッフが連載する小田の日常、Far East Caféでの出来事やオリジナル・グッズの紹介が掲載されている。

そのほか1994年からは、小田の一年間の活動を編集した映像集『LIFE-SIZE』がPRESS会員限定で発売されている。

受賞歴

1997年
  • 第14回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 主題歌賞(『伝えたいことがあるんだ』)(ドラマ『最後の恋』主題歌)

注釈

出典

外部リンク

  • - 公式サイト
SonyMusic
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その他

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