福島幸雄 : ウィキペディア(Wikipedia)

福島 幸雄(ふくしま ゆきお、1928年〈昭和3年〉6月8日『現代物故者事典2000~2002』(日外アソシエーツ、2003年)p.523 - 2001年〈平成13年〉1月11日)は、日本放送協会のアナウンサー。

来歴・人物

東京生まれ。日本大学第一中学校(現:日本大学第一高等学校)を経て千葉外事専門学校(現:麗澤大学)を卒業。

1949年(昭和24年)にNHKにアナウンサーとして入局『毎日新聞』2001年1月13日 27頁。同期には八木治郎小川宏といった、後に民放のワイドショーで司会を担当するアナウンサーがいた。

1960年(昭和35年)から2年間、アメリカ・ワシントンのVOAに出向しhttps://www.city.misawa.lg.jp/index.cfm/12,20955,c,html/20955/0197-S5210.pdf、東京オリンピックをはじめとしたスポーツ実況、『ニュースセンター9時』(NC9)のスポーツコーナー、『スポーツアワー』の司会などスポーツキャスターの草分けとして活躍し、夏冬で5回の五輪を担当した。

1985年(昭和60年)に定年退職した後も、NHKワールド・ラジオ日本などに出演した。

2001年1月11日、大腸癌のため死去、72歳。

NC9スポーツキャスター

5年間スポーツキャスターを務めたNC9では、スポーツを通じての人間ドラマを伝え、勝敗の結果だけだったニュース番組に「スポーツコーナー」の枠を定着させた。1974年(昭和49年)10月14日の最大のニュースは、長嶋茂雄の引退であった。その夜、長嶋は福島の求めに応じ、新調のスーツで生出演する約束になっていた。そこで福島は、何とか長嶋引退をトップニュースに、と頼み込んだが、局内では「スポーツごときをトップにするなどとは…」という雰囲気が圧倒的だった。それでも福島はあきらめきれず、頭を下げてトップに懇願すると編集長兼キャスターの磯村尚徳がひと言、「やりましょう」と応じ、福島は感激した。初期の頃、スポーツをトップに持ってきたのは、この長嶋引退試合と北の湖の最年少横綱昇進ニュースのふたつだけで、当時はまだ批判が強く、NHK内では、勇気のいる判断だった。

出演番組

  • テレビスポーツ教室 - きき手
  • ニュースセンター9時
  • スポーツアワー
  • ジスイズマイカントリー'85科学万博

参考文献

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2024/03/29 17:06 UTC (変更履歴
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