劇場公開日 2016年9月17日

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「これもあざとい?」映画 聲の形 琥珀さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0これもあざとい?

2016年12月30日
iPhoneアプリから投稿

原作未読、予備知識なしでの鑑賞。

聲…石板の楽器の簡略字に耳を加えてできた文字だそうです。つまり、口から発する音というよりは、空気の振動、響きを耳で拾う、というのがこの字の成り立ちなのですね。

伝えたい、分かって欲しい、上手く言葉に出来ない、
だけどそもそも何を分かって欲しいのか自分でもよく分からない。

自分のことばかり分かって欲しいって訴えているようだけど、こちらのことを理解しようとしているのか?
ごめんなさいと言うけど、どう反応して欲しいんだ?

イジメが良くないことくらい分かってる、だけど止める勇気がない、第一そんなことしたら自分だってイジメられる。

分かってるのに口にしない自分は卑怯だ、このままだとますます自己嫌悪に陥る、もう居場所がない、逃げるしかない。

よほど生まれついての強靱な精神力を持った方以外、誰でも感じるようなもどかしさがとても丁寧に、しかも多くの人が思いあたるような友人関係の中で描かれていると思いました。

少女は聴覚に障害があるので、コミュニケーションの手段がたまたま手話や表情が主体となっているだけで、伝えたいという気持ちや相手のことを理解しようとする気持ち(響きを拾う力)は、障害の有無とはあまり関係が無いのだと気付かされました。むしろ、生半可な言語表現や態度の方が、本質を見誤らせることの方が多いのかも知れません。鑑賞後、もしかして自分がその生半可な奴じゃないのか、と若干の後ろめたさも覚えさせられる、ちょっとほろ苦い映画でもあります。

障害をお持ちの方、そのご家族や関係者の方のご苦労は想像することしかできませんが、障害の有無に関わらず、何かを伝えよう、理解しようとする行動が何かを響かせ、何かの形を渡すことができるのだということを教えてくれた素晴らしい作品です。

君の名は。やこの世界の片隅に、など今年多くの人が繰り返し観ている映画はどの作品も、制作した側(伝える側)の意図をはるかに超える様々な形に響いているのだと思います。きっと3回観た方は3回とも違う形で作品世界を捉えているはずです。
どこかのヒット作品のレビューで、万人受けを狙った、とか、あざとい(小利口、露骨で抜け目ない)という表現をネガティヴな意味で使っているのを見た記憶があるのですが、製作者に何かを伝えたいという熱意があるのなら、構わないのではないでしょうか。どういう形で受け取るのかは、受け手側次第なのだと思います。伝えたいことはどんな形なのだろう、と何度も考えさせられるような深みや厚みや共感性やいら立ちや知的刺戟がなかったら、繰り返し観る人はいないと思います。

グレシャムの法則