「ベスト・キッド」パット・モリタの知られざる生涯 ドキュメンタリー監督が明かす“素顔”とは

2021年1月31日 20:00


ミヤギ役でお馴染みの俳優ノリユキ・パット・モリタ(左端)
ミヤギ役でお馴染みの俳優ノリユキ・パット・モリタ(左端)

ベスト・キッド」シリーズのミヤギ役でお馴染みの日系アメリカ人俳優ノリユキ・パット・モリタの実像に迫ったドキュメンタリー「More Than Miyagi:The Pat Morita Story(原題)」が、2月5日から米国のApple TV、iTunesで配信される(日本での配信は未定)。このほど、同作を監督したケビン・デレク監督への単独インタビューを実施した。彼の証言から判明したのは、世間にはあまり知られてないモリタの素顔だった。(取材・文/細木信宏 Nobuhiro Hosoki)

本作では、結核を患っていた幼少期、日系アメリカ人の強制収容所にいた時代を明かしつつ、テレビシリーズ「ハッピーデイズ」や「ベスト・キッド」シリーズへの思い、製作背景などを掘り下げていく。共演したラルフ・マッチオ(ダニエル・ラルーソー役)、ウィリアム・ザブカ(ジョニー・ロレンス役)と彼の家族たちのインタビューを交錯させながら、モリタの真実と内面をとらえている。

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製作のきっかけは、デレク監督が手掛けた映画「The Real Miyagi(原題)」だった。

デレク監督「以前、9歳の頃に習っていた空手の師匠・出村文男(国際糸東流空手道玄武会の会長)を扱った映画『The Real Miyagi(原題)』を手掛けたことがあった。出村は、パットのスタント・ダブルを務めた人物。あの映画の撮影後、パットの妻エブリン・ゲレロと話す機会があって、パットが過去に結核を患っていたこと、日系人の強制収容所に入っていたこと、そして、パットの父親が交通事故で亡くなっていたことを聞かされた」

デレク監督は、その時の会話が忘れられず、妻ゲレロにパットを題材としたドキュメンタリーの制作を提案。それは、今から4年前の出来事。Netflixで人気を博すドラマ「コブラ会」の撮影が始まる前のことだった。

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モリタは、子どものころから結核のせいで病床に伏せ、医者も「2度と歩けなくなる」と家族に伝えていた。

デレク監督「彼が生まれた1930年代には、結核の治療薬はまだなかった。当時の治療法は、患者の全身にギプスを付け、ビタミンDを得させるため、患者を外に数時間も出して直射日光を浴びさせるというものだ。2、3歳児の結核患者をだよ。信じられるかい? それから9年後(モリタが11歳の時)、彼は治療と手術を受けて回復。ようやく歩き始めた頃、FBIがやってきて、彼をアリゾナにある日系アメリカ人の強制収容所に連れて行った。もし僕が当時のパットならば、不幸の連続で頭がおかしくなるほどだ」

モリタは実の母親から離れ、叔母のもとで育っている。その大半が病院暮らしだったため、かなり辛い少年時代を過ごしていたそうだ。その後、モリタは航空宇宙産業のロケットエンジニアを経て、スタンダップコメディアンへと転身する。この経緯については「当時の(安定した仕事を求める)日本人にとっては、とても珍しいことだった」とデレク監督は明かす。

デレク監督「その頃のパットは既に結婚し、子どももいた。少しお腹も出て、髪の毛も薄くなり始めていたから『今、スタンダップコメディアンになれなければ、きっと一生後悔する』と思ったそうだ。彼は、当時から人を自然に笑わすことのできる人物だった。30歳になった時、その夢を追うと決めたそうだ」

結核を患い、何もできなかった幼少期、ラジオのコメディ番組を聞き続けていたモリタ。彼が人気を獲得した「ハッピー・デイズ」(77年の第3シーズンから参加)に視点を向けてみよう。アジア系アメリカ人として出演することは、かなり稀なことだった。しかし、現代の観点からすると「アジア系アメリカ人のキャラクターを馬鹿にして笑いを誘っている」ようにも見える。当時、人種間の問題とシットコムの笑いは、どのように受け入れられていたのだろうか。

