フランシスコ・フィリォ : ウィキペディア(Wikipedia)

フランシスコ・フィリォFrancisco Filho、男性、1971年1月10日 - )は、ブラジル出身の空手家(極真空手七段)・元キックボクサー。極真カラテの師匠は磯部清次、K-1出場に際してはアメリカでモーリス・スミスにキックボクシングを学んだ。「一撃」「極真の怪物」の異名を持つ。

ブラジルポルトガル語でFilhoは「息子」を意味する。またネイティブ発音に従い、lhoはリョと一般的に表記される事が多いため、メディアなどではフィーリョ、フィリョと表記される場合もある。

来歴

フィリォが空手家を志した動機は幾つかあるが、その一つとして、『キックの鬼』が挙げられる。彼が幼い頃、ブラジルでは梶原一騎原作の日本アニメ『キックの鬼』が放送されていた。その主人公沢村忠(ブラジル人には、サワムラという名字が「サヴァムー」と聞こえていたという)の活躍にフィリォは憧れ、強い男になりたいという思いが芽生えたという。

1991年11月に行われた極真会館主催の第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場。4回戦でアンディ・フグに一本勝ち(止めがかかってからフィリォの放った上段回し蹴りによる失神KO。実際には反則になるが、最高審判長を務めていた大山倍達の「止めがかかったとはいえ、その不意をつかれる者は勝者ではない」という判断により一本となった)。兄弟子のアデミール・ダ・コスタが第4回大会でアンディに敗れていたため、リベンジを果たした形となった。同大会でベスト16となり、敢闘賞を受賞した。

1995年3月18日、極真会館総本部において百人組手を完遂。

1995年11月3日 - 11月5日、第6回全世界空手道選手権大会(極真会館(松井派)主催)第3位

1997年4月20日、第1回全世界ウェイト制空手道選手権大会(極真会館(松井派)主催)重量級優勝

1997年7月20日、K-1初参戦。前年度K-1GP王者であり、極真空手ルールでは勝利を収めているアンディ・フグとK-1ルールで再戦し、1R後半に出した一発のパンチで失神KO勝利して返り討ちにした。前年度のK-1王者を文字通り“一撃”で沈めたフィリォの登場は、極真カラテの神話性を復活させるかのような衝撃を与えた。

1997年9月7日、K-1 GRAND PRIX '97に出場。GP1回戦でバンダー・マーブに右中段後ろ蹴りでKO勝ち。1997年11月9日の準々決勝ではサム・グレコに試合開始15秒での右フックでKO勝ちするも、準決勝でアーネスト・ホーストに判定で敗れた。

1998年9月27日、K-1 GRAND PRIX '98に出場。GP1回戦でリック・ルーファスにKO勝ち。1998年12月13日のGP準々決勝でマイク・ベルナルドにTKO負け。

1999年[月25日、K-1 REVENGE '99にて同年のK-1GP王者アーネスト・ホーストにフックを打ちながら一気に前進、コーナーに追い詰めてフックの連打で1R失神KO勝ち。リベンジを果たす。

1999年11月5日 - 11月7日、第7回全世界空手道選手権大会(極真会館(松井派)主催)優勝。決勝戦で数見肇を破る(外人選手として初の世界選手権王者となる正確には、1987年(昭和62年)の第4回全世界選手権で在日韓国人である松井章圭が既に優勝している。しかし、当時松井は日本選手代表として出場、そして日本代表選手団の主将を務めていたので、マスメディアも暗黙の了解で松井を在日韓国人として取り上げなかった。)。

2000年4月23日、K-1 THE MILLENNIUMでジェロム・レ・バンナに自身のお株を奪われる左ストレート一撃で1R失神KO負けを喫したシーンは「千年に一度のKO劇」と評された。

2000年8月20日、K-1 WORLDGP 2000 in 横浜で行われたGP予選トーナメントを、1回戦で中迫剛に判定勝ち、準決勝でマット・スケルトンにアッパーでKO勝ち、決勝でシリル・アビディにTKO勝ちを収め優勝を果たした。

2000年12月10日、K-1 WORLD GP 2000に出場。GP1回戦でステファン・レコに判定勝ち。2000年12月10日、GP準決勝でアーネスト・ホーストに判定負け。

2001年8月、K-1 WORLD GP 2001 in LAS VEGASで行われた予選トーナメント1回戦でセルゲイ・イバノビッチと対戦。3Rにダウンを奪うも、ジャブやローキックなどの有効打で下回るなどプロボクシング基準の裁定に阻まれて延長R3-0で判定負け。しかし、同年10月に福岡で行われた世界最終予選Aブロックでイバノビッチ、ロイド・ヴァン・ダムを判定3-0で破り、決勝大会に進出した。

2001年12月8日、K-1 WORLD GP 2001に出場。1回戦でピーター・アーツ、準決勝でアレクセイ・イグナショフに勝利するが、決勝戦でマーク・ハントに延長判定負けし、惜しくも準優勝。

2002年8月10日に開催された一撃第2回大会より大会代表およびプロデューサーに就任した[一撃] 8.10 東京NK (カード):フィリォがプロデュース。 BoutReview 2002年7月10日。

2003年10月11日、K-1 WORLD GP 2003に出場。GP1回戦でステファン・レコに判定負け。

2004年5月30日、一撃 5.30 ICHIGEKIにて、前年度K-1WGP王者であり、同年のK-1WGPでも連覇を達成したレミー・ボンヤスキーと対戦し、スタンディングダウンを奪って判定勝利。この試合を最後に現役から引退した。

2006年5月には、ブラジルに「フランシスコ・フィリォ 一撃アカデミー」を設立。

2012年には、「The Ultimate Fighter:Brazil」でビクトー・ベウフォートのチームでコーチを務めた。

現役を引退した後は極真会館松井派ブラジル支部の支部長を務め、グラウベ・フェイトーザ、アレキサンダー・ピチュクノフ、エヴェルトン・テイシェイラらを指導していたが、 2022年、極真会館松井派は「組織の秩序を著しく乱す行為があり、2022年12月8日付で除名処分と致しました」と発表した。

戦績

獲得タイトル

  • K-1 WORLD GP 2000 in 横浜 GP予選トーナメント 優勝
  • K-1 WORLD GP 2001 in 福岡 敗者復活トーナメントAブロック 優勝
  • K-1 WORLD GP 2001 準優勝
  • 第1回全世界ウェイト制空手道選手権大会 重量級優勝(1997年)
  • 第7回全世界空手道選手権大会 優勝(1999年)

逸話

  • アンディ・フグの踵落しを足で止めた。
  • 外舘慎一の踵落しを足で止めた。
  • K-1初戦でカギ突きで一撃KOした。

入場曲

K-1時代の毎試合の入場曲は、Puff Daddyの「I'll be missing you」であった。

注釈

関連項目

  • 空手家一覧
  • 男子キックボクサー一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/10/25 05:01 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「フランシスコ・フィリォ」の人物情報へ