荒井良平 : ウィキペディア(Wikipedia)

荒井 良平(あらい りょうへい、1901年10月22日 - 1980年10月22日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優であるキネマ旬報社[1976], p.16.荒井良平jlogos.com, エア、2013年1月21日閲覧。荒井良平、日本映画データベース、2013年1月21日閲覧。荒井良平、日本映画情報システム、文化庁、2013年1月21日閲覧。荒井良平、東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年1月21日閲覧。荒井良平、KINENOTE、2013年1月21日閲覧。荒井良平、日活データベース、日活、2013年1月21日閲覧。。

人物・来歴

1901年(明治34年)10月22日、長野県上田市に生まれる。

長じて東京に移ったが、1923年(大正12年)9月1日に関東大震災が起き、焼け出されて大阪に移る。当時、日活大将軍撮影所の時代劇の原作募集に応募、入選した。これをきっかけに同所の池永浩久の面接を受けて、監督志望である旨を伝えたが、俳優研究生として同社に入社した。記録に残るもっとも早い時期の出演作は、1926年(大正15年)2月28日に公開された楠山律監督の現代劇『愛の貴公子』における「滝川耀子の父・義人」役で、満24歳にして宮部静子の父親役を演じた。1928年(昭和4年)8月、同社を退社、福井に人造絹糸の工場を開き、実業家に転身する。

1929年(昭和4年)、新設された日活太秦撮影所(のちの大映京都撮影所、現存せず)に復帰、同年3月31日に公開された池田富保監督の『英傑秀吉』に出演したのを最後に、助監督に転向、池田富保、仏生寺弥作、伊藤大輔に師事した。1933年(昭和8年)1月10日に公開された『新蔵兄弟』で映画監督としてデビューした。『水戸黄門 来国次の巻』(1934年)、『水戸黄門 密書の巻』(1935年)、『水戸黄門 血刃の巻』(同)、『牢獄の花嫁』(1939年)、『鍔鳴浪人』(同)等のヒット作を手がけ、「ドル箱監督」としての地位を築いた。1942年(昭和17年)、大日本帝国陸軍第25軍報道部に所属して、マレー半島およびスマトラ島に配置される。

第二次世界大戦終結後は、1947年(昭和22年)9月には、マキノ眞三のマキノ映画で短篇教育映画『ゴムまり』を監督、1948年(昭和23年)9月28日に公開された『サザエさん 前後篇』(『サザエさん 七転八起の巻』)を監督した。1953年(昭和28年)からは大映京都撮影所と契約した。1959年、テレビドラマ『アチャコ武芸帖』を最後に監督を引退『やくざ監督東京進出』p346〜348、西原儀一著・円尾敏郎編、ワイズ出版、2002年                                  荒井とともに『アチャコ武芸帖』の演出を担当した西原儀一は、出演した雲井三郎と演技に関して揉めた事等で、自信をなくしたのではないかと証言している。(テレビドラマデータベースでは1957年(昭和32年)に放映されたテレビ映画『甘から横丁』が、荒井の「監督引退記念作」とされる甘から横丁、テレビドラマデータベース、2013年1月21日閲覧。)。をその後は、調布の日活撮影所で端役を演じたりした。晩年は、瀬戸内海の小豆島に移住した。

1980年(昭和55年)10月22日、香川県小豆郡内海町(現在の同県同郡小豆島町内海地区)で死去した。生没同日、満79歳没。

1997年(平成9年)11月に行われた第10回東京国際映画祭「ニッポン・シネマ・クラシック」部門で、山中貞雄とともに応援監督として参加した『大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻』(監督稲垣浩、1935年)が上映された。

フィルモグラフィ

特筆以外すべてクレジットは「監督」である。公開日の右側には役名、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇、マツダ映画社、2013年1月21日閲覧。。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。

