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「日輪の遺産」から別のベストセラーも誕生 浅田次郎が創作秘話明かす

2011年8月19日 11:18

「日輪の遺産」について語る浅田次郎「日輪の遺産」

「日輪の遺産」について語る浅田次郎
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[映画.com ニュース] 佐々部清監督作「日輪の遺産」の公開に先がけ、物語の舞台のモデルとなった東京都稲城市のiプラザホールでこのほど、稲城市民を対象とした試写会と、原作者のベストセラー作家・浅田次郎の講演会が開催された。

同作は、昭和20年に敗戦を悟った軍上層部が、陸軍が奪取した時価900億円ものマッカーサーの財宝を、戦後の日本復興のために隠匿(いんとく)するよう、3人の軍人に命じる。堺雅人演じる陸軍少佐・真柴司郎らと、ともに財宝を守り抜く勤労動員の少女20人との交流、祖国復興への思いを描いた人間ドラマ。

浅田自身も20年ほど前に稲城市に住んでおり、「日輪の遺産」を含めた初期の作品は同市で執筆された。物語の舞台として設定した、現在の米軍施設・多摩サービス補助施設はかつて旧陸軍の火工廠(こうしょう)。浅田はクリスマスの時期にその前を通った際、イルミネーションで飾られた火工廠を見て、「この一瞬のストーリーの塊のようなものが落ちてきた」と、本作創作に着手した。

勤労動員の少女のモデルは、昭和2年生まれの浅田の母が勤労動員世代で、学生時代に飛行機の部品を作っていたというエピソードから、母親の同級生3人を取材し、原作のキャラクターに反映させた。

「私の父は大正13年生まれで、関東大震災の中で生まれ、金融大恐慌という混乱の中で育ち、またもや戦争で焼け野原の東京を経験する、最も不幸な時代を生きた世代でした。自分は高度成長期に生まれた非常に恵まれた世代で、塾に行く必要もなく、学校が終わったら外に遊びに行けました。自分の幸福は何によってもたらされたのか、それは両親が生きてきた最も大変な時代があったからこそだと思っています。それを伝えたい思いで、書き上げました」と作品への思いを語る。

初版6000部と当時の売れ行きは芳しくなかったが、思わぬ“おまけ”があったと明かす。「真柴が、参謀総長が入院している病院へ会いに行く際、東京は空襲で焼け野原だったので、地下鉄に乗って浅草まで行きます。こんな時代でも時刻通りに動くことに感動して涙するという素晴らしいシーンがあったのです。『日輪の遺産』では取り去られた、原稿用紙30枚分のこのくだりは、原稿用紙400枚の『地下鉄に乗って』という作品となったのです。それが吉川英治文学新人賞をもらい、翌々年に「鉄道員」で直木賞をもらえることになったのです」。

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