斎藤亮 : ウィキペディア(Wikipedia)

斎藤 亮(さいとう あきら、1898年(明治31年)11月『新編日本の歴代知事』707頁。 - 1952年(昭和27年)3月5日『朝日新聞』(東京本社発行)1952年3月5日夕刊、2面の訃報より。)は、日本の内務・警察官僚。官選県知事。「斉藤」と表記される場合がある。

経歴

東京府出身。斎藤格の子として生まれる。第二高等学校を卒業。1922年11月、高等試験行政科試験に合格。1923年、東京帝国大学法学部法律学科(独法)を卒業。内務省に入省し徳島県属となる『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』236頁。。同年、文官分限令により休職となる。一年志願兵として歩兵第65連隊に入隊し、軍曹まで昇進して1924年12月に除隊。

1927年、大阪地方職業紹介事務局長に就任。奈良県書記官・警察部長、石川県書記官・警察部長、北海道庁部長・警察部長、大阪府書記官・警察部長などを経て、1941年10月、警視庁警務部長兼保安衛生部長となる。

1942年7月、山形県知事に就任『新編日本の歴代知事』202頁。。1945年4月、千葉県知事に転任。戦災への対応に尽力『新編日本の歴代知事』346頁。。同年10月、兵庫県知事に転任。1946年1月に公職追放となり退官した。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/09/23 02:17 UTC (変更履歴
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