日活大将軍撮影所

すべて製作は「日活大将軍撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である。

  • 『愛の貴公子』 : 監督楠山律、1926年2月28日公開 - 出演「滝川耀子の父・義人」役
  • 『太陽に直面する男』 : 監督中山呑海、1926年4月30日公開 - 出演「神崎源太郎」役
  • 『更生』 : 監督田坂具隆、1927年11月5日公開 - 出演「富豪・芦澤照徳」役
  • 『意気衝天』 : 監督三枝源次郎、1928年6月8日公開 - 出演「巡査」役
  • 『新日本の健児』 : 監督三枝源次郎、1928年6月22日公開 - 出演「跣のナタ」役
  • 『笑はぬ良人』 : 監督三枝源次郎、1928年8月26日公開 - 出演「技師」役

日活太秦撮影所

すべて製作は「日活太秦撮影所」、配給は「日活」、すべてサイレント映画である。

  • 『建国史 尊王攘夷』 : 監督池田富保、1927年10月1日公開 - 出演「鷹司輔熈卿」役、120分尺で現存・『尊王攘夷』題でDVD発売(日本名作劇場)
  • 『維新の京洛 竜の巻 虎の巻』 : 監督池田富保、1928年9月27日公開 - 出演「二條斉敬卿」役
  • 『英傑秀吉』 : 監督池田富保、1929年3月31日公開 - 出演「足軽三八」役
  • 『馬子の唄』 : 監督仏生寺弥作、1930年1月31日公開 - 助監督
  • 『高瀬舟』 : 監督仏生寺弥作、1930年3月28日公開 - 助監督
  • 『素浪人忠弥』 : 監督伊藤大輔、1930年7月15日公開 - 助監督
  • 『仇討選手』 : 監督内田吐夢、1931年12月18日公開 - 助監督、約29秒の断片のみが現存(大阪芸術大学所蔵玩具映画プロジェクト 時代劇、大阪芸術大学、2013年1月21日閲覧。)
  • 『新蔵兄弟』 : 1933年1月10日公開 - 監督デビュー作
  • 『伊庭八郎』 : 1933年3月8日公開
  • 『龍造寺大助』 : 1933年7月1日公開
  • 『武士道くづれ雁』 : 1933年10月26日公開
  • 『血戦大利根嵐』 : 1934年2月15日公開

日活京都撮影所

特筆以外すべて製作は「日活京都撮影所」(太秦)、配給は「日活」、特筆以外すべてトーキーである。

  • 『任侠二筋道』 : サイレント映画、1934年8月23日公開 - 原作・脚本・監督
  • 『水戸黄門 来国次の巻』 : サイレント映画、1934年11月1日公開 - 監督、50分尺で現存(マツダ映画社所蔵)
  • 『水戸黄門 密書の巻』 : サウンド版、1935年1月15日公開 - 監督、1分の断片のみが現存(NFC所蔵) / 49分尺で現存(マツダ映画社所蔵)
  • 『水戸黄門 血刃の巻』 : サウンド版、1935年4月3日公開 - 監督、1分の断片のみが現存(NFC所蔵) / 77分尺で現存(マツダ映画社所蔵)
  • 『突っかけ侍』 : 1935年8月25日公開
  • 『大菩薩峠 第一篇 甲源一刀流の巻』 : 監督稲垣浩、1935年11月15日公開 - 応援監督(山中貞雄と共同)、77分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『江戸の春遠山桜』(『江戸の春 遠山櫻』) : 1936年1月23日公開
  • 『勘太郎月の唄』 : 1936年5月21日公開
  • 『東の伊達男』 : 1936年11月5日公開
  • 『浮世三味線 第一絃』 : 1937年4月公開
  • 『白浪五人男』 : 1938年1月7日公開
  • 『右門捕物帖 血染の手形』 : 1938年4月28日公開
  • 『業平の千太郎』 : 1938年8月18日公開
  • 『右門捕物帖 拾万両秘聞』 : 1939年1月5日公開
  • 『牢獄の花嫁』 : 1939年8月17日公開 - 監督、95分尺で現存(マツダ映画社所蔵) / 96分尺で現存(日本名作劇場DVD発売)
  • 『牢獄の花嫁 解決篇』(『牢獄の花嫁 後篇』) : 1939年9月28日公開 - 監督、『牢獄の花嫁 解決篇』題で10分の断片のみが現存(NFC所蔵)
  • 『鍔鳴浪人 前篇』 : 1939年12月30日公開 - 監督、52分尺の『鍔鳴浪人』題で現存(NFC所蔵)
  • 『鍔鳴浪人 後篇』 : 1940年1月6日公開 - 監督、70分尺の『續 鍔鳴浪人』題で現存(NFC所蔵)
  • 『風雲将棋谷 前篇』 : 1940年8月15日公開
  • 『風雲将棋谷 完結篇』(『風雲将棋谷 解決篇』) : 1940年9月12日公開
  • 『神変麝香猫 第一篇 地獄の門』 : 1940年12月30日公開
  • 『神変麝香猫 解決篇』 : 1941年3月15日公開
  • 『柳生月影抄』 : 1941年6月1日公開 - 監督、86分尺の再公開版が現存(NFC所蔵)
  • 『南方発展史 海の豪族』 : 製作日活京都撮影所・台湾総督府、1942年10月8日公開

