アレクサンドル・ミハイロフ : ウィキペディア(Wikipedia)

アレクサンドル・ゲオルギエヴィチ・ミハイロフ(ロシア語:, ラテン文字転写:Alexander Georgievich Mikhailov, 1937年11月9日 - 1996年4月30日)は、ソビエト連邦の指揮者。

経歴

モスクワ近郊トロイツクの生まれ。1961年にレニングラード音楽院を卒業したが、在学中の1959年よりペトロザヴォーツクの劇場の指揮者を務めていた。その後モスクワ音楽院のレオ・ギンズブルクの下で研鑽を積み、1962年から1967年までモスクワのオペレッタ劇場の指揮者を務めた。1970年からオデッサで指揮活動をし、1973年から翌年にかけてキューバの交響楽団の音楽顧問の任に当たった。1974年から翌年までソビエト連邦金管合奏団の指揮者を務め、1980年から1990年までモスクワ国立音楽ホールのコンサート指揮者となった。1991年からオスタンキノ放送交響楽団の指揮者を務め、亡くなるまでこのオーケストラの育成に努めた。

モスクワにて交通事故死。

出典

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 | 最終更新:2021/03/09 02:45 UTC (変更履歴
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