柳澤龍志 : ウィキペディア(Wikipedia)

柳澤 龍志(やなぎさわ りゅうし、1972年6月22日 - )は、日本のプロレスラー、総合格闘家、キックボクサー。青森県青森市出身。

来歴

中学、高校時代をむつ市で過ごす。青森県立田名部高等学校時代はボート部に所属し、インターハイに出場した。

1991年、プロフェッショナルレスリング藤原組に入団。1992年4月19日、東京体育館での冨宅祐輔戦でデビュー。

1992年12月、船木誠勝鈴木みのるらと共に、藤原組を離脱格闘技通信 1993年2月23日号 4-7頁。

1993年5月に設立されたパンクラスの設立メンバー。

1993年9月21日、パンクラスでプロ総合格闘技デビュー戦を行い、バス・ルッテンと対戦しKO負け。

1993年10月14日、プロ総合格闘技2戦目で船木誠勝に膝十字固めで一本負けを喫した。

1993年11月27日、キックボクシングデビュー戦で後のボクシングWBC世界ヘビー級王者ビタリ・クリチコと対戦し判定負け。

1995年7月23日、ネオブラッド・トーナメントの決勝戦で伊藤崇文に判定負けで準優勝となる。

1996年10月8日、セーム・シュルトにアンクルホールドで一本勝ち。

1998年9月14日、キング・オブ・パンクラス・タイトルマッチで王者のガイ・メッツァーに挑戦。判定負けを喫し王座獲得に失敗した。

2000年6月にパンクラスを離脱。前田憲作主宰のチームドラゴンへ移籍して、総合格闘技ではリングス、打撃格闘技ではK-1を主戦場に移した。

2000年7月7日、K-1 JAPAN GP 2000 準々決勝で武蔵と対戦し判定負け。

2000年10月9日、リングス KING of KINGS Aブロック1回戦でボリス・ジュリアスコフに一本勝ちするも、続く2回戦でランディ・クートゥアに判定負けを喫した。

2001年10月20日、リングス WORLD TITLE SERIESのワールドタイトル決定トーナメント 無差別級 1回戦でエメリヤーエンコ・ヒョードルと対戦し、判定負けを喫した。

2002年1月27日、K-1 RISING 2002でミルコ・クロコップと対戦し、カットによりTKO負けを喫した。

プロレス

活躍の場をプロレスに移すと、魔界倶楽部の一員として新日本プロレスに登場。鈴木健想、吉江豊を倒してヤングライオン杯優勝。そして高山善廣が当時保持していたNWF王座に挑戦するも敗北。それ以降、魔界倶楽部が消滅し、同志の村上和成柴田勝頼が新日本を離脱すると、蝶野正洋のBNJ (BLACK NEW JAPAN) に入るなどした。

2004年11月7日、古巣パンクラスに4年8か月ぶりに参戦。野地竜太と対戦したが、判定負け。

2005年、坂口征二設立の坂口道場にて総合格闘技コーチに就任。

2006年、新日本との契約が切れてフリーになった(新日本とは試合ごとの契約だった)。

2007年9月26日、K-1 WORLD GP 2007 IN SEOUL FINAL16のスーパーファイトでキム・ヨンヒョンと対戦し、判定負け。

2009年8月23日、約4年8か月ぶりの総合格闘技ルールでの試合となったDEEP 43 IMPACTでベルナール・アッカと対戦し、開始7秒右ハイキックでKO負け。

人物・エピソード

  • パンクラスではセーム・シュルト、リングスではエメリヤーエンコ・ヒョードル、ランディ・クートゥア、K-1ではミルコ・クロコップ、キックボクシングではビタリ・クリチコ(後のボクシングWBC世界ヘビー級王者)といった強豪選手との対戦経験を持つ。

戦績

総合格闘技

キックボクシング

必殺技

ヤナギロック
相手が尻餅をついた状態で決めるフルネルソンホールド。
各種キック

関連項目

  • プロレスラー一覧
  • 男子総合格闘家一覧
  • 男子キックボクサー一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2022/04/17 07:28 UTC (変更履歴
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