北川裕司 : ウィキペディア(Wikipedia)

北川 裕司(きたがわ ゆうじ、1953年〈昭和28年〉6月14日 - )は、徳島県プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、183ページ出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。

来歴・人物

海南高校では尾崎健夫、大石友好のバッテリーを擁し、甲子園には出場できなかったが強豪校として知られた。1971年(昭和46年)春季徳島大会で優勝するが、代表決定戦で徳島商(選抜代表校)に敗れ、四国大会には進めなかった。他の高校同期にセントラル・リーグ審判の谷博がいた。卒業後は大石とともに神奈川大学へ進学。神奈川五大学野球リーグでは在学中5度優勝。最優秀選手、ベストナイン1回神奈川大学野球リーグガイドブック。

1975年プロ野球ドラフト会議でロッテオリオンズから5位指名され入団。1年目の1976年から一軍に上がり、6月には遊撃手として2試合に先発出場を果たす。2年目の1977年は22試合に出場、6月には二塁手として3試合に先発。しかし1979年からは出場機会がなく、1980年限りで引退した。

引退後は、打撃投手、球団マネージャー等を経て〜プロ野球ニュースで綴る〜 プロ野球黄金時代 昭和球場物語(1)(川崎球場その五) - フジテレビワンツーネクスト 2015年10月19日視聴。、ロッテ皆吉台カントリー倶楽部の支配人を務めている。

詳細情報

年度別打撃成績

ロッテ7871100012000010011.143.250.143.393
2215132310040002000020.231.231.308.539
6661000000000000010.000.000.000.000
通算:3年3529264410052002010041.154.185.192.377

記録

  • 初出場・初先発出場:1976年6月10日、対近鉄バファローズ前期8回戦(宮城球場)、9番・遊撃手として先発出場
  • 初安打・初打点:1976年9月24日、対太平洋クラブライオンズ後期13回戦(平和台球場)、7回表に野崎恒男から適時打

背番号

  • 30 (1976年 - 1980年)
  • 69 (1981年)

関連項目

  • 徳島県出身の人物一覧
  • 神奈川大学の人物一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧

外部リンク

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2023/11/14 22:52 UTC (変更履歴
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