磯部清次 : ウィキペディア(Wikipedia)

磯部 清次(いそべ せいじ、男性、1948年(昭和23年)3月1日 - )は、ブラジル・サンパウロ州在住の空手家。極真会館(松井派)南米地区連盟総責任者・国際委員。段位は八段。福井県福井市出身。

K-1のテレビ中継などでは、アナウンサーから「磯部師範」と呼ばれており、一般でもこの呼び名の方が浸透している。

来歴

試割りを見て空手道に憧れを抱き、1961年(昭和36年)より習い始める。

1963年(昭和38年)より道場に通うが、道場の師範代が喧嘩に負けたのを聞き、空手道に失望する。

ある日、大山倍達の著書「100万人の空手」を読んで感銘を受け、東京の本部道場で極真会館の練習に仮参加する。その後、本格的に修行を積むため1970年(昭和45年)に上京。入門した頃は山崎照朝や大山泰彦を尊敬し憧れながら、指導を受けていたという。その他、同時期にいた先輩や仲間は、三浦美幸・岸信行・佐藤勝昭・大石代悟等がいた。

1972年(昭和47年)9月20日に弐段を允許された 「国際空手道連盟極真会館 - 年度別昇段登録簿 - 国内」『極真カラテ総鑑』 株式会社I.K.O.出版事務局、2001年(平成13年)、62頁。のを機に帰郷する予定であったが、郷田勇三の仲介で大山倍達の命により1年の期限付きで指導のため単身ブラジルに渡る。その後40年以上経つが帰国の話はなく、現在に至る。 アデミール・ダ・コスタ(現・勢和会)、ジェームス北村、フランシスコ・フィリォ、グラウベ・フェイトーザ、エヴェルトン・テイシェイラ、アンドリュース・ナカハラなど数々の選手を育て上げた。

1999年(平成11年)11月、第7回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場した弟子のフランシスコ・フィリォが初の外国人世界王者となった正確には、1987年(昭和62年)の第4回全世界選手権で在日韓国人である松井章圭が既に優勝している。しかし、当時松井は日本選手代表として出場、そして日本代表選手団の主将を務めていたので、マスメディアも暗黙の了解で松井を在日韓国人として取り上げなかった。。

2014年(平成26年)7月、ブラジル支部40周年記念として、25カ国から世界の強豪12チームが参加し、サンパウロにて「ブラジル極真40周年記念 ワールドカップ選手権」を開催した。 また、磯部が1972年にブラジルの地へ第一歩を踏んだ10月10日を「極真の日」として、サンパウロ市議会が条例に定めた。

2018年にはサンパウロ市名誉市民章をもらう。

著書・参考文献

  • 『ザ・ブラジル極真』 スキージャーナル、1999年(平成11年)

注釈

関連項目

  • 空手家一覧
  • 福井県出身の人物一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/29 09:46 UTC (変更履歴
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike and/or GNU Free Documentation License.

「磯部清次」の人物情報へ