フリーランス

  • 『ゴムまり』 : 製作マキノ映画、短篇教育映画、1947年9月完成 - 監督、15分尺の16mmフィルムが現存(NFC所蔵)
  • 『サザエさん 前後篇』 : 製作マキノ映画、配給松竹、1948年9月28日公開 - 監督、50分尺の『サザエさん 七転八起の巻』の題で現存(NFC所蔵)
  • 『ササエさん のど自慢歌合戦』 : 製作東洋スタジオ、配給大映、1950年7月29日公開
  • 『エノケンの豪傑一代男』 : 製作エノケンプロダクション(榎本健一)、配給新東宝、1950年10月15日公開 - 監督、81分尺で現存(ジュネス企画DVD発売)
  • 『西鶴一代女』 : 監督溝口健二、製作児井プロダクション・新東宝、配給新東宝、1952年4月17日公開 - 監督補佐、136分尺で現存(NFC所蔵)
  • 『右門捕物帖 謎の血文字』 : 製作・配給新東宝、1952年5月22日公開

大映京都撮影所

特筆以外すべて製作は「大映京都撮影所」、配給は「大映」である

  • 『地獄太鼓』 : 1953年4月8日公開
  • 『怪談佐賀屋敷』 : 1953年9月3日公開 - 監督、94分尺で現存(ハピネット・ピクチャーズDVD発売)
  • 『怪猫有馬御殿』 : 1953年12月29日公開 - 監督、49分尺で現存(ハピネット・ピクチャーズDVD発売)
  • 『妻恋黒田節』 : 1954年2月17日公開
  • 『投げ唄左門一番手柄 死美人屋敷』 : 1954年5月23日公開
  • 『投げ唄左門二番手柄 釣天井の佝僂男』 : 1954年7月28日公開
  • 『赤穂義士』 : 1954年9月15日公開
  • 『地獄谷の花嫁』 : 1955年1月22日公開
  • 『天下を狙う美少年』 : 1955年4月8日公開
  • 『悪太郎売出す』 : 1955年10月19日公開
  • 『酔いどれ牡丹 前篇・地獄の使者 後篇・深夜の美女』 : 製作京都映画、配給松竹、1956年12月12日公開
  • 『甘から横丁』 : 詳細不明、テレビ映画、1957年放映 - 監督引退記念作
  • 『黄金奉行』 : 監督山田達雄、製作・配給新東宝、1958年6月29日公開 - 脚本(山田達雄と共同)
  • 『愛は空の果てへ』 : 監督野口博志、製作・配給日活、1959年2月17日公開 - 出演「乾分C」役
  • 『アチャコ武芸帖』 : 製作MBS・吉本興業、1959年11月14日〜1960年2月6日放映アチャコ武芸帖、テレビドラマデータベース、2013年4月14日閲覧。
  • 『銀座旋風児 黒幕は誰だ』 : 監督野口博志、製作・配給日活、1959年12月7日公開 - 出演「黒川の乾分F」役

参考文献

  • 『日本映画監督全集』、キネマ旬報第698号、キネマ旬報社、1976年
  • 『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年11月 ISBN 4816915133

関連項目

  • 日活大将軍撮影所
  • 日活京都撮影所
  • 新東宝
  • 大映京都撮影所
  • 梶原金八
  • 第10回東京国際映画祭

外部リンク

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