オスカー・ハマースタイン2世 : ウィキペディア(Wikipedia)

オスカー・グリーリー・クレンデニング・ハマースタイン2世(Oscar Greeley Clendenning Hammerstein II, 1895年7月12日 - 1960年8月23日)は、アメリカのミュージカル作詞家・脚本家。

祖父はユダヤ系ドイツ人のオスカー・ハマースタイン1世、父親は劇場主。ニューヨーク生まれ。

人物

作曲家ジェローム・カーンリチャード・ロジャース等と共に多くのミュージカルの脚本、歌詞を書いた。1916年コロンビア大学卒業後、同校法科大学院に進むが、ブロードウェイの劇場主であった父の死を機に1年で退学し父の後を継いだ。学部時代は、演劇部でVarcity Show(伝統の学部生制作ミュージカル)の歌詞を書いた。

歌曲と個人芸で組み立てた娯楽ショーが中心であったブロードウェイ・ミュージカルに物語性を組み込み、現在に近い形のブロードウェイ・ミュージカルを創設した功労者の一人である。ジェローム・カーンと組んで南部の差別問題を題材に取り上げた『ショウボート』、リチャード・ロジャースと組み、ドラマティックなストーリーをショーの骨子とした『オクラホマ!』は、ともに大評判を呼び、ブロードウェイの記念碑的作品となった。これは作詞以外に脚本もこなすハマースタイン2世だからこそなしえた革命であり、その作劇法は後世のブロードウェイ・ミュージカルの重要なお手本となった。1950年ピューリッツァー賞 戯曲部門受賞。

また人格的な誠実さでも知られ、プロデューサーとしてもミュージカル作品を後援したほか、スティーヴン・ソンドハイムレナード・バーンスタインなど数々の才能に作劇を指導し、ブロードウェイに送り出した。

1960年にペンシルベニア州ドイルズタウンの自宅で胃癌のため死去。サウンド・オブ・ミュージックに追加で書き下ろした『エーデルワイス』が絶筆となったMaslon, Lawrence. The Sound of Music Companion (2007), p. 177, Simon and Schuster, ISBN 1-4165-4954-4"Oscar Hammerstein II" rnh.com, accessed November 2011 November 7, 2006. "How Do You Solve a Problem Like Maria?" BBC.。彼の死を受けて、ニューヨークのブロードウェイ"Blackout on Broadway to Honor Hammerstein", The New York Times, p. 52, September 1, 1960、ロンドンのイーストエンドの劇場街"London Honors Hammerstein", The New York Times, p. 14, August 26, 1960 がともに照明を落とし、弔意を示した。

終の棲家となったドイルズタウンの邸宅は1988年にアメリカ合衆国国家歴史登録財に指定されている。

作品

  • 『ショウボート』(1927年)
  • 『オクラホマ!』(1943年)
  • 『南太平洋』(1949年)
  • 『王様と私』(1951年)
  • 『フラワー・ドラム・ソング』(1958年)
  • 『サウンド・オブ・ミュージック』(1958年)
    • ドレミの歌
    • エーデルワイス
    • 私のお気に入り(原題:My Favorite Things

受賞

  • アカデミー歌曲賞
    • 『レディ・ビー・グッド』 "Lady Be Good" (1941年):『思い出のパリ』の作詞。
    • 『ステート・フェア』(1945年):『春の如く』の作詞。

関連項目

  • ロジャース&ハマースタイン

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/02 01:32 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「オスカー・ハマースタイン2世」の人物情報へ