伊賀忍者たちが繰り出す異色忍術が効果てきめん!
物量で圧倒する織田勢を迎え撃つ伊賀忍者たちの秘策は、ちょっとした表情や絶妙な間を使って繰り出すユニークな忍術の数々。それにかかった敵兵士たちが、まるで骨抜きにされたようにふにゃふにゃと崩れ去る様子は、いわゆる戦国合戦ものとはひと味違う。独特の緩さが笑いを誘うのだ。それは、達観主義者で恐妻家の忍者、無門に扮する大野智の役作りにも言えること。だからこそ、そんな彼が本気を出す後半が一気に盛り上がるわけで。ここ最近、度々大手作品の監督を請け負ってきた中村義洋が、久々にこの土壌で本来のユーモアを作品に結実させた異色時代劇は、主演の大野智にとっても代表作となった。

- MPさん / 2017年6月26日 / PCから投稿
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- 評価: 4.0
- 印象:
- 鑑賞方法:試写会
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- O-CHANさんのコメント
- 投稿日:2017年8月3日
「無門」・・・無口で金に汚い「殺すことに何も感じない」そもそも心が無い。
その無門が変わっていく物語だと感じながら、もう一度観てみにゃい?(=^・^=)
無門が人の心とか愛とかを感じる人間に変わっていくとしたら、
それは「お国」がいたからですよね。
彼女の何が?と考えるのではなくて、
ただ感性を少しだけ敏感にして素直に感じ取って行くと、
2回目、3回目にリピートしたときに「あ、そのことが」「そういう意味だったのか」
人に聞いてではなくて、自分で少しずつわかってきて、私はもっと好きになりましたから。
そして、クライマックスへ。
京へ向かう道をUターンしてしまう。「小茄子」という宝物で下忍たちをその気にさせて。
あの小さな茶道具って・・・何て言うか・・・人でなしの下忍達の群がる「カネ」?
この違和感は何だろう?あんな小さなモノにトンデモナ値打ちをつけて人の欲を操る。
そんな「小茄子」が今の時代にも溢れている。虚しさや矛盾は今も同じ。
400年以上の時空を超えて現代につながるテーマかもしれない。(=^・^=)
わたしには、
あのときに無門が「金ならここにある」と「小茄子」を掲げて見せたのが
今は、悲しくて悲しくて、仕方がありません。