鈴木俊雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

鈴木 俊雄(すずき としお、1965年12月18日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(捕手・内野手)。

同じく元プロ野球選手の鈴木孝雄は実父プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、295ページ。

来歴・人物

愛知・中京高では3番・捕手として、同期のエース野中徹博とバッテリーを組み、1983年夏の甲子園に出場。準々決勝に進出するが、池田高の水野雄仁投手に抑えられ敗退。野中以外の同期に右翼手、控え投手の紀藤真琴がいた。

高校卒業後は、法政大に進学。東京六大学リーグで在学中4回優勝。1年上に高田誠がおり、なかなか出場機会がなかったが、4年生時には1987年秋季リーグで優勝し、同季のベストナインに選出される。同年の明治神宮野球大会では決勝で筑波大に延長10回の熱戦の末に敗れた。大学同期に秋村謙宏、松井達徳がいる。リーグ通算26試合に出場、90打数24安打、打率.267、5本塁打を記録。

大学卒業後は、社会人野球の日立製作所に進み、1988年の都市対抗野球に4番打者として出場。酒井勉投手を擁し、1回戦で松下電器のエース潮崎哲也に2適時打を浴びせるが敗退。翌1989年の都市対抗では大阪ガスを降し2回戦に進むが、三菱重工広島に敗れる。この試合では2本塁打を放った。同年の第9回インターコンチネンタルカップ日本代表、第15回アジア野球選手権大会日本代表に選出されている。

1989年のプロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから3位指名を受け入団。

プロ2年目の1991年から一軍出場を果たすが、同じ捕手である青柳進、福沢洋一らの壁を破れず、1992年から定評のある打力を活かすため内野手に転向する。しかし、一軍定着には至らず1994年限りで退団。1995年は、台湾・中華職業棒球大聯盟の味全ドラゴンズでプレーした。

その後は、社会人野球のミキハウスのコーチ兼捕手を経て、NOMOベースボールクラブコーチ、副理事長を務めた。

現在は、スポーツDEPO新大阪店に勤務しながら木曽川ボーイズの監督も務めている週刊ベースボール2012年4月16日号 P14。

詳細情報

年度別打撃成績

ロッテ7881210031000000040.250.250.375.625
3650100012000010010.200.333.200.533
101081200021000020020.250.400.250.650
味全6523321023461014702674701501262.219.274.333.608
NPB:3年2024212510064000030070.238.333.286.619
CPBL:1年6523321023461014702674701501262.219.274.333.608

年度別守備成績

年度捕手一塁
試合刺殺補殺失策併殺捕逸守備率企図数許盗塁盗塁刺阻止率試合刺殺補殺失策併殺守備率
19911200001.00010.000-
1992-180011.000
19931200011.000000-|3110001.000
通算2400011.000|10.000419001|1.000

記録

NPB
  • 初出場:1991年4月13日、対近鉄バファローズ1回戦(川崎球場)、7番・指名打者で先発出場
  • 初打席:同上、阿波野秀幸から三振
  • 初安打・初打点:1991年6月23日、対近鉄バファローズ12回戦(石川県立野球場)、8回裏に上川誠二の代打で吉井理人から適時二塁打

背番号

  • 22 (1990年 - 1994年)
  • 21 (1995年)

関連項目

  • 大阪府出身の人物一覧
  • 法政大学の人物一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/20 07:34 UTC (変更履歴
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