デレク監督「そういった人種間のステレオタイプは、僕自身も中東出身だからわかる。例えば、中東の人々が勝手にテロリストと結びつけられるのと同様に、当時も、今も、多少の人種間の差別的な見解はあると思う。ただパットの観点でとらえると『ハッピー・デイズ』みたいなヒット番組で役柄を得たことは、(パットだけでなく、アジア系アメリカ人にとって)一歩前進だったはずだよ」

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三船敏郎が「ベスト・キッド」出演オファーを辞退した後、モリタはミヤギ役のオーディションを何度も受けて、最終的に合格している。「ハッピー・デイズ」での成功があったにもかかわらず、なぜ何度もオーディションに臨まなければならなかっただろう。

デレク監督「彼だけでなく、たくさんの俳優がオーディションに参加していた。日本人の(空手)名人と呼ばれる人々もいた。それに『ベスト・キッド』のプロデューサー、ジェリー・ワイントローブは、ジョン・G・アビルドセン監督とは異なった意見を持っていた。そのため、ミヤギ役の候補者は、他の俳優との読み合わせをしたり、衣装を着たうえで演じたり、それらの演技をスタジオの重役に見せたりもしたんだ。だから、監督ひとりでミヤギ役を決めたわけではなく、パットもさまざまな過程を経て、ミヤギ役に決まったそうだ」

では、モリタが「ベスト・キッド」でオスカーにノミネート(第57回アカデミー賞助演男優賞部門)された時、アジアのコミュニティでは、どのような評価だったのだろう。

デレク監督「アジアのコミュニティでは、とても大きな出来事だった。当時は『キリング・フィールド』のハイン・S・ニョールも含め、2人のアジア系俳優がノミネートされていた。このおかげで、パットは質の高い作品に出演することができ、テレビシリーズ『Ohara(原題)』では主演も務めている。この番組は2シーズンで終わったが『アジア系アメリカ人が、ドラマ番組に主演する』ということに意味があったんだ。それにシットコム『Mr.T and Tina(原題)』(76)では、アジア系アメリカ人で初めてシットコムに出演した俳優にもなった」

ベスト・キッド」シリーズ終了後、モリタは脚本家ロバート・マーク・ケイメンに、新たな「ベスト・キッド」シリーズのアイデアを持ち込んだことがあった。「それはミヤギがどこ(=沖縄)で生まれたのか、第二次世界大戦で第442連隊戦闘団で戦った経緯などが含まれていたそうだ。しかし、ロバートは興味を示さなかった。その後、パットは別のライターに持ち込んで、第1稿までは済ませたそうだが、その後どうなったかはわからない」(デレク監督)と明かしてくれた。

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ベスト・キッド」の劇中、固い絆で結ばれていたダニエルとミヤギ。では、マッチオとモリタの“友情”はどうだったのだろう。

「『ベスト・キッド』シリーズは、7年の歳月をかけて製作され、彼らはその後も互いに連絡をとっていた。クリスマスシーズンや新年などには必ず声を掛け合っていたそうだ。だが、ラルフはニューヨークに住み、パットはラスベガスに住んでいたから、実際に会う機会はそれほど多くなかった。だが、パットが亡くなる1年前、ラルフはニューヨークのリンカーン・センターで開催された『Asian Excellent Award』という生涯功労賞を彼に渡し、その場で素敵なスピーチを残したそうだ」

最後にこんなことを聞いてみた。もし、モリタが生きていたら「Netflixの『コブラ会』を気にいるだろうか?」と――。

デレク監督「彼は、きっと気に入ってくれただろう。おそらく、ジョン・クリース役のマーティン・コーブと戦っているだろうね(笑)」

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